第41話 エミル・ハルカゼ

 現れたのは、金の刺繍の施された漆黒のローブに赤い縁取りをされた紺の衣服を着た少女だった。


 顔はフードに覆われているが、フードからのぞく髪は茶色がかった黒髪で歳の頃は封印の解けた現在のイリアよりもやや幼く見え、身長も同様に低い。


「随分と賑やかな騒ぎだねえ。何かの祭りかい?」

 見た目にそぐわない泰然とした口調で現れた少女は尋ねてくる。


 彼女の後ろからは二人の少女がおっかなびっくりと、しかし決して離れないように着いてきていた。

 イリアが衛兵に捕まるきっかけとなった、魔法使いの奴隷の姉妹だ。


 そして黒金のローブの少女の右手には姉妹たちを奴隷としていた小太りの男が掴まれている。

 その表情は憔悴した様子で、顔には青アザがくっきりと浮かんでいる。



「ちっ、エミル・ハルカゼか。まったく、今日は招かれざる客の多いことだ」


 忌々しげに奴隷王ラヴァンは舌打ちを打つ。イリアたちに使っていた慇懃な口調は剥がれ落ち、その言葉には明らかな憎しみが込められている。



 そんな奴隷王とは対照的に、



「エミルさんじゃないですか! お久しぶりです。元気にしてましたか?」


 イリアは大変驚いた様子で旧知の間柄らしい人物に声かける。



「お、イリアじゃん! 久しぶり~。どうしたん? こんな陰気くさい国に立ち寄るなんて」

 エミル、と呼ばれた少女も親しげにイリアへ手を振る。



「もう、あなたがどこにいるかの情報を集めるために来たんですよ。まさか本人に会えるなんて思っていませんでしたけど。……エミルさんこそ、その男の人はどうしたんですか?」



「ん? ああ、ウチの里から子供が男に拐われたって耳にしてね。一応、里への義理立てで探しに来たのさ。ま、案外簡単に見つかったけどね」

 そう言って黒い魔法使いの少女は手にした男を放り投げる。



「ひ、ひぃ」

 小太りの男は頭を抱えてしゃがみ込み、恐怖で打ち震えている。



 それを見ていた奴隷王ラヴァンは、



「待て、例え誘拐の経緯があろうと、すでにその魔法使いどもはこの国では正規の奴隷だ。それを力ずくで取り戻すなど横紙破りも甚だしい。穢れ人どもの長がこのアスキルドに何の用だ。早々に帰るがいい!」


 イリアたちを相手にしていた時とは違い、明らかに感情を乱しながら黒い魔法使い、エミルに告げる。



「お、奴隷王のジジイじゃん。ホント相変わらず好き勝手な持論かざしてんね。あとアタシは里の長じゃないっての。里の連中がアタシのことを何て言いふらしてるかは知ったことじゃないよ」



「キサマらの事情など知るものか。事実、お前が穢れ人らの中で一番の要注意人物であることには変わりない」



「あっそ。ま、アタシもあんたらと長々会話するつもりはないんだ。だけどこの子たちの首輪の鍵、こいつは持ってないって言うし。聞いたら魔法使いの鍵は全部あんたらが管理してるらしいじゃん。それ頂戴?」


 あっけらかんとした様子でエミルはアスキルドの奴隷王に姉妹を解放する為の鍵を要求する。


 アスキルドでは魔法使いの奴隷全てに特殊な魔石の付いた首輪の装着を強制している。これは専用の鍵を使用しなければ外すことができず、強引に外そうとすれば爆発して装着者の命を奪う仕組みとなっている。



「ふん、キサマの要求に私が応える必要はない。…………が、そうだな。そこの魔王をキサマが追い払うというのなら考えてやってもいい」

 先ほどまで荒ぶっていた感情を治めて、ニヤリとした表情で奴隷王が提案する。



「!? 魔王? 魔王がいんの? どこどこ!?」

 何故か魔法使いエミルは魔王の単語を聞くとフードを下ろし瞳をキラキラとさせて周囲をキョロキョロと見渡した。


 そして、変な奴が現れたな、と怪訝な目で見ていたアゼルと目が合う。


「あ、本当だ! 魔王がいる! え、何でここに? っもう、ずっと探してたんだから」


 歓喜の声をあげるエミルに対して、アゼルは冷たく、


「何だお前は。俺は知らんぞ」

 と言い放った。



「というかエミルさんよく魔王の顔が分かりましたね」



「子供の頃にチラっとね。最近は魔王を探しに方々を旅してたってのに、どこ行っても外れなんだもん。まさかこんなとこで出会えるなんてね」


 彼女の語る様子はまるで恋する少女のようだ。



 エミルの予想外の反応に、奴隷王はまた苛立ちを顕わにする。


「キサマの目的なんぞ露ほども興味はないわ。して、どうするのだ? 魔王と戦うのか? それともすぐさまキサマ一人で帰るのか? 私としてはどちらでも構わんが」


 エミルと話すのが心底嫌な様子で奴隷王ラヴァンは問いを重ねる。



「え? 戦うに決まってんじゃん。その為に探してたんだから」

 即答だった。



「何? それはどういうことだ? 俺はお前なぞ知らんし、恨みを買った覚えもないが」


 身に覚えのない恨みや復讐ほど気味の悪いものはない。

 アゼルはその可能性を拭い去ろうとエミルに確認する。



「いやいや、別に恨みとかないよ。魔王が人間の敵だってのも正直どうだっていいし。ただ魔王って言うからには、────強いんでしょ?」

 エミルはまるで舌舐めずりをするかのような瞳でアゼルを熱く見つめている。



 その瞳を見てアゼルはイリアの言葉を思い出した。



『え~、魔法使いの人はオレより強いヤツに会いに行く、みたいなことを言って出ていきました。』




「イリアの言っていたバトルマニアはお前か!!」



「バトルマニアって何それ、……いいね。その響きアタシは好きだよ」


 にこやかにウキウキとした様子でエミルは両手を組んで伸びをする。

 


「これ以上の下らぬ問答は結構だ。キサマが戦うのならばそれでいい。立ち合いの場所は郊外にすぐに用意するからしばし待て」

 話はこれで終わりだと、奴隷王ラヴァンがこの場を立ち去ろうとする。



 だが、

 

「え? 何言ってんの。に都合の良い場所があるじゃん?」


 エミルは人差し指を下に示す。

 戦いの場はこの大広場で十分だと。



「キ、キサマふざけるな! ここを戦場にするつもりか? 野蛮人めが。そんなことなら鍵は渡せんぞ」


 珍しく焦った様子で奴隷王ラヴァンはエミルに告げる。



「あ、そう。そういった駆け引きはもっと頭の良いヤツにしたら? ジジイの選択肢は2つだ。私をここで暴れさせるか、だよ。」



「ぐ、正気か!? キサマ1人でアスキルドと戦争をするとでも言うつもりか」


 勇者イリアを言葉ひとつで容易く追い詰めた奴隷王がエミルとのやりとりでは額に冷や汗を流してしまっている。



「アタシは一向に構わないよ。選ぶのはアンタだ」

 一国の王に対してあまりに不遜な態度だが、彼女の発する威圧感に押されて、誰も咎めることができない。



「………………………………………………、チッ。好きにするがいい。だが極力壊すな。それを条件に鍵を渡してやる」


 長い沈黙の後、奴隷王はついに諦めたのか、屈辱を噛み殺すように言葉を絞り出す。



「お、どうもありがと。ものわかりが良くて助かるよ。やっぱり一国の王はこれくらいの懐の広さがなくちゃね。っと、ああ。レミィとラミィはあの銀髪のお姉ちゃんのとこに行ってな。アタシの側にいるよりは安全だから」


 エミルが姉妹に目配せすると、少女たちは迷わずイリアの下へと駆け寄っていく。


 それは、彼女の言葉を信頼したからか、それとも彼女の側にいることの危険性を理解していたからなのか。



「エミルさん?」


「イリア、その子たち頼むね」



 そう言ってエミルはアゼルへと振り向き、



「それじゃあ魔王。尋常に一対一で立ち合おうか」


 魔王との一騎打ちを申し込む。



「随分と勝手に話を進めてくれたな。だがまあ展開が力ずくになったのは俺にとっても都合がいい。貴様を倒してそのまま子供らを奪い返すだけだからな」


 そう、民衆が四散してこの場からいなくなった以上、イリアの心理的な抵抗もかなり減っているはずである。

 この魔法使いを一息で倒して、イリアと協力して奪還を試みれば、アスキルドの兵たちを殺さずに子供たちを助けられる可能性は高くなる。


 アゼルからすれば、目の前の魔法使いの登場によって逆に、子供たちを助け出す算段は立っていた。



「…………それにしても、さっきから一応待っているんだが、準備はいいのか魔法使い」


 相手が決闘を求めている以上、アゼルはフェアに事を構えようとしていた。

 魔法というものは得てして時間がかかるし、場合によっては前準備も必要だ。


 見たところ目の前の少女は黒金のローブを装備しているのみで魔法の発動触媒である魔法具も手にしていない。

 ならばせめて詠唱くらいは待ってやろうというアゼルなりの気遣いだった。


 魔法使いのランクは赤銅、蒼銀、黒金と分かれており、黒金のローブは魔法使いの最上位にのみに着ることが許されている。


 しかし、魔法使いにおける最上位の黒金が四人がかりでようやく魔族の貴族1人を抑えられるかといった力関係である。


 封印により本来の力を出せないとはいえ、魔王アゼルの相手が務まるはずがない。



「あ、なんだ。待っててくれてたんだね。アタシは別に大丈夫。今すぐ始めよ。『風纏ふうてん』」


 エミルが呟くと彼女に風が鎧のようにまとわりついていく。



「ほう、それは確かアーマドシルフだったな。風の基本魔法の一つだったか。それを無詠唱とはさすが最上位の黒金といったところだが、使程度で俺とまともにやり合えると思うなよ」


 防御性と機動性を向上させる、基本魔法の発動をアゼルが確認したその刹那、



「あ、アゼル違いますよ。エミルさんは魔法使い最強じゃないですよ。使です」


 イリアから謎の訂正が入る。


「ん?」

 その意味をアゼルが理解する前に、


「じゃ、まず一発!」

 アゼルの懐には既に拳を打ち込もうとするエミルの姿が、


「は???」

 

 次の瞬間、アゼルの腹には見事な風穴が空いていた。

 

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