【番外編】納涼祭の思い出
神崎右京
第1話 出逢いの年
「のうりょうさい?」
女のような長い睫毛を湛えた薄青の瞳が不思議そうに瞬いて、隣の幼馴染を見上げる。
剣を持たせれば、化け物のような強さを発揮する少年は、顔だけを見れば、母親に似て酷く女顔だ。
「お前、まさか知らないのか?毎年、夏になるとやるだろう。行ったことないのか?」
「あぁ、あの街が賑やかになる催しだろ?エルム様には関係ない祭りだし、大抵家で神学の勉強してるか鍛錬してるな」
呆れたようなカルヴァンの問いかけに、リツィードは夏の眩い日差しに軽く眼を眇めて、興味がなさそうに答える。
英雄の血を色濃く感じさせる赤銅色の短髪から、汗が一つ滴り落ちた。
クルサール王国の夏は暑い。王立教会の裏庭の木陰に座り、少年二人は並んで涼みながら、気のおけない会話を続ける。
「お前、本っ当に人間味のない奴だな。何が面白くて生きてんだ」
「そんなこと言われても」
困ったように笑うリツィードは、答えを持っていないらしい。
カルヴァンが教会へ来て、初めての夏――色々あって、先日、やっとこの人間味の欠片もない少年と”友達”という関係性になったばかりだが、彼の本質はなかなか変わらないらしい。
「俺、本当に『嬉しい』以外はよくわからないし」
「はぁ……」
「お前が”普通”を教えてくれるんだろ?」
リツィードの問いかけに、左耳を軽く掻いて、呆れたように嘆息する。いつぞや、天使のような完璧な表情で「人が幸せになるのを見ると『嬉しい』」と心から言ってのけた気味の悪い少年の言葉を思い出したのだ。
かつて繰り返された昼間の追いかけっこは、いつの間にかじゃれ合いに代わり、今は手合わせへと変化したが、相変わらずリツィードには負けっぱなしだ。そして、負けたらリツィードの知らない『何か』について話をする、という約束事も、未だに継続している。
そうして、今日はいったい何の話をしようか――と考えて口にしたのが、『納涼祭』についての話題だった。
ここクルサール王国では、基本的に祭りと言えば、宗教色の強い祭りばかりだが、唯一、夏の暑さをしのぐために催される『納涼祭』だけは例外だ。
地水火風の魔法使いがそれぞれ活躍し、納涼の催しをする。大通りには出店が並び、大人も子供も関係なく、純粋に祭りを楽しむ日だ。
聖女と英雄の息子ともなれば、国一番の待遇を用意されて毎年祭りを観覧しているのだろうと予想し、下町の祭りはどんな風かを教えてやろう――と思ったのだが、まさか、『納涼祭』そのものを殆ど知らないとは思わなかった。
「はぁ……今まで毎年家にいたり鍛錬したりってことは、別に、当日は何かエルム教のお祈りをしなきゃいけない決まりはないんだろう?」
「あぁ。市民のほとんどが祭りに出てて、礼拝に来る人もいないから、教会も最低限の人しか残してないはずだぞ」
「そうか。……んじゃ、今年は俺に付き合え」
「えっ」
当たり前のように告げたカルヴァンの提案に、ぱちくり、とミオソティスの瞳が驚いたように瞬く。
「お前が今自分で言ったんだろ。市民のほとんどが参加する祭りだぞ。お前の大事な信者たちがこぞって参加してるってことだ。――どういう祭りなのか、知っておく必要があるんじゃないのか?」
まだ眼を瞬いているリツィードは、どうやら本当に、納涼祭に自分が出かけるという選択肢を考えたこともなかったらしい。
(ったく……本当に、放っておくと進んで”独り”になりたがる奴だな)
呆れて左耳を掻きながら、カルヴァンは胸中で呟く。
カルヴァンやリツィードと同じくらいの歳の子供であれば、親に手を引かれて、祭囃子に心を躍らせながら毎年の祭りを楽しむのが『普通』だ。
両親を亡くし、貧民街で這いずるようにして生きた経験のあるカルヴァンは、やや『普通』ではないが、王都の一等地に豪邸を構え、何不自由ない暮らしを約束されている目の前の少年が、祭囃子に耳を傾けることすらなくひたすら孤独に屋敷の中で剣を振って過ごすなど、もはや『異常』と言っていい。
「祭りは明後日の夜だ。あの五月蠅いお世話係のババアにキャンキャン言われないように、せいぜい根回ししておけよ」
「ババアは酷いな……」
昔からフィリアに心酔しているリアナを思い浮かべ、リツィードは一つ苦笑してから、しっかりと頷くのだった。
◆◆◆
「すっっ……げぇ……!」
キラキラと瞳を歳相応に輝かせ、リツィードは今日何度目になるかわからない感嘆の声を漏らす。その手には、屋台で買った串が握られていた。
リアナから厳しく上流階級としての教育を受けてきたリツィードは、出店での買い食いや食べ歩きなどもってのほかだ、と拒否反応を示したが、無理矢理『普通』を学ぶためだと言って納得させた。
幼い癖に既に剣胼胝が出来ている手を引いて、カルヴァンがあちこち連れまわすと、最初は賑やかな街の様子に気後れしていたようだったが、見るものすべてが新鮮だったせいだろう。いつもの聖職者然としたものとは違う表情が、チラチラと垣間見えるようになった。
新しいリツィードの表情を発見すると、ふっと心の底が温かくなるような気がする。
普段はめったに見せることの無い”人間らしい”表情に、カルヴァンは気を良くしながら、友人をあちらこちらに連れ歩いた。
「祭りのクライマックスだ。水の魔法遣いの晴れ舞台だからな。よく見ておけ」
「すご……本当にきれいだ……」
祭りの終盤、王都中央広場に造られたステージに、色とりどりの衣装を身に纏った踊り子たちが、水の魔法を使って周囲に水のアートを描くようにしてくるくると祭囃子に合わせて舞い踊る。
その幻想的な光景は、エルムに捧げる厳かな舞とはまた違う美しさで、リツィードはじっと息を飲んで見入ってしまった。
そんな友人の横顔を見て、カルヴァンも口の端に満足げな笑みを浮かべる。
美しいものを見て、感動し、綺麗だと言える感性をまだ持っていてくれてよかった。あまりにも人間離れした価値観で生きる少年だから、そんな当たり前のことすら、貴重なことに感じる。
「昼間の、土魔法で造られたゴーレムが太陽が動くのに合わせて日陰を造っていくのもすごかったし、風魔法遣いがギフトを風で舞い上げて街中にばらまくのも圧巻だった……日が暮れてからの炎のアートも、めちゃくちゃ綺麗だったし」
「日が暮れてからの催し――火と水のイベントを担う魔法遣いは、ただ能力が優れてるだけじゃ、選ばれない。繊細な魔法を使えるかどうかと、芸術的な素質があるかどうかも重要らしいぞ」
「すっげぇ……」
ステージの上で、舞と共に水しぶきを振り撒き、かがり火に照らされてキラキラと輝く踊り子たちを、口を開けて眺めながら、リツィードは感嘆の息を漏らす。
「どうだ、ツィー。……これが、『楽しい』ってことだ」
「!」
ニッと笑って告げられた言葉に、ハッとリツィードは息を飲む。
一瞬、動揺したように瞳を揺らした後――ふっと堪え切れないように、小さな笑いを漏らした。
「ふ……ははっ……そっか。うん。これが、『楽しい』って感覚なんだな」
それは、幼い日のカルヴァンが見つけた、後に稀代の聖人と呼ばれるリツィード・ガエルの、酷く”人”らしい素の表情だった。
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