常嗣と篁(18)

 朝廷より派遣された勘発かんぱつ遣唐使けんとうしである右近衛中将の藤原助が、大宰鴻臚館で病床に就いている小野篁のもとを訪れたのは、遣唐使船が大宰府を出航してしばらく経ってからのことであった。


 篁は起きることができるくらいにまでは回復していたが、従者に病に臥せっているため藤原助の訪問は断るように伝えた。

 しかし、篁の従者が断るよりも先に藤原助が検非違使たちを引き連れて、篁の部屋へと乗り込んできた。


「小野篁、そなたを反逆の罪で逮捕する」

「な、なぜじゃ」


 藤原助は、連れてきた検非違使たちに篁のことを取り押さえさせる。

 首につるぎを突き付けられ、篁は抵抗することを諦めざる得なかった。


「小野篁。本来であれば、この場で首を刎ねるところであるが、此度は陛下より慈悲をいただいた。官位はく奪の上、隠岐おきへの流罪るざいとする」

「な、何かの間違いであろう」

「馬鹿も休み休み言え。あれほど朝廷を批判するうたを詠んでおきながら、見逃してもらえるとでも思っておったか」


 篁は、此度の遣唐使派遣と朝廷のやり方を批判した西道謡さいどうようという漢詩を作り風刺していた。その西道謡が嵯峨さが上皇じょうこうの目に触れ、嵯峨上皇を激怒させることとなったのだ。


 流罪は死罪の次に重い罪とされていた。流罪では三流さんるに分かれており、近流こんる中流ちゅうる遠流おんると、罪の重さによってその距離が変わっている。その中でも一番罪が重いのが遠流であり、平安京みやこより一番遠い場所へと流刑となることを指していた。

 なお、遠流の場所は、伊豆、安房あわ常陸ひたち、佐渡、隠岐、土佐といった場所が選ばれており、今回の篁の流刑先が隠岐であることから、篁は流刑の中でも最も重い遠流が適用されたということがわかる。


「いや、それは……」

「言い訳無用。そなたを拘束し、隠岐へと送るようにとの命令だ」

「なんと……」


 篁は絶望の声をあげた。いや、この声をあげたのは篁ではなかった。篁の中にいる吉備真備きびのまきびいな鍾鬼しょうきであった。

 鍾鬼の計画では、篁の身体で平安京みやこに戻り、帝に謁見えっけんした際に帝の身体を奪い、そのまま現世を支配するつもりだったのだ。


 しかし、その計画は篁の奇策によって破綻したことになる。

 篁は身体を鍾鬼に完全に支配される前に、西道謡を書いて知り合いたちの元へと送っていたのだった。

 遣唐使の批判。遣唐大使である藤原常嗣の批判。そして、朝廷への批判。それを西道謡という漢詩に込めて書いた。この漢詩を朝廷の誰かが読めば、かならず自分のことを拘束しに来るであろう。篁はそこまで予測して西道謡を書いたのだ。

 そして、篁の計画通りとなった。篁の身柄は拘束され、平安京みやこからほど遠い、隠岐へと流されることとなったのであった。


「おのれ、篁。小癪な手を使いおって」


 鍾鬼は怒りを滲ませていた。


「この小野篁を舐めてもらっては困るな」


 磔にされ、四肢の自由を奪われた状態で篁が鍾鬼に言う。

 篁の精神は、自分の体内で捕らわれの身となっていた。いま、篁の身体を自由に操れるのは鍾鬼の方である。おそらく、吉備真備もこのようにして、自由を奪われていたのであろう。


「許さぬ、許さぬぞ、篁」

「別に私は、お前に許しなどは請わぬ」

「ふざけるなっ!」


 鍾鬼が叫ぶようにして言うと、世界が波を打ち、歪んだ。

 この場所が何処なのか、篁には皆目見当がつかなかった。ただ、現世ではないということだけは確かなようだ。


「そんなに私のことが許せないのであれば、私を殺せば良いではないか」

「……本当に小癪な奴よ」


 篁は鍾鬼が自分のことを殺すことが出来ないということをわかっていた。

 もし、鍾鬼が篁を殺せば、肉体そのものが滅んでしまうからである。自由に動かすことは出来ないが、まだ、この肉体は篁のものなのだ。

 そのことがわかった篁は、もしかしたら吉備真備の精神もどこかで生き延びているのではないかという、小さな希望を持っていた。もし、真備が生きているのであれば、この鍾鬼を倒す方法を知っている可能性もある。真備と協力をすれば、現世を救う手もあるかもしれない。そんな小さな希望だけが、いまの篁を支えていた。

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