ALLiWs0 真実までの物語 第3巻

@cbayui

断章 彼方の物語

 彼岸空けの空港は家族連れも多く、そこかしこで小さな子供のはしゃぐ声が聞こえた。北国とはいえ初秋の空気は日差しに温められて暖かい。そんな中、男と女は何とも言えぬ距離を保ってベンチに座り、搭乗時刻を待っていた。

「兄さんも大変そうだ、彼岸の時期まで急な仕事が入るなんて。それに、お義姉さんだって振り回されて……」

 そう話しかけてきた義弟に、女は少し切なげに笑って答えた。

「私は大丈夫ですよ。自衛隊員である以上、ある程度家庭より仕事を優先しなければならないのも分かっていますし。あの人と一緒になるのを決めた時に、応援しようって覚悟しましたから」

「それはそれは、そんな風に言ってもらえるなんて兄さんは幸せ者ですね」

 女は今度は照れ気味に、小さな花が開くように顔をほころばせた。

 自衛隊員である夫の実家へと帰省した女は、仕事の都合で先に東京へ戻った夫を追うようにして帰路につくところであった。元々夫が使う予定だったチケットを急遽東京へ向かう用事ができたという義弟に譲ったために、この二人は北海道から東京へ、二時間弱のフライトを共にしようとしていた。

 飛行機に乗り込み、よもやま話を続ける。かたや、自衛隊員の夫を支える妻。かたや、多忙な自営業を営む義弟。忙しさゆえに親戚同士で関わる機会も多くないため特筆すべきほど親しんでいる訳でもないが、お互いの誠実な性格のお陰もあって二人はそれなりに良好な関係を築けていた。

「そういえば、いきなり東京に出かけることになったとは聞きましたが、どういったご用事で?」

 通路側に座る女が義弟にそう話しかけた。義弟は普段あまり北海道から出ることがないのだ。

「ああ、これはですね……実は、大きな仕事を請け負うことになったんです。その打ち合わせのために東京へ。報酬のとびっきり弾む仕事で、失敗できない大勝負です。打ち合わせが終わったらまたすぐUターンしなきゃならないんですが」

「まあ、大変……いつかお体を壊してしまわないか心配です」

「ご心配ありがとうございます。でも、自営業にとっては信用が第一ですから、多少の無理は当然だと思っています。ほら、兄さんみたいな自衛隊員とか公務員なんかは、それだけである程度の社会的信用を得られますけど、僕ら自営業の人間はそうはいかないですから。その分、体を壊さない範囲で、できる限り仕事を取れるように頑張らないと」

「なるほど……とても素敵なお考えだと思います。なんというか、真面目なところはあの人にそっくりですね。さすがご兄弟」

「はは、そうですかね? 僕は兄さんほど立派ではないですが、そう言われると嬉しいです」

 義弟は兄によく似た親しみやすそうな笑顔を浮かべる。と、ちょうど機内に離陸のアナウンスが流れた。何となく無言になって待っていると、シート越しに滑走路からの振動が伝わってくる。

「飛行機に乗るのは久しぶりだから、ちょっと緊張します」

「私も、あの人と一緒になるまではほとんど乗らなかったのでまだあまり慣れませんね……とはいえ、飛行機はかなり安全な乗り物といいますし、しばらくは空の旅を楽しむとしましょう」

 やがて振動はふっと消え、窓の外の景色がぐんぐんと下方へと遠ざかっていった。その様子をひとしきり眺め終えると、義弟はくわっと大きなあくびをした。

「……すみません、少し疲れが溜まっているようで」

「いえいえ、お構いなく。私も少し眠くなってきたので、東京に着くまでひと眠りしてしまいましょうか」

「そうですね。もし何かあれば、遠慮なく起こしてください」

 二人はそう言って、シートを傾けて眠りについた。


「ん…………」

 目を覚ました女が窓の外を見ると、まだ飛行機は雲の上だった。離陸の時刻からは50分ほど経っているから、行程の半分ほどが過ぎた辺りだろうか。隣の義弟はぐっすりと眠っていて、起きそうな気配もない。周りの席の人たちは同行者と歓談したり、機内サービスの飲み物を口にしたりしていて、女は眠って過ごしてしまったことを少し後悔した。

「今度乗る時は、寝ずに過ごしてみようかしら」

 そんな独り言を言って、女は再び目を閉じようとした。


——————パァァァンッ!


 機内に、凄まじい音が響き渡った。爆発でも、衝突でもない、なにかが破裂するかのような甲高い音。隣で眠っていた義弟がびくりと身を起こし、辺りを見回す。

「お義姉さん⁉ いったい、何が起こったんです?」

「分かりません、急に……」

 周囲の乗客もざわついている。

「何かにぶつかったんでしょうか?」

「さあ……何かアナウンスがあればいいのですが」

 どこかから、混乱した乗客の小さな悲鳴が聞こえてくる。不安そうな乗客に囲まれ、女と義弟はなすすべもなく、ただ顔を見合わせていた。

 ガチャリ、と乗客たちの頭上で無機質な音がした。

「これって……」

「酸素マスク、ですよね?」

 自分たちの乗り込んでいる機体がただならぬ事態に陥っているのだということを、乗客たちも理解せざるを得なかった。



   * * *



 機体の残骸と血肉が飛び散る山奥に、その場に似つかわしくなく冷静な人間が数名、黒いマントのようなものに身を包んで現れた。

「はあ、はあ……これで本当に計画通りなんですか? こんな山奥に落とすなんて、ここまで来るのに随分苦労しましたよ」

 やや特徴的なアクセントの日本語で若い男の声が問うと、先頭を行く体格の良い男が振り返った。彼の醸し出す雰囲気は、さながら部隊の隊長といったところだ。

「全くもって計画通りだ。こうでもしなければ、救助隊や近隣住民がすぐに辿り着いてしまうだろう? そういう輩に我々の存在が知られることは望ましくない。この国にとっても、かの国にとっても……」

「それは、もちろんのことですが……」

 男たちの多くは、山道を急ぎ歩いてきたために息を切らしていた。そんな彼らをよそに隊長らしき男は淡々と指示を出す。

「分かっているなら無駄口を叩くな。さっさとこの死体ゴミの中から使えそうなのを探せ。男と女一人ずついれば文句はないが、とにかく生きていそうなやつがいればまず報告しろ。機体の中は探すな、侵入の形跡が残れば我々の関与が疑われる」

「はあ、しかし外に放り出された人間が生きている可能性は……」

「かなり低い。そんなことは百も承知だ」

「もう少し手柔らかいやり方は無かったんでしょうかね?」

「さあな。我々のような末端の人間は、上の言いつけを守って動くだけだ。上がそうしろと言うのであれば従うしかない。格上の人間が正しく、格下の主張は全て間違い……世の中はそんな風に成り立ってるんだ。我々は指示通り行動し、報酬を貰う。それだけの話だ。そうやって地道に働き続ければ、いずれ元の生活に戻ることができる」

「でも……」

 部下のうち数人は、辺りの惨状に吐き気を催しているようだった。

「どんな人間だって、自分の人生を維持することが最優先だ。生きるために大なり小なりの犠牲を払っているのは誰も同じ。それに、この国の人間がどうなろうと我々の知ったことではない。お前は自分の家族とこの国の人間、どちらの方が大事なんだ?」

 そう問われ、部下の男は一瞬遠くを見るような目をしてから、細い声で答えた。

「そんなの、家族に決まってます……」

「だろう。だったら、綺麗事は捨てろ。俺もお前も、贅沢を言っていられるほどの余裕はないんだ」

 と、遠くから部下の一人の声がした。

「すみません! こいつ、生きてますかね……?」

 彼の指さす先はちょうど木々が途切れ、枯葉が溜まっている場所だった。近づいて見てみると、運よくそこに落ちたのだろう、辛うじて息が残っている人間がそこに倒れていた。

「なるほど、ならばこいつでいい。男で……三十代くらいか? すぐに連れていけ」

 やって来た男たちの声に気が付いたのか、倒れていた男が声を絞り出した。

「あ……あん…………た………………ら…………………………」

「おっと……その体じゃ話さない方が身のためだ。心配するな、お前を殺しに来たわけじゃない。少し手伝ってほしいことがあるだけだ」

「ぐ……はっ…………」

 簡易的な担架のようなものに横たえられた負傷者は、何か言おうと試みているようだった。しかし、激しく負傷した体では声を出すこともままならない。

「大人しくしていろ。我々の手助けをしてもらうことになった以上、あんたの体が使い物にならなくなったらこっちも困る。それに、そうなったらあんたも本来の筋書き通り死体に戻るだけだ。死にたかないだろ? 上の連中も、あんたが協力的であれば命の保証はすることになってる。あくまで、命を保証するというだけだがな」

 そこに、部下らしき男たちがぞろぞろと集まってきた。

「申し訳ございません、こいつの他に生きている人間は……」

「ちっ……ならば仕方ない。おい! さっさとこいつを運び出すぞ」

 負傷した男は担ぎ上げられ、人の住む集落とは反対側へ向かって運ばれていった。

「むぐ……!」

「黙れ。お前の命はもうお前のものではない。俺たちと同じ、上の連中に握られた命だ。俺たちの行き先、エイリス——平和と安寧を目指す素晴らしき国、エイリスのな」

 あくまで、表向きは——と、隊長は心中で続けた。

「七十年前の悪夢の続き……必ず、終わらせてやる。我々自身の手で……」



   * * *



「……出ていけ……?」

 洋風の屋敷の玄関先に立つ混じりけのないブロンドヘアの少女は、その青い瞳を困惑に揺らしていた。目の前には仕立ての良いスーツに身を包んだ〝ご主人様〟が怒りも露わに立ち、自分を汚物を見るかのような目で見下ろしていた。

「ああ、そうだ。お前は今日から我と同じ立場の人間ではない。この屋敷にお前の居場所はないのだよ」

 彼が言っていることの意味は分かる。しかし、昨日までは辛うじて情を向けてきていたように思われた大人がそんなことを言ってくる意味は、少女には見当がつかなかった。

「ど、どうして……?」

「お前は我の思想に背いた。ただそれだけの話だ」

「そんな……なんで? わからない……」

 少女が泣き出しそうになったのを見て、男は心底面倒だといったように溜め息をついた。

「我の思想に背く人間は、ここには不必要なのだよ。さあ、さっさと我の前から姿を消せ」

 男は少女の肩を小突き、広い玄関の外へと追い出した。

「じゃあな。命だけは見逃してやったんだ。せいぜい同じ思想の人間と一緒に細々と生きていくことだ」

「ごしゅじんさま……!」

 少女——セレストのか細い声は届くことはなく、玄関の扉はバタンと大きな音を立てて閉ざされた。

 いつの間にか空には暗雲が立ち込め、しとしとと雨まで降り始めた。扉の前で立ち尽くしていたセレストには、濡れた地面に踏み出す以外の選択肢が無かった。

「これから……どうすれば……」

 厚い雲に太陽がすっかり覆われた空は、彼女の心を写しているかのようだった。

 ただ一つ、幼いセレストにも分かることがあった。ここにいてもどうしようもない。考えの異なる彼らと共に生きる術は、もう無いのだということ。

 雨が、傘を持たないセレストの長い髪を濡らした。どこか遠く、自分のことを受け入れてくれる人がいる場所へ行かなければいけない。その一心でふらふらと道を歩いていた。通行人はそんな彼女を不審そうに見やった。

「たすけ……」

 そこまで言いかけてセレストは口をつぐむ。弱音を吐いてはいけない。弱音を吐いてしまえば、その瞬間に自分を保っていられなくなりそうだった。それに、仮に話を聞いてくれる人がいたとして、もしその人も〝ご主人様〟と変わらない考えを持っていたとしたら……

「……あそこなら…………」

 エイリスのどこかに、居場所を失った子どもたちが暮らす施設があると聞いたことがあった。そこへ行けば、何とか命を繋ぐこともできるかもしれない。

「セレストが……セレストが、悪いのかな…………」

 雨粒に混じり、冷たい涙が少女の頬を伝った。

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