飛んで■に入る。
創(x @start_tsukuru)
羽化①───お姉さんからのお誘い
セミの羽化を動画に収め、それを絵と文にして提出しよう───というのは我ながら良い自由研究のやり方だと虹人は思う。
昼間に外に出る必要がないし、動画の内容を画用紙一枚にまとめれば終わりなのだから、かなり楽だ。
撮影用のビデオカメラと、水筒とタオルを持って外へ出る。家からすぐの公園へ全力で走って到着する。
「やぁ、虹人くん」
少し低めの女声を聞く。暑くなった体を涼やかにさせる、不思議な響きだった。
「元気そうで、何よりだよ」
声の主は、セーラー服を着て、黒髪をポニーテールにした、色白のお姉さんだ。
バッグを片手に持った彼女は、「虫の不法投棄禁止!」と書かれた看板の横から、彼へ、早足で近づいてきた。蜜のような甘い香りが、虹人の鼻腔へ滑り込む。
「っ、こんばんはっ」
「こんばんは。いい挨拶だね、虹人くん」
その高校生は、膝を折り、こちらに目線を合わせて、切れ長の目を細めた薄い笑みを向ける。姉が家に招いた時に、一目見たことがある表情だ。
『はじめまして。私は灯奈という』
笑顔を向けられて、心臓が痛いほどに熱を上げる。
「あ、っ、こんばんは。灯奈さん」
「息を切らして。ふふ、私にそんなに会いたかったのかな?」
「───ぇ、えと」
「なんてね。お姉さんは?」
「えっと、塾の講習があるみたいで。よろしく、って言ってました。あの、ごめんなさい……ぼくのために」
「いいさ。元々、私が『ぜひ手伝いたい』と言ったんだし。前に一度会ってから、お姉さんに虹人くんのことを色々聞いていてね……実は、君のことがとても気になっていたんだよ」
彼も同じ気持ちであった。なぜかひどく、興味があった───もう少し歳を経ていれば、「惹かれている」と表現していただろう。
「君も、同じ気持ちだと、嬉しいのだけど」
彼女の、困ったような笑みに息が詰まり、灯奈の笑みに目がいっぱいに開いていくのを感じ、あわてて下を向く。
「どうしたんだい?」
「あっ、えっと、なんでもない、です」
まさか「同じです」なんて、面と向かって言えるわけがない。
目の前の彼女は、姉と同じ高校生なのに、落ち着いている。そのうえ、声色は聞いていてドキドキするし、喋り方だって、先生や両親より、引き込まれた。
「あ、あ、あ……かっこいい……」
首を思い切り傾げられた。
「私のどこを見てそう言ったのかは分からないけど……そう思ってくれてありがたいね。
セミ、探そうか」
手を差し伸べられる。
……そのまま手を繋いで歩くことになった。
夜の公園を。二人きりで。
「大丈夫かい?手汗がすごいけど」
「えっ、あ、ごめんなさいっ……」
「いいよ全然。……君の手、小さいけれど、ちゃんと頼もしいね」
手汗はひどくなる。
「灯奈さんの、好きなものは、なんですか」
「食べものなら焼いた料理全般かな。でもナマモノは本当に苦手だよ」
真逆だった。
「灯奈さんの、好きな色は?」
「ピンクと薄い青だね」
どちらも嫌いな色だった。
「残念だね。ちなみに君の好きな色は?」
「赤が好きです」
この後に幾度か質問したが、その答えは、自分とまったく噛み合わないもので、訳のわからないショックを受けた。
「……灯奈さんきらわないでください」
「ふふっ、なにを言ってるのかな。
ところで、虹人くん」
と、隣のひんやりした手の彼女に、虹人は、「虫、好きかい?」と問いかけられる。
「なんで、ですか?」
「君、虫を飼ってたのに、すぐやめてしまったんだろう?お姉さんから聞いてるよ。今でも家には虫の図鑑や本でいっぱいなのに……本当は虫が嫌いなのかな?と気になってね。
それに、暗い顔もしてるしさ」
なんと答えようかと口ごもった。
だって、わからないだろうから。
「あ」と灯奈から声が上がる。
「なんですか?」
「幼虫だ」
指差す植え込みに、セミの幼虫が見える。
葉の上で、殻から身体を抜き切っている。
「わ……」
瑞々しい白緑の肉体は、少年にとって、生命力を感じさせる魅力に溢れていた。だが、
「これだと動画撮っても……」
最初から撮っていないとダメじゃないかと、小学生はそんなことを思う。が、
「セミの羽化の観察は、一気にやると、だいたい二時間かかる。ここだけでも撮っておくと良いよ。ビデオカメラ、貸して」
「持ってくれるんですか」
「ふふっ。案外、無茶を言うね」
灯奈は、バッグから三脚を取り出して、ビデオカメラをセットした。
「あっ、ありがとうございます……」
「持ってこないかも、と思ってね。次からはちゃんと持ってくるんだよ」
画面の中で、セミはじっとしている。
「あとは放置だ。……さて、セミが羽化しきるまでのだいたい一時間。
私と、虫を取って遊ばないかい?」
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