9 美少年の言葉

 わたしが小原さんを連れて到着したのは、中庭──小原さんと朝陽くんが毎日水やりをしている花壇の前だ。

「ねぇ、なんなの、アンタ」

「…………」

 小原さんが不気味そうに問いかけてくるけれど、わたしは答えない──答えられない。

「ちょっと、聞いてんの?」

 何も言わないわたしにしびれを切らした小原さんは、つかまれていた手を振り解いて、わたしの顔を覗き込んできた。

「…………多田、泣いてんの?」

「……ひぐっ」

 わたしの目からは、涙がポロポロと溢れ出て、頬を伝って落ちていく。

 泣いていて、声がうまく出せないから、何も言えなかった。

 わたしは制服の袖で、両目を乱暴にこすった。

「だ、だって……、小原さんが……」

「ウチが?」

 小原さんは聞きながら、ハンカチを差し出してくれた。

 ……レンくんの言う通りだ。

 わたしはハンカチを受け取って、目に押し当てる。

 小原さんのこと、わたしは何も知らなかった。知ろうともしないで、嫌われることに耐える──何も行動しないくせに、いつか変われと祈っていた。

 誰にも、悩みを聞いてもらえない小原さん。

 友達がレンくんに詰められたときは、進んで庇って、代わりに謝っていたのに。

 その友達が、小原さんをないがしろにする。

 なんで、小原さんの友達は、小原さんが悩んでいることに興味がないの?

 なんで、こんなにいい人が、あんなに雑な扱いを受けなきゃいけないの?

 クラスの花壇の水やりも欠かさずしていて、気配りもできて、教室の隅で本を読んでいるわたしに、こうしてハンカチを差し出せる小原さんが。

「……ほら、そこのベンチ座りなよ」

 ハンカチを抱えたまま、ずっと泣きじゃくっているわたしを、小原さんは花壇横のベンチに誘導した。

 わたしはうなずいて、示されたベンチに腰を下ろす。

「……どう? 落ち着いた?」

 心配そうに、問いかけてくる小原さん──その間、背中をずっとさすってくれていた。

「……ひっく、うん、あり、がとう……」

 わたしは必死で呼吸を整える。

 事情を説明しなきゃいけない。

 わたしが泣き止むまでそばにいてくれた小原さんは、やっぱりいい人だ。

「わたし、わたしさ……」

「うん」

「小原さんの悩み、知ってるよ」

「え……」

 大きな瞳を、さらに丸くする小原さん。

 わたしは、大きく深呼吸をした。

「朝陽くんが好きだってこと、知ってる。だって、わたしと同じだから」

「…………」

 小原さんの顔が、だんだんとうつむいていった。

 ……やっぱり、小原さんにとって嫌なことを言ったかもしれない。

 わたしは魔法で朝陽くんの心を奪い取ったんだから。

 よく考えたら、好きな男子から好意を向けられている女子に、同じ男子に恋をしている悩みを持ってる、なんて言われたら、腹が立ってもおかしくない。

 ……平手打ちされても、文句は言えないくらい、性格の悪い女子になっているような……。

 でも、言わずにはいられなかった。

 誰にも興味を持ってもらえない、悩みを打ち明けられない小原さんと、自分があまりにも重なってしまって。

 家族に理解されない、できそこないのわたしに。

「……ウチ」

 長い沈黙のあと、小原さんが口を開いた。

 わたしは引っ叩かれるのを覚悟して、続く言葉を待つ。

「みんなに、明るくて悩みのないバカだって思われてるからさぁ……」

 平手は飛んでこなかった。

 小原さんは、笑っていた。

 笑いながら──泣いていた。

「……誰も、ウチの話なんて……っ、聞いてくれない……!」

 可愛らしい瞳から、次から次へと溢れてくる大粒の涙は、木製のベンチに落ちて、そのまま丸いシミを作った。

 小原さんの涙が、わたしの中に入ってくるみたいに、わたしの目からも、涙が溢れてくる。

 わたしは、小原さんの手を取った。

 今度は、手首をつかむんじゃなくて、彼女の右手を優しく包んだ──幼稚園だった頃、キレイな石を抱えて帰ったみたいに、優しく。

「わたしが聞くよ。小原さんの悩み、聞きたい」

「…………っ」

 そこから先は、声にならなかった。

 小原さんは黙って、わたしを抱きしめてくれた。

 わたしの右肩に、小原さんのアゴが乗る。暖かい雫が、ポタポタと垂れてくる。

 わたしも、小原さんの背中に手を回した──昼休みが終わるギリギリまで、わたしたちは静かに泣き続けた。

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