ハルコさん

第1話

「万引きしようぜ!」陽気な声色とミスマッチな物騒なセリフが耳に飛び込んできた。声の主はたった今私の横を走り去っていった少年二人組のどちらか。背丈からして小学校低学年であろうその二人はそのまま目の前のスーパーマーケットに入っていく。おいおいおい待て待て早まるな少年たち。犯罪だぞ?分かっているのか?少なくとも私の行きつけのこのスーパーで問題を起こすのはやめてくれ。店に入り、生鮮コーナーで目当てのものを急いでかごに入れた。さあ、あの小僧どもはどこだ?調味料コーナーを抜け、生活用品売り場を曲がったところに、奴らはいた。お菓子コーナーだ。楽しそうに話しながら、棚のスナック菓子やチョコ菓子を取っては戻し、取っては戻ししている。どれを盗るか選んでいるのか?いやいや、それは流石に考えすぎかしら。と、左側の、背の低い方の少年が手にしていたチョコ菓子をポケットに入れた。仕方がない。これはもう声をかけるしかないだろう。子曰く、義を見てせざるは勇無きなり。昨日生徒に暗唱させた孔子の言葉が脳裏に浮かぶ。覚悟を決め一歩踏み出したところで、背後から肩をつかまれた。

「あの、すみません。ちょっとご同行願えますか。」振り向くと、20代前半くらいの男性店員が立っていた。まさかご同行という言葉が自分に向けられる日が来るとは。恐怖や焦りと同時に興奮すら覚える。

「とにかく、来てください。早く。」

男性店員に腕を掴まれ、連行される形で鮮魚コーナー横の〈STAFFONLY〉の扉を通過し、公園の多目的トイレ程度の広さの、狭い部屋に通された。薄暗く、埃っぽい嫌な感じの部屋だ。この部屋をもうちょっと垢抜けさせたら店員の接客態度も改善するんじゃないのかしら?などとのんきに考え事をしていると、先ほどの男性店員に、前のパイプ椅子に座るよう手で促された。大人しく言われたとおりにすると、彼が口を開いた。

「あ、不審者さん、水飲みます?」

「は?」

「すいません、お茶とかなくて。でも一応水道水じゃなくてウォーターサーバーのやつっすよ。」

「いや、そうじゃなくて、不審者って何ですか。私、何も…」

「あ、そっちすか、すんません」こんなところまで連れてきておいていい加減な態度のこの男にだんだん腹が立ってくる。とにかく一刻も早く誤解を解いて帰してもらおう。

「あの、私不審者じゃないです。ここで夕飯の買い物をしていたただのしがない国語教師です!」私が大きな声を出したことに一瞬肩をびくっとさせたが、すぐに

「あー、えっとそうっすよね、はい。へー、先生なんすね。」と気のない返事をした。

「そうっすよねって、私あなたにここに連れてこられたんですよ?不審者って言ったのもあなたですよね?」一体何がしたいのかわけのわからないこの男に思わず語調が強くなる。

「そっすよね、すいません。いや、あの、子供を付けてる怪しい人がいるって他のお客さんから言われて。で、ほっとくわけにもいかないんで、こっちとしても。だから来てもらったって感じです。すいません。」

「それはあの子たちが…、あ、そうだそうですよ万引き!万引きするかもしれないですあの子たち!止めないと!」そうだ、こんなところで油を売っている場合ではないのだ。

「万引き?何すかそれ」この店員にも流石に万引きという言葉は効いたようで、慌てた様子で聞いてくる。私が事の次第を説明すると、少年たちが会計をしたかどうか確認してくれると言った。

「まだ時間たってないから店内にいるかもしれないんで、探してもらえると思います。なんか服装とか、特徴とかわかります?」

「えっと、二人組で、片っぽが赤いキャップ被ってました。で、白いTシャツです。もう片っぽは、紺色の服だった気がします。あとは…」

「ありがとうございます、十分です。」そう言って初めてにっこりとほほ笑んだ。なんだ、できるなら最初からその親切そうな顔すればいいのに。男性店員はしばらく無線で話していたが、やがて「そうですか、ありがとうございます。」とほっとしたような声を出し、こっちに向かって親指を立てながら振り向いた。

「レジで仮面ライダーチョコ二つ買っていったそうです。」

「はあ、そうですか、良かった。」全身の力が抜け、椅子の背にもたれかかる。知らない子供のことにここまで真剣になってしまうのは職業のせいか、歳のせいか、彼らのせいか。

「じゃあ私、もういいですか。」そう言って扉を指さした。

「ああ、そうっすよね。ホントすいませんっした。気を付けて。」

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