流人、篁(9)
闇が広がっていた。
見渡す限りの闇である。
なぜ自分がその場所にいるのか、鍾鬼にはわからなかった。
「やっと、その姿を見せてくれたか、鍾鬼よ」
笑うような男の声が聞こえてくる。
その方向へと鍾鬼が顔を向けると、そこにはひとりの男が立っていた。
背が高く、涼しい顔をした男。
小野篁である。
「おのれ、篁っ!」
鍾鬼は吠えた。
その姿は、まさに獅子のようであった。
蓬髪の長い髪に、顔の下半分を覆うような立派な
それが篁にとって初めて見る、本当の鍾鬼の姿であった。
「鍾鬼よ、ここで決着をつけようではないか」
篁はそう言うと、腰に佩いていた太刀をゆっくりと抜く。
鬼切羅城。篁の愛刀である。元は冥府の王である閻魔より授けられた太刀であり、篁に使役していた羅刹であるラジョウの力を宿らせた太刀だった。篁はこの太刀を使い、多くの魔の者たちを常世へと送り返している。
闇の中で、鬼切羅城の刀身は蒼く輝いていた。
「面白いことをいうではないか、篁。ますます気に入ったぞ。ここでお前を始末して、完全にお前の身体を我のものにしてやろうぞ」
鍾鬼はそういうと、歯を食いしばり自らの右腕に力を込めていく。すると、鍾鬼の右前腕が変化していく。刀身である。鍾鬼は
太刀を構えた篁は鍾鬼との距離を取りながら、鍾鬼がどのように出てくるかを見た。
以前、
鍾鬼は刀身となった右腕を振りながら、篁へと突っ込んできた。
篁はその刀身を鬼切羅城で受け流す。
かなり力強かった。だが、それ以上は何もないものだと思えた。
続いて鍾鬼は左前腕を刀身に変え、今度は左腕を振り回す。
こちらも篁は冷静に受け流す。
剣の腕前は大したことはない。ただ力が強いだけだ。鍾鬼の攻撃は、篁にそう思わせる程度のものだった。
返す刀で篁は鍾鬼の首を斬りつけに行く。
鍾鬼は両手の刀身を交差させるようにして、篁の太刀を受け止める。
そこで鍾鬼がにやりと笑った。
罠。
慌てて篁は後ろへと飛び退く。
硬いものがぶつかり合う音が、空間に響き渡った。
先ほどまで篁が立っていた場所。そこを目掛けて鍾鬼の腕が二本伸びていた。
刀身となった二本の腕と、更にその下から姿を現した二本の腕。
四本腕となった鍾鬼がそこにはいた。
「なかなかやるではないか、篁」
鍾鬼は笑っている。にやりと笑った口の端からは、蒼い炎がこぼれ出てきていた。
(面白いことをやっているではないか)
どこからか声が聞こえ、篁は我が耳を疑った。
その声は鍾鬼には聞こえていないらしく、反応はしていない。
鍾鬼が斬り掛かってくる。今度は二本の刀身の腕と二本の素手である。
篁は刀身を太刀で捌きながら、素手の方に掴まれたり殴られたりしないようにしなければならかった。
腕にばかり気を取られていた。
そこに油断があった。
腹部に強烈な痛みを覚えた時、篁は自分の失敗を呪った。
すでに鍾鬼の術中にはまっていたのだ。
蹴りだった。
篁の腹部へ突き刺さるように、鍾鬼のつま先がめり込んでいた。
悶絶しながら篁は、その場に崩れ落ちた。
強烈な痛みに襲われる。
意識を失いかけた篁の耳に、再び声が聞こえてきた。
(
上手く呼吸が出来ず、うずくまる篁に対して鍾鬼は刀身となった右腕を振り下ろす。
狙いは首である。
刀身が篁のうなじに届こうとしたその時、篁の影が動いた。
その影は篁の落としてしまった太刀を拾い上げ、鍾鬼の刀身となった右腕を下から斬り上げた。
斬り上げられた鍾鬼の腕が宙を舞う。
「あなやっ!」
突然の出来事に鍾鬼は仰け反りながら、大声で叫ぶ。
篁の影からは、丸太のように太い腕だけが突き出しており、その腕はしっかりと太刀を握っていた。
「なんじゃ、何が起きた」
信じられないといった表情で鍾鬼がいう。
鍾鬼の右腕の一本は肘から先が失われていた。
「やれやれ。久々の出番かと思ったら、とんでもねえ奴が相手じゃねえか」
篁の影は形を変え、鬼の姿となっていた。
その鬼に篁は見覚えがあった。
「ラジョウ……なのか」
「おう。久しぶりだな、我が主よ」
篁の影から姿を現したのは、一本角の羅刹ラジョウであった。ラジョウはかつて篁に仕えていた羅刹であり、その力は篁の太刀である鬼切羅城へと引き継がれていた。
「なんじゃ、貴様は」
腕を一本失った鍾鬼が、影の中から姿を現したラジョウを睨みつけながらいう。
「鬼神だと聞いて、黙ってられなくてな。だが、
ラジョウはそういうと、鍾鬼に背を向けて篁の影の中へと戻っていった。
(さあ、我が主よ、存分に戦ってくれ。我の力はすべて、この太刀に託した)
篁の右手に握られた鬼切羅城が蒼く輝きを放っていた。
「どいつも、こいつも、
鍾鬼が吠えた。
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