焼き鳥って、食べづらくないですか?

寺田門厚兵

居酒屋にて

「俺……あんまり焼き鳥、好きじゃないんですよね……」


 華の金曜日。仕事終わりの居酒屋で、ふと後輩がメニュー表を見ながらそう呟いた。


「なんでだ。鶏肉が苦手とか?」

「いや、手がべたつくじゃないですか」


「手がべた……え? どういうこと?」

「あの……焼き鳥の串って、ベタベタしてません? タレとか油とかで」


「あー……まあ、確かにな」


 たかが四十年ほどしか人生を歩んでいない俺だが、そもそも焼き鳥の串で指がべたつくという経験をしていない人の方が少ない気もする。


「そういう時って、お手拭きとか使って指を拭いたりせんの?」


「居酒屋とかではいいんですけど……友達とかと家で食べるときは、そういうのが嫌で……。スーパーのやつとかやけに串の部分がベタベタで……」


「あー、あれか? 指を拭くウェットティッシュとか、わざわざ手を洗うのがめんどくさいとかってこと?」


「あ、そういうことです! さすが先輩! もしかして、悩んだ経験あるんですか?」


「いや、すまん。気持ちは少し分かるけど、悩んだことはない」


 指がベタつくのは、確かにうちの息子も文句を言ってた。食べるのがめんどくさいとかなんだよそれって思ったが、やっぱり身近にもそう思ってる奴はいるのか。


「あと……串から全部取って食べると怒られたり、とか……」

「あー……それはちょっと経験ある」


 うちの元上司がやけに焼き鳥の食べ方にうるさかったのが今でも少しトラウマものだ。


 串から外さず最後の一つまで男らしくがっつけとか、串から外して食べる女性とは絶対結婚しないとか、謎のマイルールを耳に胼胝たこができるくらい聞かされたし。


 今は地方へ転勤していったが、あの人はまだそんなことを言ってるのかな……。今のご時世的にすぐアウト判定を貰いそうだけど。


「あるんですか!?」


 ふと過去を思い返してたら、後輩の方が急にがっついてきた。


「いや、ちょっとね……。前の上司がいやに焼き鳥の食い方にうるさい人だったから。俺は別にいいと思うけど。串から全部外しても」


 串のまま食べるのがマナーだとか、串のまま食べるのが正義だとか、正直なところ俺にそこまで言えるほど食に関心はないし、旨ければ何でもいい。


 しかしこう言えば、万人受けを狙ってるんだろとか訳の分からない嫌味を口にする人間もいるから人付き合いは辛い。串の一本や二本で細かいことをいちいち言ってくる人と食うのはもう御免だ。


 そんな暗い気持ちを酒でごまかして平然と応えるも、後輩はジェットコースターのようにまた調子低めの声音で話し出した。


「でも……それだと焼き鳥の意味ねぇじゃーんって言われません?」

「……ん? え? なに?」


「いや、あの……串から全部外したら、焼き鳥の意味ないやんって、怒られません?」


「あー……まあ、それは人によるんじゃない?」


 なんて無難な回答を寄こしたら、今度は微苦笑を浮かべて落ち込み始める。


「そう……ですよね。でも……それが難しいとこなんですよね。串のまま最後まで食べるのが、俺にはどうしても食べづらくて……かと言って、友達に何か言われるのも嫌なんですけど……直接言える勇気がない、というか……」


 人との付き合いと食事は切っても切り離せないものだ。食事は一種の娯楽だし、その楽しみ方も人の数だけあると言ってもいいだろう。


 互いが頼んだ食べ物を共有するも良し、感想を述べあうだけでも良し、別の話をしながら片手間に食べるも良し。


 しかし、それでも悩みを生むことだってある。人との付き合いで食事をする以上、マナーというがその代表例にあたるだろう。口うるさい人との食事なら尚、その姿勢が顕著けんちょに表れるし。


「つまり……焼き鳥の食べ方に文句を言わないでくれる俺としか飲みに行かないと」


「あ、いえ! 別にそういう意味では……。でも……そうなりますよね。なんか、すみません。焼き鳥一つで、こんなへこへこして」


 意地悪く言ったのがいけなかった……。思わず後輩はぎゃくに走り、手元のグラスに眉尻の下がった目元を映す。


 若者の、こういう遠慮気味なしょうは見ていて気持ちいいものではない。こういう歳の人間は、遠くのテーブル席で賑わってる集団くらいにもっと明るくしてくれていた方がいい。


「……いや、いいぞ別に。人間、悩みなんて大小様々だ。焼き鳥の食い方一つでも頭を抱えるのは仕方ない。人間なんだから」


 自分でも我ながらカッコつけたことを言ったなと思った。しかし、そのあとの酒と言ったら……まあ、旨い。なんだこの気持ち。めちゃくちゃスッキリするな。


「焼き鳥の串でべたつくのが嫌だったり、食べ方一つで文句を言われてしまうなら、もう注文しなくてもいいんじゃないの? 好き嫌いに関しては人に言われる筋合いないし」


 とは言っても、これを食べなきゃ損をするとかいう宣伝文句が世の中に蔓延はびこってる以上、そんな理論は理不尽という名の鉄拳でじょうしてしまうのがもう……何とも言えない辛苦の思いに駆られる。


「でも、美味しいのには変わりないじゃないですか」

「……どっちだよ」


 やはり、ここでも理不尽という正義の鉄拳が降りかかってくるのか。まあ、半ば無法地帯のようなものか。騒いでる輩もいるし。


「なら頼む?」

「先輩が文句を言わないならオッケーです」


「さっきまで誰の話を聞いてたんだよ……。てか、そんな相談をするために俺を今日呼んだの?」


「いえ、普通に飲みたかっただけです。先輩と飲むのは気が楽なので。でも……焼き鳥見てたら、なんかいろんなこと思い出しちゃって」


「とんだ迷惑だよ……」


 焼き鳥を食うだけでも、人生に置いては悩みの種になるらしい。かく言う俺も、上司のせいで焼き鳥が食いづらくなったけど。

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