第3話 迷い家の管理事情
「迷い家って、
「ああ知っているのか、それなら話は早い。だいたい似たようなものだからな」
「え、じゃあ私は大金持ちに?」
「残念だが金銭は発生しない」
「チッ」
「やはり強欲で野蛮! 主様追い出すべきです!」
また狸が顔を半分だけのぞかせ、キーキーとわめき出す。
「うるさいな。鍋にしてやろうか」
わざと低い声を出してやると、狸はまた「ヒッ」小さく飛び跳ね、転がるように部屋から駆け出していった。不由はフンと鼻を鳴らして男の方に目を向ける。
「迷い家って普通無人じゃないの? あの狸はどうでもいいけど、あなたは誰なの? 狸の親玉?」
「私はこの辺の川の管理人だ。この迷い家にも前は管理人がいたんだが今は空席状態でね。一時的に私が管理している」
「川の管理人……? まあそういうことにしたいなら、そういうことにしとくわ」
「それはどうも」
「で、」
破れて焦げ茶色に染まった上着の裾をつまむと、大量の血を吸ったらしい布は硬く固まっていた
「これ、私の血でしょ? 私はもう死んでるの?」
「生きている。条件付きだが」
「条件?」
男の言葉に不由は眉をひそめる。
「そう。君がこの家の管理人になるなら君の命は維持される」
「は?」
「迷い家の管理人には報酬が与えられる。君は今それを前借りすることで命をつないでる。だから管理人にならないなら、報酬は発生せず、死ぬ」
「……は?」
つまり、不由は死ぬところだった――もしくは死んでいた――が、迷い家の管理人に与えられる報酬を前借りする形で治療を受けて生き延びた。
でもそれはあくまでも『管理人に就任した場合の報酬』を前借りしている状態なため、就任しなければ報酬である治療もなかったことになり、死ぬのだ、と。
「ちなみに一つ前の管理人は君の祖父だ。彼が没してからはずっと空席になっている。そろそろ誰かにやってもらいたいと思っているところに折よく君が降ってきたから、丁度いいと思って管理人に据えてみた」
「……降ってきたから丁度いい……」
男が不由の命をつないだ理由は、別に彼女を助けたいとかそういうものではなく、たまたまそこに不由が文字通り『落ちて』いて丁度良かったから、ということだ。
「不満か? だが君には他に生きる道がなかった。死にたかったわけではないだろう?」
「そりゃ、死にたくは……なかったわ。……でも」
そう、死にたくはなかった。
だが、このまま終わってもいいと思ったのもまた事実だった。
もうすぐ中学は卒業だ。そうしたら別に好きでもない誰かのもとへ嫁に出される。
それはそれで平凡な幸せかもしれないが、決して不由の望むものではなかった。
「……もう何年かしたらどこかへ嫁に出されるし、それが遠い場所ならこの家に来ることもできないわ」
「それは問題ない。この家は決まった場所にあるわけじゃないからな」
「きっと、家の手入れをする時間だってないし」
「ああ、管理人といっても家の手入れは建物自体が勝手にやるから心配しなくていい。その布団だって勝手にきれいになる」
そこで男は言葉を切り、まじまじと不由を見つめた。
「……もしかして君は死ぬ理由を探しているのか?」
そう言われて不由はこてりと首をかしげる。
無意識だったが、言われてみるとそうかもしれない。
「……そうかも。積極的に死にたいわけじゃないけど消極的には死にたいのよ。生きるよりマシかも知れないじゃない」
「随分難儀な娘だな……」
男が呆れたようにため息を吐いた。不由はふん、と鼻を鳴らす。
「褒め言葉ね。……結局管理人ってなにをするの?」
「迷い込んだ者を正しい道へ導くのが迷い家の管理人の役目だ。君は迷ったものを惹き寄せる力があるから適任といえる」
「惹き寄せるって……やたらと物の怪が寄ってくるやつ?……もしかして、祖父もそうだったの?」
「ああ。今井の血だろうな。たまにそういう人間が生まれるようだ」
なるほど、今井家が『そういう家』というのは真実だったということだ。
不由は自嘲気味に嗤った。
「……祖父がどうだったかは知らないけど、私には誰かを導くなんて大層なことできないわ。あいつらだって寄ってはくるけど私を遠巻きに見てるだけだし」
「なに、声をかけて招き寄せてやれば寄ってくる。そうして話を聞いてやればいい。適当に聞いてやれば満足して帰っていく」
男は涼しい顔で不由の『できない理由』を潰していく。不由は男を睨みつけてむうっと眉を寄せる。
「あなたは自分がここの管理人をやめたいからって適当に答えてない?」
「適当ではなく考えて答えている……君の祖父は君に幸せになってほしいと言っていた。多分彼なら今ここで君を死なせることは望まないと思う。私はできるだけ彼の望みに添いたい」
真面目な顔で男が答える。
不由は祖父のことなど覚えていないし、祖父が不由のことを気にかけていたなんてことも聞いたことがなかった。
「……どうだか。幸せになってほしいなら、こんな『不自由』そうな名前つけないでしょ」
その不由の言葉に男は不思議そうな顔をして、しばらくの後に「ああ」となにか思いついたような声を出した。
「そうか、君はその名前の由来を知らないのか」
「……あなたは知ってるの?」
「本人から聞いている。尚行は孔子の熱烈なファンだった。その中でも一番気に入ってたのが『
「行不由経……?」
「意味は自分で調べるといい。論語関係の本ならそこの書棚のどこかにあるから」
指し示されたあたりには確かに論語に関するようなタイトルの書籍が並んでいた。
「彼が報酬として望んだのは学ぶことだった。こんな田舎では学問など何の役にも立たないといいながら、夢中になって読んでいた。おかしな男だったよ」
そうつぶやいた男は、今までの淡々とした様子とは違い、少しだけ懐かしそうに目を細めていた。
不由が全く覚えていない祖父と彼は確かに友人だったらしい。男の目が不由に向けられる。
「君も同じではないのか? 生きていなければ学べないぞ」
「……分かったわ。とりあえず名前の由来を調べるまでは生きてみる」
「うん。とりあえずそれでいい」
うんうん、とうなずく男の後ろに、先程逃げ去っていった狸がまたひょこっと顔を出した。
「おい娘! 主様が言うから仕方なくここにいることは認めてやるが、まずはそのみすぼらしい格好をどうにかしろ!」
キーキーと喚く狸の言葉に、不由はやっと自分の格好がひどい格好をしていることを思い出したのだった。
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