第19話 何故お前はそんなにも

 魔王と聖剣の間に生じた緊迫は未だ続いている。



「封印が解けた今、俺がこれ以上お前らと付き合う義理はないよな」

 魔王は当然の結論として勇者たちとの離別を告げる。 


「あら、封印が完全に解かれたと思っているならあなたも相当甘いわね。どう? 身体の具合は。あなたの本調子には程遠いんじゃないかしら?」

 剣である以上表情は分からないが、もし表情が見えるとしたらアミスアテナが意地の悪い笑みを浮かべているのが容易に想像がつく。


「ちっ。さっきの戦いの時からどうも力が落ちているとは感じていたが、やはりただの不調ではなかったか。おい、俺の身体は今どうなっている?」

 魔王が先ほどから感じていた身体の違和感。

 本来の力量差を考えれば、黒騎士や白騎士、魔王からしてみればただの一戦士に過ぎない彼らと「戦闘」になってしまうこと自体があり得ないことだった。 


「せっかく色んな代償を払ってまで魔王を封印したんですもの。それを完全に解くわけがないでしょ。さっきのキスで解除できたのはあくまでイリアの封印よ。それによってこの子は本来の姿とのレベル99のステータスを取り戻した」


「それだけで済んでくれたら問題ないんだけど。残念なことにあなたとイリアが魂で繋がっている影響で、イリアのレベルが上がったらあなたのレベルも上昇してしまう。それであなたも妖精の姿から解放されたけど、イリアの魂と繋げてあなたを縛っている以上、当然彼女と同じレベル99までしか魔王の力も解放されないわ」


 聖剣の説明には聞き捨てならないこともあった気がするが、概ね魔王にも事情は理解できた。


 自身のレベルをいちいち把握したことのない魔王ではあったが、本来の彼のレベルは2000を優に超えている。そのレベルが突如99にまで低下したのだ。単純計算ではあるがざっと20分の1以上の能力低下を引き起こしている。そんな状態では身体的不具合や出力不足を感じるのも当然と言えるだろう。


「なるほど。だいたいの仕組みはわかった。それで? 封印を完全に解除するにはそこの勇者を殺せばいいのか?」

 意識が切り替わったのか、明確な殺意を顕して魔王は問いを投げかける。


「残念。もしイリアを殺せたところで、封印は解けないわ。いいえ、正確には解除されるのだけれどそれと同時にあなたも死んでしまう。さっき魂でイリアと繋げてあるって言ったでしょ。彼女の死とあなたの死はリンクしている。彼女がどんな形であれ死んでしまったのなら、あなたも一緒に死ぬことになるのよ」


 勇者の死、それは同時に魔王の死でもあるという。


「なんだと! おい勇者。お前は知ってたのか? 知っていてこの封印を許したのか? お前は、お前はそれで良かったのか?」

 魔王は先ほどから黙って話を聞いていた勇者を問い詰める。しかし何故だろう。彼の言葉には自分ではない誰かの為への怒気が滲んでいた。


「え? あ、はい、そうですね。驚きました」

 ややキョトンとした様子で答える勇者。


 魂で繋げてあるとは昼間説明があったが、自身の死が魔王と繋がっている、彼女はそんなことまでは教えてもらっていなかった。

 何も知らない。当然だろう、自分の聖剣に魔王すら封印できる機能があることすら今日になって初めて知ったのだから。


 そう、それならば当然、今の状態は嘆き悲しむべきことだし、明確な怒りを示さないといけないことでもある。



 …………だが。


「ですが、仕方のないことではないでしょうか? 私一人の命で魔王が繋ぎ止められるというのなら、十分に天秤は釣り合っています」

 ただ、ここには、怒りも悲哀も見せずに、このことをただ当たり前のように受け止めている少女がいるだけだった。



「いや、怒れよ! 自分の命を自分の知らないところで担保にされたんだぞ。もっと自分自身に拘ったらどうなんだ! さっきだってそうだった。勇者から受けた恩を仇で返すように自分を殺しにきたあの黒騎士。お前の足元で気を失っていたアイツにトドメを刺す時間は十分にあったはずだ」


「それなのにお前はのうのうと逃げる奴らを見逃していた。その前は自分を攫って売り飛ばそうとしていた連中を命懸けで守ろうともしていたな。俺が他人の生き方にどうこう言う気はないが、…………ないが、もう少し自分を大事にしたっていいんじゃないのか」


 彼の言葉は、確かに勇者へ向けて放ったものだったが、目に見えない何かを否定しようともがく慟哭のようでもあった。


「……あなたの言うことはよくわかりません。怒るというのならちゃんと私は怒りましたよ。レベルを勝手に下げられては、これからの旅の目的を果たせなくなるかもしれないし、何より誰も守ることができなくなるから」


「ですが、自分自身の命とはそんなに大事にしなければならないものなのですか? 私はあらゆる人々の救い手になるようにと望まれて生まれたのです。大事にするというのなら、私はその生き方を大事にしています」




「─────────────────────────────────────」




 生まれたわずかな空白の時間。その時間をもって魔王は勇者と自分の間にある決して埋まることのない隔絶を理解したのか、



「……もういい。別にどうでもいいことだった。もう封印だってどうだっていい。封印されていようと今くらいの力があればとくに不便はない」

 先ほどまで膨らんでいた殺気も消え、魔王は勇者に背を向ける。


「だが、あの黒騎士の話だとお前らは大境界の先を目指すんだろう? なら、やはり一緒にいるわけにはいかないな。俺はあそこに戻りたくなくて、あそこに戻るわけにはいかなくて、誰も俺を知らないこの土地で暮らしていたんだから」


 それは、何かに諦めたような。諦めたくない何かから逃げるような言葉だった。



「ちょっとー。あんたはそれで良くても、魔王にどこそこほっつき歩かれたらこっちが困るのよ。言ったでしょ、私の中にあんたの魂を確保している以上、一定の距離を超えて離れることはできないんだって」


 魔王の投げやりな態度に異変を感じたものの、聖剣である彼女の意見も変わらない。魔王を連れて、大境界の先を目指す。そこにこそ勇者とは別の彼女自身の目的があるのだから。


「ああ、そんなことも言っていたな。だが離れられないのなら答えは明確だ。お前たちが付いてくればそれでいい。視界の隅で大人しくしているのなら同行を許してやっても構わない。……もし自分の足でついてくるのが嫌だと言うのなら、仕方がないから俺が運んでやる。まあ、その場合邪魔な手足は切り落とすが」


 先ほどより、魔王の方から背筋が凍るほどの冷たい風が吹いているかのようだ。事実、彼から滲みでる魔素によって周囲の草花が徐々に黒く変色していく。

 返答次第で斬る。そう彼の視線が告げている。


「どうしても、言葉では納得してくれないのですね」


 対する勇者は静かに戦う覚悟を済ませていた。いや、覚悟と言うのならそれは遠い昔に既に胸に刻んでいたのか。


「ただ、一つだけ、聞いておきたいことがあります」

 白い光に包まれながら、勇者は魔王に問いかける。


「この10年間、あなたはあの城にずっといたのですか? 例えば2年前、魔王軍が人類への大侵略を行なった時、例えば1年半前、ある村が魔王軍によって皆殺しとなった事件。それに、あなたは関与していないと?」


 この一瞬のみ、眩い光を纏いながらも、彼女の瞳には昏い炎が灯っていた。


「ここ10年の軍の動向は知らない。ずっと城に一人でいたからな。ただ、何年か前に軍が大規模に動いたっていう噂を聞いた程度だ。それがどうした?」


 魔王の心は既に昏い感情で渦巻いていて、勇者の機微には気付かない。ただ、だからこそ彼の言葉には一切の偽りや隠し事が見えなかった。


「そうですか。……いえ、それなら良かったのです」


 そう言って勇者は少し目を瞑った。それと同時に彼女が纏った光も徐々に収束して消えていく。再び目を見開いたには普段と変わらぬ、美しい銀の瞳が輝いていた。


 反して、彼女の服装には明らかな変化が顕れていた。


 真白なフードと連結した長いコート。引き絞られたウェストからは多くのレースに編まれたドレスのように足元までスカートが延びている。そして正面から見るとスカートは半ば左右に分かれ、膝から先の眩い脚が覗く。


 背中や肩のあたりからは風もなく衣装が舞い上がり、まるで翼のように広がっていた。胸周りこそは材質のよく分からない軽鎧で覆われているが、それは戦姿というよりは、たった一人で世界に嫁いでいく花嫁衣裳のようだった。


「レーネス・ヴァイス。前回の城の戦いではこれを纏う隙がありませんでしたが、これが私の持ちうる、最高の防御兵装です」


 静かに勇者は告げる。

 もちろん彼女が前回の魔王との戦いで手を抜いていたわけではない。勇者のこれまでの戦績の中でこれを纏った回数は片手で数えられるほどである。


 これを纏う必要がないほどに、彼女の肉体の防御性能はあらゆる魔族や魔物の攻撃を無力化しきっていた。防御に能力の比重を移せば攻撃が疎かになる以上、今まではあえて白無垢レーネス・ヴァイスを使うような機会はほとんどなかった。


 しかし今、彼女はこの男の力量を理解している。例え自分と同じレベルにまで抑えられていたとしても、この魔王なら自分に通じる攻撃を必ず繰り出してくると信じている。それ故、最適の答え応えとして、この姿を選んだのだった。



「……美しいな。まるで花嫁姿だが、それだけ白ければ死装束と変わりがない。……まあいい、そちらに防御を固めるつもりがあるのなら、勢い余って殺してしまうことはなさそうだな!」


 魔王の言葉と共に周囲に膨大な魔素が溢れ出してゆく。

 彼とて黙ってこの光景を眺めていたわけではない。彼の中の魔素を生成する炉心は今までの会話の間も加速し続け、先ほどの戦いで消費した体力もすでに全快にまで回復している。


 黒騎士との一戦でこの肉体での暖機運転も終了した今、魔王の肉体に生じていた違和感の大部分は消失していた。


 確かに聖剣の封印によって、魔王の力の源たる、魔素炉心の最大生成量、最高生成速度が大幅に低下しているがそれは大きな問題ではない。何故なら彼はもとより、魔王となってからたったの一度も自分の全力というものを出したことがなかったのだから。


 彼の約200年に渡る人生、己の身を振り絞って力を出す機会もなく、全ての物事は彼の半分の力も必要とせずに決着していた。


 それ故にたとえ封印を受ける身であろうとも、炉心の回転数を上げる時間さえあれば、普段と遜色ない程度の力を行使することは可能なのだ。


 前の戦いの時と違い今回は油断はない。魔王は今回こそ『全力』をもって自分の未来を守る為に目の前の勇者を打倒しようとしていた。


 

 勇者と魔王、これは二度目の戦いではあるが、前回のはお互いがお互いを取るに足らない相手と油断していたランダムエンカウントのようなものだった。


 今ここで初めて、勇者と魔王、お互いがお互いを明確な自身の敵として、それぞれの尊厳を賭けて対決する。

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