32 絶体絶命

 流れに乗って、不穏な目的で走る車が2台、市街地に入りつつあった。

「おいおい、おとなしく安全運転しろよ。始める前にパクられちゃ、おもしろくねえだろう」

 後部座席でタカが笑いながら言う。乗り慣れない車に大の男が5人乗っているので窮屈だが、仕方がない。この車に乗ることに意味がある。後続のもう1台は信号などに引っかかって、数台分遅れてついてきているはずだ。


「おい、そいつ、ケツに敷くな。大事な小道具なんだからよ」

 ゲラゲラ笑い。ストールだかショールだか、呼び方はどうでもいい。


「ほかの奴どうすんだよ。顔隠せねえじゃん」

「いいよいいよ。ひとりがそいつで隠してりゃいいだろ」

「そもそも女の犯行じゃねえってバレバレだし」

「そこまでこだわってたら、そもそもできねえって」

「天誅だって言うんだぞ。忘れんなよ」

「パイプ1本しかねえの?」

「集めてきたぞ。後ろの車に積んである」

「だから集団でやったら、ルイちゃんの犯行にできねえって」

「いいじゃん。みんなアッチ疑ってくれるって」

 粗雑な計画が、粗雑に織り上げられていく。


「まだちっと早いからな。どっかでメシ食おうぜ」

 窓の外をちらっとながめて、タカは命じた。

「中年サラリーマンのおっさん襲うには、もうしばらく待たねえとな」

「腹が減っては戦はできぬってか」

「イクサじゃイクサじゃ~」

 ぎゃはは、と笑い声が飛んだ。


     〇


 重い衝撃が来る。


「うぐッ」

 黒川くろかわの体は吹っ飛ばされた。埃まみれのコンクリートに転がされるのは、もう何回目だろうか。


「つ…………」

「……骨、あんじゃねえか」


 マサキはほとんど余裕をなくし、ぜいぜいと息を乱していた。だが彼は間違いなく、立っていた。口のそばに血をにじませ、体に何発も食らいながらも、立っているのだ。それにひきかえ……黒川は、歯を食いしめ、うつぶせの姿勢からどうにか起き上がろうとしているところだ。その姿を見ていると、マサキの心に濁った高揚感が突き上げてくる。


「くっ……」

「もう、あきらめろ!」

 マサキは黒川のわき腹を狙って蹴り飛ばした。黒川は転がり、フェンスにぶつかって、呻く。マサキは黒川にゆっくりと歩み寄った。細い割になかなか強い男だと、素直にそう思った。だが自分の方がもっと強かった。コイツも実戦慣れしているようでかなりの腕前だが、惜しいことにほんの少し、俺には及ばないようだな。俺をここまで手こずらせた相手は久しぶりだ……マサキは、苦悶して腹部を抱えながらせき込む黒川を見下ろし、頬が歪むのをおさえられなかった。


「くそッ……」

「残念だったなあ、オイ。これに懲りたら、二度とルイの周りうろつくんじゃねえよ」

 乱暴にもマサキは、黒川の肩あたりをぐりぐりと踏みつけた。

「う…………」

「いい顔だ。ルイに見せつけてやる。これであいつも、お前を情けねえ男と思うだろうよ」

 勝ち誇って、マサキはスマホで、黒川の顔を撮影した。血と泥がこびりつき、苦痛と屈辱にまみれた顔を。


「この場にルイがいねえのが残念だな」

 マサキがスマホをポケットにしまったとき、足首に触れるものがあった。黒川が、顔を歪めながらも、まだ自分を踏みしめているマサキの足首を握ったのだ。だが力はなく、自分の体の上から払いのけることさえできないようだった。ぜい、ぜい、と苦悶の息遣いが、マサキの足に伝わってくる。


「なんで……ルイは…………お前を」

「俺が強くていい男だからに決まってんだろう」

 不意に、上向きの感情がマサキの意識をがつんと持ち上げる。おかしさにマサキは、ははっ、と短く声を上げた。


「タカってのは……なんだよ。なんで……ルイを……」

 そう言うだけでぜいぜいと苦しそうな黒川を、マサキは唇を歪めて見下ろした。

「知りてえか? あの世行きの土産に教えてやってもいいけどな?」

 ごつっ、とマサキは黒川を蹴りつけた。


「俺の友だちだよ。ルイは困ってたんだ。あの広田ひろたって奴に脅されてなあ?」

「うあっ」

 ごつっ、ごつっ、とマサキは何度も黒川を蹴る。黒川は、顔や腹をかろうじて守りつつも、そのたび苦痛に呻く。


「ルイはなあ。ちっちゃいときから苦労してきたんだよ。父親は酒浸りで、ろくに働かねえ、しょっちゅう家あける。母親は苦労しながらひとりでルイ育てて。離婚するにも大変だったんだ。でもあるときから、母親も酒に逃げるようになって、酔いつぶれてばっかりで、近所の人が見かねて、ルイは施設で暮らすことになったんだ。ああ……このあたりのことは、お前の方が詳しいかもなあ? ガキの頃一緒に、その施設にいたんだろ? お前の両親もろくでもねえ奴らだったんだな? まあ、俺も似たようなもんだけどな」

 どすっ、とわき腹に足をたたきつけてやる。黒川は体をくの字に曲げた。


「ルイは学校でもいじめられ通しだったんだ。お前がいなくなってからも、ずっとしんどい思いしてきたんだよ。ルイは高校行かずに、就職して施設を出て、ひとり暮らし始めたんだ。お前も知ってんな、あのアパートだよ。それからしばらくして、施設に訪ねてくる児童相談所の担当が代わって、それがあの広田って奴だよ。あの施設の出身だからってんで、ルイのところにもたまに来て、すごく親切にルイの相談に乗ってきたから、ルイはすっかり信用して、家族のこととかいろいろ話したんだよ。まああいつが食わせモンだったわ。自分の思い通りに動かす駒を捜していたとはなあ」

 思い出しても腹が立つとばかりに、マサキは苛立ちをこめて黒川を蹴飛ばす。

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