第26話 女の子の家に行く
一条渚と少し距離を取りながら電車に乗った。
地元の駅に辿り着くと彼女の背中を追って歩く。
「どこに向かってるの?」とぼくは尋ねた。
「家」と小さい声が聞こえた。
どうやらぼくは彼女の家に向かって歩いているらしい。
一度だけ一条渚の家に行った事がある。
小学生の頃に彼女を殴った時である。
グーで殴ったのかパーで殴ったのかは覚えていないけど、女の子を殴る感触はカエルを足で踏みつけてグチャって潰してしまう非道徳観があった。
母親と二人で菓子折を持って謝りに行った。
その時に扉から出てきたヒゲモジャのおじさんの事を思い出す。
あの人が家にいたら嫌だった。
あの人に一条渚も怯えていたような気がする。
知っている地元の景色。だけどあまり歩かない道。
大きなマンションが見える。
そしてオートロック。
彼女が鍵を差してひねると30代になったシンデレラが出てきてもおかしくないような扉が開く。
彼女がマンションの中に入っていく。
ぼくも彼女と一緒に中に入る。
そこでようやく一条渚が言っていたイジメてほしい問題について考えることにした。
そもそもイジメるって何をしたらいいんだろうか?
わからん。
イジメとは相手が嫌がることをすればいいのか?
彼女は自分からイジメてほしいと言っていた。求めているのだ。
もしかしたら何をしても嫌がることには繋がらないんじゃないか?
それじゃあ何をしてもイジメにならないんじゃないか?
そんな矛盾に至ったところでエレベーターがやって来る。
四角い箱の中に二人で入る。
「家に誰かいるの?」
ぼくは尋ねた。
「一人で住んでいる」
と彼女が答えた。
なぜかファンタジーのように聞こえた。
おとぎ話の世界に迷い込んでしまったの、みたいな口調に聞こえたのだ。
「へー、そうなんだ。それじゃあお父さんは?」
「ずいぶん昔に出て行ったわ」
「お母さんは?」
彼女は何も答えなかった。
7階に辿り着く。
そして少し廊下を歩き、昔菓子折を持って行った扉の前までやって来た。
彼女は鍵を開けて中に入る。
どうぞ、とも言われなかったけどぼくも中に入った。
玄関には何も置かれていなかった。
家の中に入っても外のように無臭だった。何も臭わない。
彼女が靴を脱ぐ。そして靴を双子のようにくっ付けて揃わせる。
そんなこと普段はしないけど同じようにぼくも靴を揃わせた。
彼女が洗面所に行った。
手術する前の医者のように丁寧に指の隙間まで洗っている。
ぼくは彼女の手洗いをジッと見つめた。
手を洗っているだけなのに工芸品を作っているようだった。
彼女が手を洗い終わるとぼくも手を洗った。
手を洗い終わると彼女を探してリビングに行った。
リビングには何も置かれていなかった。
厳密には茶色いソファーがあり、ダンボールで作った動物が三体あるだけだった。
ペンの一本も置かれていない。髪の毛の一本も落ちていない。
それはまるで作りかけのレゴハウスのようだった。まだ遊びの途中で、これから色んな物が置かれる前。だけど置かれるはずのおもちゃは無くて、そのまま放置されている。次の誕生日にレゴハウスのおもちゃを買ってもらうまでは、この状態をキープしているような印象だった。
ソファーに彼女が座っていた。
休憩する幽霊みたいだった。
「どうぞ」
彼女に言われて、ぼくはブーブークッションでもあるように恐る恐るソファーに座った。
一条渚にペットボトルのお茶を渡された。
冷たい。どうやら冷蔵庫から取り出されたばかりらしい。
「ありがとう」
キャップを開ける。
「お母さんは」と彼女が言い出す。
「お父さんから逃げたの。お父さんはお酒を飲むとお母さんを殴ったの」
ぼくは何の話をしているのか理解できずに、ペットボトルのお茶を口に含んだ。
そして彼女の言葉が、さっきぼくが尋ねた「お母さんは?」という質問の答えだったんだと気づく。
「それからお父さんと二人で住んでいたの」
一条もお父さんに殴られなかったの? と尋ねようとしたけど、やめた。
菓子折を持って来たあの時、彼女は酷く怯えていた。
「寂しかったんだね」
色んな質問を飲み込んで、ぼくは言った。
髪の毛で隠れて見えないけど、彼女がコチラを見ているのがわかった。
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