死にたがりの青年

第2話 妹の病状

 ルークス王国の下町に俺と妹は住んでいた。両親は働きすぎで共倒れしちまった。俺は妹を学園に入れるため、一〇歳のときから工場で働いていた……。今日も同じ一日のはずだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……。リーズ先生、妹は、メイは大丈夫なんですか!」


 建国歴九九九年。初夏だった。


 俺は下町の工場で仕事を終えてから家に帰った時、おんぼろの家屋内で倒れている妹を発見し、唯一真面に信頼できる研究者兼医師のリーズ先生の研究施設兼病院に妹を運んだところだ。


「原因不明の発熱だ……。今は手の施しようがない。新薬の研究が進めばもしかしたら助かる可能性はあるが、まだ時間が掛かる」


 メイはベッドに寝かされ、点滴と酸素吸入器を付けられた状態になってしまった。


「そ、そんな……。俺の、俺の最後の家族なんです。お願いです。助けてやってください。メイは、メイは俺なんかよりも賢くて良い子なんです。なんで俺じゃなくてメイがこんな目に合わないといけないですか……。か、金ならいくらでも払います。死ぬまで働いて返しますから……、どうか妹を助けてください……」


 俺は茶髪のくせ毛が特徴的で割れたマル眼鏡を未だにかけ、白衣を着たリーズ先生に土下座する。俺が出来ることなんてこれくらいしかない。


「キース君。土下座なんてやめてくれ。私は神でもなければ悪魔でもない。君がどれだけ願っても、私が出来ることはメイちゃんに抗生物質を打つことくらいだ。意識が無くなってすでに半日……、このまま意識が戻らなければ持って半年か。長くて一年。点滴と抗生物質は様態を見て打ち続けるが……覚悟しておいた方がいい」


「う、うぐうぐぅ……。くっそがあっ!」


 俺はひび割れた病院の床を思いっきり殴る。自分の右腕に衝撃が跳ね返ってくる。骨の髄まで痺れるような電撃が走り、とんでもなく痛かった。だが、家族を失う痛みに比べたら屁でもない。


「キースさん……。お父さん、メイちゃんは大丈夫なの……?」


 不衛生な病室の入り口から、リーズ先生の娘で妹の友達のテリアちゃんが顔を出した。リーズ先生と同じ髪色で長髪の天パを気にしている一一歳の女の子。彼女と妹は一昨日も一緒に遊んでいたというのに……メイだけが大病に犯されていた。


 テリアちゃんが物凄く憎く見えるが、彼女に何の罪もない。俺の腐った心が悪いのだ。


「テリアちゃんは……、大丈夫かい。メイに一番近づいていたのは君だろ?」


「わ、私は大丈夫……。お父さん、メイちゃん、大丈夫だよね。ただの風邪だよね。すぐに治るよね」


「…………ああ、大丈夫だ。テリアは心配せずに、お家で待っていなさい」


 身長が一八〇センチメートルのリーズ先生は膝立ちになり、身長が一四五センチメートルのテリアちゃんの両肩に手を置く。そのまま、メイが寝ているベッドに背を向けさせた。


「メイちゃん! また遊ぼうね。絶対、絶対遊ぼうね!」


 テリアちゃんはメイに手を振り、病室から出て行った。


「……何で嘘なんてついたんですか。言えばよかったじゃないですか。治療法が無いって」


 俺は奥歯を噛み締め、生気の無い声で不貞腐れたように呟く。


「あの子のためだ。親友を亡くす辛さは私もよく知っている。キース君のお父さんが亡くなった時……、それはそれはやけ酒したもんだ」


 リーズ先生はベッド近くに置いてあるパイプ椅子に座り、前髪をかきあげる。こけた頬、寝不足で黒い目尻、割れた眼鏡、どう見てもヤブ医者にしか見えないが腕は確かだ。


「父さんとリーズ先生は幼馴染でしたっけ?」


「ああ、子どもの時からの親友だ。あれだけ止めておけと言ったのに……兵士になんかになりやがって、あのバカ野郎……」


 リーズ先生は両手で顔を隠し、天を仰いでいた。


「母さんは父さんが死んだという連絡を受けて心身共に限界だったのか病死してしまうし。身勝手すぎるだろ。金が必要だったのは知ってたけど、俺を学園にいれようとするから」


「キース君、二人は君に幸せになってほしかっただけだ。現在はこのような形になっているが……、二人の頑張りはわかってあげてほしい」


「わかってますよ……。両親が誰よりも家族思いだったと言うことくらい……」


 俺は酸素吸入器で口と鼻が覆われたメイの頭を撫でる。夏だと言うのに、肌が少し冷たい。手の平がひんやりしただけで奥歯をぐっと噛み締めた。


「……俺はもう行きます。妹をよろしくお願いします」


 俺はリーズ先生に頭を下げる。


「ああ、わかった。キース君も働きすぎないよう気をつけるんだよ。お母さんの二の舞になってはいけない。あと、いつもの危険行為も対外にしなさい。命を軽く見てはいけないよ」


「はい……。じゃあな、メイ。兄ちゃん、夜勤の仕事に行ってくる……」


 メイからの返事はなく、小さな呼吸音しか聞こえなかった。息があるだけましか。


 俺は病室から出て下町の工場に向った。その途中、増設中の総合住宅の前を通っていた。


「はぁ……。メイ……」


 俺は暗くなり始めていた空を見た。すると、鉄骨を持ち上げている滑車のワイヤーが切れかかっている。加えて、鉄骨の下にはフードを被っている子供がいた。

 子供は下を向きながら歩いており、落ちそうな鉄骨に全く気づいていない。


「くっ! 間に合うか……」


 俺は走り出す。それと同時に鉄糸(ワイヤー)がぶつりと切れた。赤黒い鉄骨が三本、子供の上に音もなく降りかかってくる。


 俺は思いっきり飛び込んで子供の背後から抱き着き、前に転がる。ほんの〇.一秒後に鉄骨が地面に衝突した轟音と舞い上がる土煙により、脳の情報処理が追い付かない。


「ごほっ、ごほっ……。君、大丈夫? 怪我はない?」


「…………」


 ――少年? 少女? どっちだ。ま、助かったのならどうでもいいか。


 俺は子供を放し、フードの上から頭を撫でてその場を去る。子供に構っている時間はない。少しでも金を稼がないと平民は生きていけないだ……。


 後方からか細い声が聞こえた気がしたが、気に留めず歩いていく。


 こんな事故は日常茶飯事に起こる。工事の安全性なんて皆無だ。下町の者は皆、どれだけ効率よく仕事ができるかしか考えていない。


 俺は懐から父さんの形見である表面が割れた懐中時計を取り出し、蓋を親指で跳ね上げて時間を把握した。人差し指で蓋を閉じる。


「午後七時三〇分……。八時までに間に合うか」


 懐中時計を懐にしまい、薄暗い夜道を歩く。


 街の至る所がおんぼろで、見る影もない。だが、視界に映るボロ屋に人が住んでいるのだと思うと哀愁が漂う。お年寄りは物乞いをしており、子どもたちはボロボロの服を着て夜でも走り回っていた。


「まてやごら! パンを返せ! このクソガキ!」


「うるせ~! 脚が遅いんだよ~! デブデブ~!」


 少年たちは二、三個のパンを持ち、木箱やごみ溜めを倒しながら、裏道を爆走していた。


「あ! キースの兄ちゃん、おっす!」


「おっす。今日も頑張ってるな。ちゃんと逃げ切れよ」


「おうよ! じゃ! メイにもよろしくな!」


 俺が少年の盗みを見過ごすのはパンを売っていた店主が盗みを見ていなかったのが悪いと思うからだ。子供のうちは盗みをしても大人に殴られて終わりだろうが、大人が盗んだら弾丸を食らう。それ相応の危険を冒さなければならない。


 俺は仕事場に向かう途中、銃声を何度も聞いた。どうやら下町で発砲している者がいるようだ。また死体が増えたのか、はたまた新調した拳銃を野良猫に試し撃ちでもしているのか……。


 ――どっちでもいいか、そんなの。


 平民は拳銃の所持を許されている。だが、俺は持っていない。家に護身用に置いてあるが、ぼろ屋に泥棒が入るなんてありえない。そもそも、拳銃を持っていても使う相手が頻繁に出てくるわけではないので無駄に荷物を増やすのは仕事の効率が悪くなるだけだ。

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