カメの校長先生

ㅤラジオ体操を、している。

ㅤ早朝に俺を叩き起した男は、隣でニコニコしながら俺と同じ動きをしている。キレがよすぎてもはやラジオ体操に見えないその様は、少し怖い。

ㅤ目が覚めて目の前に男の顔があったから、びっくりして叫んで突き飛ばしてしまったが、元気そうだ。


ㅤ前に目を向ければ、カメが腕を振り回している。二本の足でしっかりと立ち上がっているカメ。甲羅でバランスを取りづらくないだろうかと思うが、器用に体を動かしている。

ㅤ校長先生、らしい。


ㅤそう、ここは学校だ。

ㅤとはいえ生徒の姿は一人も見ていないのだけど。今日は休校日なのだろうか。カメと一緒に深呼吸をする。吸って、吐いて。吸って、吐いて。朝の冷たい空気が身体中に満ちていく気がする。健康になったかもしれない。カメも満足気に頷いている。


ㅤ清々しい気持ちで見上げた先で、校舎が崩壊した。


ㅤ轟音。


ㅤこちらまで届きそうな砂埃に、腕で目を覆う。


「な、何! 何!?」

「落ち着いて。爆発だよ」

「なんで!?」


ㅤいつのまにか背後に立っていた男が肩に手を添えてくる。視界の先ではひっくり返った校長先生が手足をバタバタさせている。慌てて駆け寄り、引っぱり起こした。


「爆破予告、本当だったんだね」


ㅤ呆然としているように見えるカメに話しかける男。


「爆破予告って」

「今朝、学校に届いたんだよ。だから今日は休校日」


ㅤそんな日にラジオ体操をさせられていたのか。この男は俺を殺す気か。項垂れるカメの肩を叩く男は笑顔だ。


「生徒は守れてよかったね」


ㅤぶん殴ってやろうかと思った。



ㅤカメの校長先生は学校に住み込みで働いていたらしい。生徒思いの校長先生ということで評判らしい。全て男から聞いた。


ㅤカメが帰る場所が無いと言うのでしばらく家に泊めることにした。俺の家であり、あの男の家である小屋に。


ㅤ男がどこからか引っ張り出してきた予備のマットレスをリビングに敷いて、カメの寝床にした。少し手狭だろうかと思ったが、三人暮らしは存外上手く回った。起きる時間が違うことも影響したのかもしれない。

ㅤカメは五時頃にはもう起きていて、男は八時頃から朝食を作り始める。十時に起きた俺が寝ぼけ眼でそれを食べる。


ㅤカメは毎朝ラジオ体操をしてから学校に向かう。俺は眠れずに過した日は、早朝のラジオ体操を一緒にした。俺が隣に立つと、カメは手をバタバタとして、嬉しそうにする。その様がなんとなく愛らしい。生徒達にも人気なんだろうなと思った。


ㅤ学校はしばらく休校だ。それはそうだ。校舎が無いのだから。ではカメは何をしに行っているのかというと、瓦礫の片付けだ。いつも切り傷を作って帰ってくる。


「手伝おうか?」

ㅤ何度かそう申し出たのだが、カメは毎回首を振る。


「危ないから君にはやらせられないよ、だってさ」

ㅤ珈琲を啜りながら男が言う。俺の分は? と言えば、ココアをくれた。なんでだ。


「適当言ってるんじゃないだろうな」

「お話しできないのも不便だね」

ㅤねー、とカメに同意を求める男。カメは首を傾げるだけだ。


ㅤカメが出かけて、男が出かける。男がどこに行っているのか、俺は知らない。

ㅤ二人がいなくなってどこか物足りないような静かな部屋の中で、俺はペンを手に取る。この部屋に来た日に男に渡された万年筆。それと原稿用紙。なんの真似かと思ったが、男は俺に「書いてよ」と言った。

ㅤそれだけだった。


ㅤあの男が俺の何をどこまで知っているのかはわからない。ここがどこなのかも教えてくれない。ただ、全てを受け入れるような笑顔で「書いてよ」と言われたあの日から、俺は物語を綴っている。男には見せていない。男も、見たいとは言わない。


ㅤあいつは変な奴だ。一度お前は誰だとたずねたことがある。男ははにかみながら、「君の恋人だよ」と答えた。

ㅤおかしな奴だ。どうしようもなくおかしな奴だと思ったが、面倒見はいい。それがなんとも言えず居心地が悪い。


ㅤそんな三人暮らしが続いたある日、カメが帰ってこなかった。

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異世界トリップしたら知らない男が恋人になっていた 伊予葛 @utubokazura

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