第21話 ゴム

 土曜日の夜に中本ありさ先生に呼び出される。

 ぼくの退学届けを中本先生が持っている。

 退学になってしまったらお母さんが悲しむ。

 ぼくは母親を悲しませることができなかった。

 それに小説の勉強になる、とぼくは思ってしまったのだ。

 先生の人間性がキャラクターのアイデアになるかもしれない。

 それに、した事もない経験は物語の幅を広げる。

 経験として学んで小説が面白くなるのならぼくは何だってする。

 妹もお母さんも寝静まった夜にぼくは靴を履いて玄関を出た。

 財布には手持ちのお小遣いを全て入れていた。

 何があるかわからない。女性に恥ずかしい思いをさせてはいけない。

 


 指定された都会の駅で中本ありさ先生を待っていた。

 先生はロングスカートに白いシャツを着て現れた。

 ボブヘアーは緩く波打ち、近づいて来ると微かにバラの香りがした。

「こんばんは」とぼくが言う。

 先生はニッコリと笑った。

「こんばんは」

「ちょっと待ってください」

 ぼくはリュックからマスクとサングラスを取り出して装着する。

「なにそれ?」と先生が笑う。

「夜にサングラスってヤバい人よ」

 だから先生に会うまで付けなかったのだ。

「もし誰かに見られたら先生が嫌な思いするでしょ?」

「私のことを考えてくれてるの?」

 ポクリとぼくは頷く。

 もしかしたら学校関係者と出会う事もあるかもしれない。

 知ってる人と出会ってしまったら先生の立場が悪くなる。

 ぼくが顔を隠していたら生徒ではない別の誰かだ、と言い張る事もできるだろう。

 ぼくは生徒で彼女は教師である。

「こんな時間にうちの生徒はいないと思うけど」

「教師達がいるかもしれません」

「……ありがとう」

 そう言って、先生はぼくの手を握った。

 指と指が絡み合う。


 コンビニに入り、お茶と水を買うことになった。

 ぼくは陳列棚からお茶と水を手に取った。

「アレも買っとく?」と先生が尋ねた。

「アレって?」

「ゴム」

 ゴム?

 あっ、コンドーム。

 心臓が飛び跳ねた。

 ゴム、って響きだけで、ラピュタの滅びの呪文ぐらいの威力がある。

 こんな事を女性に言わせた事が申し訳なく思う。

 ぼくだってココまで来て、どこに向かっているのかは理解している。

 言われる前に買っておくべきだった。

「買ってきます。ありささんは待っていてください」

「ありささん?」

 先生が首を傾げる。

「だって、こんなところで」

 先生って言っちゃいけないだろう。

「なにありささんって?」

 先生がぼくの手をギュッと強く握る。

「イヤですか?」

「別に」

「よかった」

「私も付いて行くわ」

 と彼女が言って、嬉しそうに笑った。

 ぼくは先生の手を握り、コンビニに置いてあるコンドームを見つけた。そして震える手でコンドームを手に取った。


 片手は先生の手を握っていた。だから水とお茶は彼女に持ってもらっていた。コンドームを女性に持たせる訳にはいかないのだ。コンドームは重たいのだ。

 脇にコンドームを挟んで、ぼくはポケットから財布を取り出した。

「お金ぐらい払うわよ」と先生が言う。

 ぼくは首を横に振った。

「ぼくが払います」

 レジにコンドームの箱を置く。

 お金を払って、すぐにコンドームと飲み物をリュックに入れた。

 彼女はニコニコしながらぼくの事を見ていた。

 まるでテーマパークに来ているように先生は楽しそうだった。


 コンビニから出る。

 手を繋いで2人で歩く。

 先生の指は大人の冷たい指だった。

 彼女に引っ張られて付いて行く。

 やっぱりホテル街に向かっているようである。

「体育の教師、殺しといてくれた?」と先生が尋ねた。

「殺しときましたよ」

 とぼくは嘘をついた。

「でも昨日も晩御飯に誘われたよー?」

「あれは屍です。晩御飯っていうのもネズミの死体です」

「行かなくてよかった。通りで臭いわけだわ」

 彼女がクスクスと笑った。

「君はこれから何するかわかってるの?」

「わかってますよ。好きな女性に脅迫されてエッチな事をする」

「私のこと好き」

「大好きです」

「本当?」

「本当」

「そんなこと誰にでも言ってるんじゃないの?」

「先生だけです」 

 先生が怪しんでいる目でぼくを見る。

「ありささんじゃなかったの?」

「ありささんだけです」

「君は色んな人に好きって言えるタイプなんだよ」

「どうして?」

「だって好きって言っても耳が赤くなってない」

「後で耳を叩いて赤く染めときます」

 クスクス、と彼女が笑う。

「叩かなくていいよ」

「ココ」と先生が指差したホテルはシンデレラ城みたいなラブホだった。

 ホテルの中に入る。どんな部屋か閲覧できるパネルがある。

 先生が部屋を選び、ぼくは付いて行く。



 セッ◯スが何なのか? 恋が何なのか? ぼくは知りたかった。

 エロの知識を得たかった。

 今日わかった事はセッ◯スってしんどいという事である。

 いや、まだセッ◯スはしていない。

 相手が気持ち良くなるために頑張った。しんどかった。

 舌なんて千切れそうである。

 思っていたのとは違う。

 相手を楽しませるのは、こっちも楽しいもんだと思っていた。

 だけど誰かを楽しませるのは、必死に頑張る行為なのだ。

 エンタメと同じである。

 必死に頑張れば疲れる。

 疲れてしんどいけど相手が気持ちよかったら、それだけでいい。

 ゴムの付け方も勉強する必要があった。

 ゴムを付けようとしたらダメになってしまって、もう2度と復帰することはなかった。

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