第三話 常嗣と篁
常嗣と篁(1)
その日は、朝から雪が降っていた。
暖を取るために家人の用意した火鉢にあたり、沸かした湯を椀に注いで飲んでいた篁は、ふと縁側の様子が気になり立ち上がった。
まだそれほど積もってはいないだろうと思っていたのだが、庭の木々を見てみると葉の色がわからぬほどに雪は積もっており、地面には猫のものと思われる足跡が残されていた。
この年の正月、朝廷より三〇年ぶりに遣唐使を派遣するということが発表された。
ちなみに、三〇年前の遣唐使では、
遣唐大使として選出されたのは、
遣唐大使の藤原常嗣といえば、いま飛ぶ鳥を落とす勢いと言われている公卿である。藤原北家の流れを汲む家柄も申し分なく、父である
遣唐副使として任命された篁は、
遣唐使に関する任命は、大使、副使の他に
また三〇年ぶりということで、遣唐使船を一から作る必要があり、そのための大工を任命する必要もあった。
ちなみに、ここでいう大工というのは建築業者のことではない。朝廷の
篁は遣唐副使という大任を言い渡されたわけだが、なぜか気が乗らなかった。唐に行きたくないというわけではない。唐へ行けば、様々な文化や教育などに触れることが出来ることはわかっている。だが、なぜだか気が乗らないのである。これは何なのであろうかと、篁にもよくわからなかった。
「もし――――」
午後になり、篁の屋敷を訪ねてきた人があった。
格好を見る限りどこぞの家人のようではあるが、家人としては着ているものが立派であり、その主人の身分の高さを篁は感じ取っていた。
「何用でしょうか」
「
その男はそういうと、
文を受け取った篁がさっそく中を読んでみると、遣唐使派遣についての話をしたいので屋敷に来てほしいという旨が書かれていた。
「承知いたした。すぐに参ろう」
篁が支度を済ませて自宅から出ると、門の前には立派な
この牛車に篁は見覚えがあった。以前、どこぞの辻で立ち往生していた牛車である。
牛車に乗り込もうと篁が近づいていくと、牛車の前に立っていた
「あっ、お前様は……」
「久しいな、元気であったか」
篁は牛飼童に親しみの笑みを向けてから、牛車へと乗り込んだ。
正直なところ、牛車というものは好きではなかった。小さな箱の中に閉じ込められているような気分であり、乗り心地もそれほど良くはない。これであれば、歩いた方が早いのではないかと、篁は常々思っていた。
迎えに来た藤原常嗣の家人は、凛とした佇まいをしており、これぞ公卿の家人といった感じであった。もしかしたら、それなりの役職に就いている人間なのかもしれない。そんなことを思いながら、篁は牛車の中から
しばらく牛車で揺られ、藤原常嗣の屋敷に着いた。
参議ともなると、大きな屋敷を構えており、屋敷は
「ささ、小野様。こちらでございます」
篁は家人に案内されながら、常嗣の待つ部屋へと向かった。
屋敷の中も立派なものであった。篁などは、屋敷に金を掛ける必要はないと考えているため、必要最低限の屋敷を住まいとしているが、常嗣の屋敷はまさに豪華絢爛といった様相であった。
「小野篁様をお連れいたしました」
「うむ」
家人が声を掛けると、部屋にある
簾が揺れ、その向こう側から黒色の
「これは、これは野狂殿。よくぞ、おいでくださいました」
人懐っこい笑顔を浮かべながら常嗣は、篁に近づいてくる。
「ささ、部屋に入られよ。寒かったであろう。火鉢に当たられよ。いま、酒の用意をさせるので、しばし待たれよ」
捲し立てるように常嗣は篁に言う。
よく喋る男だ。篁は常嗣の好意に甘えながらも、そんなことを思っていた。
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