第59話 魔人伝説

 

 ハルモニアには、嘘か真かひとつの伝説が存在する。


 人間と魔族との悲恋譚、俗に世で語られる魔人伝説である。



 その伝説によれば、人間の娘と魔族の青年、種族も立場もまるで違う二人が恋に落ちて子を成したのだという。




 昔々、あるじから聖剣を戴くほどに格式のある騎士の家に生まれた娘が偶然、森の中で傷ついた魔族の兵士と出逢ったところから伝説は始まる。


 良家に生まれ、清く正しくそして優しい人物へと育っていた娘は、傷を負い弱り果てた魔族の男を憐れみ、家の離れへと匿って治療を施したのだ。


 人間と魔族、お互いが敵対する者たち同士であると理解しながらも、言葉を交わし会う中で二人は次第に心惹かれていく。


 しばらくして傷の癒えた男は娘の家を出ていくが、魔族たちのもとへと戻ることなく森の中に隠れ住み、娘と逢瀬を重ねていった。


 娘の父親は日々明るさを増していく彼女を見て疑問に思う。


 不審に思った父親は娘の後をつけ、魔族の男との密会の現場を目撃する。


 騎士である父親は敵対する魔族と恋仲になっていた娘に怒り狂い、娘の恋人である魔族を切り捨てて娘を無理やり家に連れ帰った。


 聖騎士の娘が魔族の男と恋に落ちていたなど父親にとっては予想外の出来事であったが、娘を引き離したことで事は丸く収まる……はずであった。



 一ヶ月後、娘の妊娠が発覚する。



 聖剣を与る騎士の家の娘が魔族の子を身籠ったなどあるまじき醜聞である。


 父親は苦悩の末にある決断を下す。


 すなわち、聖剣にて自分の娘ごとお腹の赤子を抹殺するという決断を。


 聖剣を片手に狂気に染まった瞳で迫り来る父親に、娘は怯え、逃げることもかなわない。



 絶体絶命の彼女の窮地に駆けつけたのは、聖剣によって付けられた傷もまだ癒えていない娘の恋人だった。


 魔族の男は娘を浚い、命からがら父親の手から逃げ出して森の奥でひっそりと隠れ暮らした。


 父親はこの醜聞が世間に広まることを恐れて彼らに追っ手を出すことはせず、娘は病にかかって死んだことにするのだった。



 娘は家を、男は軍属の立場を棄てて駆け落ちをしたが、その後の彼らの結末には諸説ある。



 二人はその後、幸せに暮らしたとも、


 男は聖剣につけられた傷がもとで死んでしまったとも、


 女は男の魔素にあてられて長くは生きられなかったとも、



 二人の間、つまり人間と魔族のハーフ「魔人」として産まれた子供は親の庇護を受けられることなく、数多の迫害を受けながら成長し、自らを生み出した世界を呪うのだとも。




 しかし、これはあくまでも伝説、所詮はお伽噺。



 魔族が人間の世界に流入してから200年、人間と魔族との間に子供が出来たという記録は存在せず、何よりまったく生活環境の違う種族が恋に落ちるなど大人の常識で見ればありえない。


 だが何故このような伝説が今なお語り継がれるかといえば、年頃の少女たちにとって立場のまるで違う道行かぬ恋愛話は非常にロマンスに満ち溢れたものであるからだ。


 たとえ現実的でないお話だとしても、


 そんなもしもIFを夢見る少女たちの間で連綿と受け継がれてきた物語、それが魔人伝説である。





「あれ? アゼルは『魔人伝説』を知らないんですか? 私のいた村は田舎でしたけど、女の子たちの間では有名なお話でしたよ。もしかしてこれって人間の中だけでの伝説なんですかね?」



「少なくとも俺は聞いたことないぞ。まあ、娘どもの間で噂される話が魔王の耳に入るわけもないだろうから、俺が知らないだけかもしれんが。第一、軍からの勝手な離脱なんて軍法会議モノだぞ。さすがにただの噂話だと思いたいな、俺は」


 

 晴天の下、ほどほどに整備された街道を大きな荷馬車が走っている。


 その荷台にはいるのは身の丈に不相応な銀晶の剣を携えた白銀の髪をした幼い少女と、彼女のすぐ側を飛んでいる黒い羽を生やした小さな妖精である。


 この組み合わせを見て、これが勇者と魔王の成れの果てだと誰が信じるだろうか。


 勇者イリアと魔王アゼル、現在彼女らは奴隷の国アスキルドをあとにして、商業連合国アニマカルマの領内へと既に入っていた。



 そもそも何故ふたりが「魔人伝説」について話をしているかといえば、


「だいたい前の町での噂だって眉唾物だぞ。これから行く町……聖刀の街ホーグロンだったか? 最近そこで魔人が暴れまわってるとか」



「それは私だってそう思いますけど、どうやら暴れてる本人がそう名乗ってるそうですから」



「どうせ正体ははぐれ魔族とかでしょ。見つけたらスパッと片付ければいいのよ。こう一刀両断にね」

 イリアの手にした喋る聖剣、アミスアテナも会話に参加してくる。



「とんだ狂犬(狂剣)だな。イリア、絶対にこいつを自由にさせるなよ。────ああ、そういえば聖刀って一体なんだ? この駄剣とは違うのか?」



「誰が駄剣よ。聖刀ごときと聖剣わたしを一緒にしないでよ」



「まあまあアミスアテナ。ええと平たく説明すると、聖剣は湖の乙女から人間へと託された人に依らざる剣(つるぎ)。聖刀は鍛冶士の方たちが心血を注ぎ込んで鍛え上げた魔を切り裂く刃。一般に魔に対する能力は聖剣の方が何倍も優れているので、一緒にするとアミスアテナの機嫌が悪くなるんですよ」



「ほおー、人間の使ってた剣にもそんな区分けがあったんだな。俺は戦場では傷つけられた覚えもないから、武器の違いなど気にしたことなかったな。……それで? その街に行けばイリアの昔の仲間とやらがいるのか?」

 


「いえ、あくまで『いるかもしれない』という程度です。彼は優れた聖刀使いですから、聖刀の本場ホーグロンに行けば何かしらの情報は手に入るかと思います」



「イリアの仲間の中じゃあの子が一番優秀よね。聖刀使いってところは引っ掛かるけど、あの太刀筋は見事だったもの」

 


「嬢ちゃんたち見えて来たぜ~。あれが聖刀の街ホーグロンだ」


 御者台からオヤジの声が響く。


 オヤジの声につられてイリアたちが荷馬車の外に顔を出すと、遠い視界の先には鈍い鉄を思わせる、刀剣の街が彼らを待ち構えていた。

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