第22話 モノクロの咆哮

「ウォオオオオオッ!」

 平原に苦悶の叫びが響き渡る。


 魔王は誰の目にも明らかに変化していた。

 

 いや、これを魔王の変化というのは不適切だろう。

 何しろ魔王自身は何一つ変わってはいない。変化したのは彼から溢れ出す暴力的なまでの魔素の量だ。


 先ほどまでは、あくまで戦闘区域のみに展開されるだけであった魔王から生成される魔素が、僅か一瞬で見渡す一面全てに広がっていく。


 晴れ渡った空も、澄んでいた大気も、草花溢れる大地も、今では遍く全てが黒き魔障の霧によって満たされている。



 自滅を前提にしたオーバーロード。

 過剰に引き出した力に肉体は耐えられず、ほどなくして魔王の肉体は自壊するだろう。


 それを代償として、このほんの一瞬のみ魔王は全盛の能力を取り戻す。



「勇者、お前に負けてその末路にまで付き合うなど俺は死んでも御免だ。自分の命の使い方、自分の生き死にの終わりは俺自身で決める。お前がいる限り俺の人生がどうせ終わるというのなら、俺の命をもってお前のくだらない生き様を否定する」



 彼は魔剣を起動する。

 銘はシグムント、刀身には小さくも誇らしげに文字が刻まれている。

 『ああ、英雄たるわが父よ』


 あの日の誓いも憧れも、今は遥か遠い残響。



 魔素の蓄積、圧縮、収束。

 魔剣シグムントはただ己が性能を忠実に果たす。



 見渡す限りの大気に満ち溢れる魔素と、魔王自身から今もなお生み出され続ける魔素、それらの膨大な魔素はたった一本の魔剣に収束、蓄積、圧縮され、今にも解き放たれんと主の命令を待ちわびている。




「イリア! あいつ、死ぬ気で撃ってくるつもりよ。…………でも逆にチャンスね。こんな状態は数分ももたないはず。次の攻撃さえ凌ぎきれば魔王は勝手に自滅してくれるわ。あいつが自滅する分にはイリアには影響は出ないから安心して。大丈夫よ」


 現状を冷静に分析していくアミスアテナ。だが……



「ぐぅっ。く、苦しい。だ、だれか。助け……」


 少し離れた場所から多くの苦悶の声が聞こえてくる。


 勇者たちを攫った野盗たちだ。苦しいのは当然だろう。魔界の入り口と同質の、魔王の放つ本物の魔素の毒気に当てられているのだ。

 もちろん野盗たちだけではなく、彼らの乗っていた馬も苦しそうにのたうち回っている。


「いいえ、ダメ。魔王が倒れるのを待ってなんかいられない。今すぐにでも魔王を止めないと、あの人たちの身体がもたない。……もう、ここで決めないと」

 そう言って勇者は、両手で聖剣を握り、瞳を閉じて祈りに集中する。



 魔王のそれと違い、勇者の力とは自らの内から生み出されるものではない。自身の外なる世界。勇者と聖剣、同質にして同一の異物がお互いに共鳴し合うことで初めてその力は増大していく。

 



 祈りとは他者の願いを受け入れること。


 願いとは遍く人々の平穏を叶えること。


 みんなの安寧を妨げる敵を打ち払う力こそが、勇者に求められているものだから。




(だが、お前は、)


(お前はどこにいるんだ?)




「イリア?」

 相棒の集中が途切れたのを感じる聖剣アミスアテナ。



 勇者の頭の中で知らない囁きが聞こえる。


 彼女の人生はどこにあるのかと、今まで思いもしなかった考えがよぎっていく。


 人類の敵であるはずの男の言葉が、彼女の根幹を揺るがしてくる。




『君の歩んだ道の先に見えるのは抜け殻になった君の残骸』 



『君の守った景色に映るのは君だけがいない世界』



『君の幸せはもっと別の場所にある』



『君の人生はまだ始まりを告げていない』



 甘く、優しく、ひたすらに真摯な言葉が彼女の胸を駆け抜ける。




 でも、


 だけど、


「たとえ『みんな』というくくりの中に私がいなかったとしても!」

 瞳を開き、打ち倒すべき相手を見据える。


「それでも私はみんなを守りたい!」

 聖剣を振りかざし、



「ヴァイス・ノーヴァ!」



 遥か遠い魔王に向けて、白き極光を振り下ろした。









 立ち尽くしている魔王。


 今さら驚くことなどない。

 彼女ならそう答えると解っていたと、迫りくる美しい光を虚ろな瞳で見据えながら、



「アルス・ノワール」



 そんな眩しいだけの理想ならく壊れて果ててしまえと、一切の迷いなく魔剣を振りかざし、黒き極光が咆哮した。




 白と黒、二つの相反する力は衝突し、減衰し、錯綜し、相殺し合いながらも勢いは加速していき、モノクロームの光景は周囲にそれぞれの色を撒き散らしながら止まることがない。



 この両者の激突は、どちらが正しいか、何が間違っているかを決めるための戦いではない。

 だが、負けてしまえば、自分を支えている何かが壊れてしまう、そんな確信が両者にはあった。



 片や国と民を捨てて、一個人としての生き方に立ち戻った男と、


 片や自己を顧みることなく、他者の幸福に従事する女。


 どちらかが正しいというわけでも、どちらかが間違っているわけでもないだろう。


 だから、勝敗を分けたのはそんなことではなく、











 否定したい。


 否定したい。


 否定したい。




 あの女の在り方は昔の誰かを思い出して吐き気がする。

 認められたかった。認めて欲しかった。


 だが、それは数多の誰か、どこにでもいるみんなではなく、たった一人「あの人」にさえ認めて貰えればそれでよかった。それだけで俺の100年を超える苦悩は報われるはずだった。


 でも現実は、実際は、そんな甘い幻想を抱いていた自分を殺したくなるほど無常だった。


「あの人」の前に呼び出されたあの日、俺は結局自らの無様さを曝け出しただけで、己の愚かさと向き合うこともできずに逃げ出した。



 ああ、白状しよう。

 あの女の綺麗さが許せない。

 自分はこんなにも醜く歪んで堕ちてしまったというのに、

 守った人間たちに裏切られながら、それでもなお真っ直ぐに自らの使命と向き合うあの気高き勇者を否定したい。




 ああ、でも…………

 











 否定させない。


 否定させない。


 否定させない。



 彼の言う幸せは知らない。

 彼の語る人生も知らない。

 それでも、守るべき人たちと、果たすべき約束は知っている。



 私という存在が生まれたために焼き払われてしまった村がある。


 私という勇者が生まれなければ幸せに笑えていたはずの人たちがいた。


「この世界を苦しみから救ってくれる誰かが欲しい。」

「私たちを苦しめるものを取り除いてくれる誰かがいてくれたなら。」


 そのように望まれ、そのように生まれた以上、

 そのように振る舞い、そのように生きるだけだ。



 それ以外の生き方なんて、きっと考えちゃいけない。





 ほんの少し、彼ともっと話してみたい気持ちもあるけれど……




 うん、でも…………







「「はあぁぁぁぁぁああ!」」

 二人の咆哮が重なっていく。重なり合っていく。

 純白も漆黒も混ざり合い、どちらも己の純粋を保てない。


 永遠に続くかと思われた、不均衡で不安定な力の衝突は、




 しかしそれでも終着を迎える。




 もし、二人の勝敗を分けたものがあったとするのなら……

 


 男は彼女の在り方に懐かしさとその尊さを思い出し、女は彼の在り様が、語る未来が理解できなかった。




 ただ、それだけのことだろう。

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