第9話 結婚式とエビとブロッコリーのサラダ

遠征から戻られた侯爵様をお迎えに出た瞬間、突然の宣告を受ける。

「エルヴィラ、来週結婚式をすることにしたから、支度を急いでくれ」

「はい……え、支度、ですか?」

「来週、結婚式を執り行う」

「えっ」

 周りの皆様も『えっ』という顔をされる。それはそうでしょう。

「引っ越しもできるだけ早めに頼む」

「ええと……」

 周りを見回すと、頷け、と合図される。そうですよね……。

「わ、わかりました」

 遠征から戻られたばかり、という割にはお元気そうで何よりですが、いったい何がどうして?!


 ***


 教会の鐘が鳴り響き、列席者が立ち上がる。

 私は今、結婚式の真っ最中……なのですが。

 王族の皆さま、ご予定の調整が早すぎません?!

 公爵様のあの言葉から1週間後、本当に結婚式が執り行われてしまいました。それに伴い、寮を早々に引き払って公爵邸へお引越ししたり準備したりと大変だったし、そのせいで今へとへとですし、何よりこの緊張感たるや私のアレを煽ります。

 ……我慢です。

 いや、鳴りそう。

 いえいえ我慢です。

 無理、鳴りそう……!!!

 こんな厳かな式典の最中に『あの音』を鳴らす訳には……!!

 グゥ、とその音が鳴りかけたとき、公爵様が私の手をぎゅっとにぎる。顔を上げると素知らぬ顔で神父様を見ている。

 ここは大聖堂。鮮やかな大きいステンドグラスから光が差している。この聖堂での結婚式の招待が届く度に素敵だなぁと眺めていた場所に今、立っているんだ。前回の結婚式の比ではない。そして隣に立っているのは侯爵様。そういえば聖堂に入るとき、小さな声があちらこちらで聞こえてきたのを思い出す。

「顔色がよくなられた」

「痩せすぎていたのが心配だったけれど、ずいぶんと復調されたようだ」

 それは確かにそうなのだ。侯爵様はここ数週間で、数キロの体重を得た。それは偏に私の料理と魔力のおかげ、と自負できる確実な成果でもある。これは自分も胸を張っていいのかもしれない。そう思って侯爵様を見上げ、しゃき、と背を伸ばし、改めて深呼吸した。お腹は少し収まったよう、だった。

 神官様の言葉をいただき、跪いて額にそっと口づけを受けた……瞬間、思い出した。

 初めてじゃないですか?侯爵様が私に触れたの!

 その瞬間、かっと顔が熱くなり、緊張感がどっと戻ってきてしまった。だめ、まって、今じゃない!

『ぐるるるるきゅうううぅぅぅ』

 しいん、と静まり返る聖堂にひときわ大きなおなかの音が鳴り響く。跪いたまま顔を上げられずにいると、侯爵様が手を取って私を立ち上がらせてくれた。聖堂は何事もなかったように式次第が進み、おおむね滞りなく式を終えることができた。時々お腹の音で式を止まらせてしまった他は。


 ***


「そんなに……ふっ、落ち込まなくてもいいだろう」

「いや……一生に一度のあんな晴れがましい場で……大変な恥をかかせてしまい……」

 かなりのことをしでかした気がするけれど、侯爵様は意外にも上機嫌のようだ。

「恥をかいたのは君で、私ではないだろう」

「そんなはっきりと」

 でも、そう言われてちょっとだけ気が楽になった気はした。

「大体、列席者の多くは君のことを知っている人たちだ。大丈夫なんじゃないか」

「そうでしょうか……」

 項垂れたままで答える。本当にそうでしょうか。晴れ舞台であんなことをして。

「まぁ、今まで出席したどの式典よりみんな楽しそうだったとは言っておく」

「やっぱり面白かったんじゃないですか……!」

 実際、笑顔の多い式であったことは間違いない。披露宴が行われるまでのこの待ち時間も、侯爵様が楽しそうにしている様子が珍しい。その顔を見ていたら、まぁいいかという気持ちにもなってきた。そもそもこの間に何かつまんでおかなくては、この後の披露宴でさっきの二の舞になってしまう、とテーブルの上にある小さな器に盛られたオードブルに手を伸ばす。うん、おいしくできている。

「あとで何かこう、言っておいてくださいね……皆様に」

「わかった」

 本当にわかっておられるかしら……。結局、披露宴の会場もかなりの和やかさで、確かに今まで見てきた結婚式よりは緊張が少なく居られた気はするけれど。

「おっ、はらぺこ姫」

 侯爵と離れた時間に、そう声をかけられて振り向く。顔なじみの騎士の方々だ。

「この度はご結婚おめでとうございます。今日の料理もあなたが作られたんですか?」

「ええ、少しだけ。メニューは侯爵様と決めましたよ」

「え、この……野菜たっぷりメニューをですか?」

 立食のテーブルの上にはたくさんのオードブルが並んでいるけれど、色とりどりのお野菜も多い。どうやら侯爵の野菜嫌いは割と公然としていたようだ。

「最近はお野菜もたくさん召し上がられるんですよ。こちらも侯爵様の好物です」

「これ?え、ブロッコリーですよ?!」

 にっこりと微笑み返す。そう、苦手と言われていたブロッコリーも大好きになられたんです侯爵様は!

「まぁまぁ、美味しいから食べてみてください」

 それは茎をそぎ切りにし、少し歯ごたえを残す程度に茹でたブロッコリーと、ぷりぷりのエビを一緒に和えただけのシンプルなサラダだ。エビの甘さがブロッコリーの青っぽい香りをうまくまとめてくれる。今日はパーティらしく茹で卵も乗せてみた。

「あっ、なるほどこれは……」

「うまいだろう」

 侯爵様があいさつ回りから戻ってきて、自分の背中超しに騎士に声をかけた。みんな背筋がピンと伸びる。

「侯爵閣下、本日はご成婚おめでとうございます」

「うん、楽にしていい。食事も楽しんでくれ」

「ありがとうございます」

 どうやら私が思う以上に、侯爵と騎士たちは仲がいい。楽しそうに食事をとる様子にこちらも気持ちがほわりとなる。

「こちらは追いマヨネーズをするとさらにおいしくなります」

 そう言ってサラダにテーブルにあった器からマヨネーズを追加すると、周りから歓声が上がった。グリーンのブロッコリーとサーモンピンクのエビ、白と黄色の茹で卵にペールイエローのマヨネーズがかかると、えも言われぬ声が漏れる。騎士たちはサラダにとびつき、その間に私は侯爵様とその場を離れた。

「あまり気安く隊の者と話すのも困りものだな」

 耳元で囁くようにそう言われる。

「侯爵様が、なにか困りますか?」

「……いや、うん、どうだろう」

 そもそもが契約結婚なのだ。それとも私が騎士と浮気をするとでも?そんなことしません!と言っても納得はしないんだろうなぁ。

「ともかく、君はもう侯爵夫人なのでそのつもりでいて欲しい」

「はい、その点については頑張ります」:

 そういう契約ですからね。


 [続く]

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