第10話 皇子の療養休暇 ②見舞いに来た令嬢

 上位貴族として完璧な礼をとりつつも、エレノアは心底当惑していた。

 父から預かってきた見舞いの品はすでに侍従に渡している。アルフォンソ皇子にシャルからの品を手渡して、さっさとおいとまするつもりだったのだが。


おもてをあげよ、ビーシャス公爵令嬢。遠方よりはるばる大儀であった。我が息子アルフォンソへの心使い、父として礼を言おう」


 王室付の侍女らしき女性が退出するとすぐに、名実ともに大陸一の大国、ローザニアン皇国の皇王アルメニウス・エイゼル・ゾーンは、上座に坐したまま、壮大な口調で告げた。


「もったいなきお言葉でございます」


 エレノアは、つつましやかに視線を伏せて言葉を返した。内心の葛藤はおくびも出さずに。


「して、父君、ビーシャス公はどうなされた?」


 恐れていた通りの極めて当然の問いかけに、エレノアは覚悟を決めた。


「まことに申し訳ございません。本来ならば、我が父、ビーシャス公が直接お伺いするのが筋でございましょう。されど、不調法のせいか、長旅が堪えたようで、体調を崩しております。ゆえに、失礼は重々承知しておりますが、私が名代としてお伺いした次第でございます」


 王宮に向かう際、エレノアとて、立場上、形だけでも皇子の見舞いに同行するべきではないかと、父に言いはしたのだ。

 それに対する父の答は、『お前に任せる』だった。


 父、ビーシャス公爵は現ブーマ国王の実の叔父にあたる。前国王の婚外子であるチャスティス王より、混じりけのない高貴な出である自分の方が国を治めるにふさわしいと、常日頃、仲間内で豪語してもいる。

 ならば、こういう機会にこそ、それ相応の礼を尽くして、皇国に個人として良き心証を与えておくべきではないのか?とエレノアは思うのだが。


 わが父ながら浅慮な男だ。そんなふうだから、王位を、父に言わせると、どこの馬の骨かもわからぬよそ者にかっさらわれたのだ。


 そんなわけで、エレノアは、父を叔母の屋敷に残して、一人で~もちろん侍女や護衛は同行したが~見舞いにかこつけて皇子に会いに王宮へ来たのだが。


 まあ、父が今、体調を崩して起きられないというのは、全くのウソではない。祝いの宴で飲み過ぎて、今朝も二日酔いでうなっていたのだから。


「気遣いは無用だ。公爵には、心行くまでわが国での滞在を楽しんでほしい」


 王は鷹揚な笑みを浮かべたまま、続けた。


「此度のこと、我が国としては、なんらブーマ王国に含むことはない。むしろ、多大なるご迷惑をかけたと思っておる。本来なら、正式な手順で謝罪すべきところではあるが、王族への暗殺未遂など、公にすることはできぬ。我が息子アルフォンソを救うための御尽力を心より感謝しておると、このアルメニウス一世、チャスティス・ブーマ殿にはすでに伝えておる」


 つまり、皇国側としては、現ブーマ国王と今後も良好な関係を築いていくことを重視するので、ビーシャス公の非礼を問題視する気はないということか。

 エレノアはとりあえず安堵した。が、同時に疑問が沸き上がる。

 なら、なぜ、王が直々に、わざわざこの部屋に?


 自分が面会する予定だったのは、友人の想い人、あの不愛想な皇子殿下一人であったはずなのに?


 つつましやかな笑顔で王の話を聞きながら、彼女は、ほんの一か月前に起こった惨劇を思い出していた。


*  *  *  *  *


 表敬訪問中のローザニアン第二皇子がブーマ国内で暗殺されかけるという、下手をすれば国家間の争いにまで発展する可能性があった大事件。それが起こったのが、つい1か月ほど前のこと。


 エレノアには、皇国と自国ブーマで行われたであろう取り決めの仔細はわからない。

 国内で発表されたのは、差しさわりのなさそうな単純すぎる事柄のみ。

 すなわち、ブーマ国内に入り込んだ賊が、皇子を亡き者にしようと歓迎の宴で爆弾をしかけたが、皇子自らの手によって返り討ちにあったと。


 あれは酷い事件だった。何を隠そう、エレノア自身もその惨劇を目にした当事者であり、親しい令嬢の一人が死にかけたのだから。


 あの爆破事件だけでも、平和な小国『ブーマ王国」では一大事件だったのだが、実際は、あの事件は、暗殺計画の序盤に過ぎなかったらしい。

 その後に起こった『真の暗殺計画』の詳細を知っているのは、国のトップだけだろう。

 王家の傍系の侯爵令嬢であるエレノア自身、おおやけの発表以上のことを大して知っているわけではない。皇子とともに一連の事件の渦中に在ったもう一人の人物、シャル・ベルウエザー子爵令嬢からいくらか聞き及んでいる程度だ。


 世間一般では、事件の際、皇子は多少の傷を負ったが、10日前には無事に帰国し、現在、皇国内で療養中である、という認識になっている。

 今なお事件の真相は、調査中であり、皇国側とブーマ王国側が協力して事に当たっているのは間違いない、とエレノアは思っている。


*  *  *  *  *


 今回、エレノアがビーシャス公に連れられて皇都へやってきた主な理由は、皇国貴族へ嫁いだ叔母の出産祝い。極めて私的なものだ。


 皇都へ行くのだから、ついでに、もう一週間以上も顔を見ていない~魔道具での文通はほぼ毎日していたようだが~愛しい皇子に、自ら手作りした贈り物を届けてくれないかという、シャルの願いにほだされ、らしからぬ親切心を出したのがまずかった。


 もともと、『皇国には、結ばれたい相手の誕生月を著す色の箱に入れて、手製の品を贈る風習がある』等と教えて、彼女にやる気をおこさせてしまったことに、責任を感じていたし。


 今や友達となった二人だが、初対面の舞踏会で皇子の無礼な態度に腹を立てて、シャルに八つ当たり的な態度をとったことを、エレノアは未だに引け目に思っていたせいもある。


 シャルを通して面会の手はずは整えていた。

 エレノアとしては、皇子に『贈り物』を渡すだけの簡単な用事のはずだった。ま、面会の場所が王宮なのは、いささか、気にはなったが。


 なのに、なぜこんなことに?

 わざわざ、王が出向いてきた理由は何だろう?皇都へ来たのに、公爵ちちが皇子の見舞いに顔を出さないのが気に食わないってことでないのなら?


 用向きを告げたら、なぜか、一人、奥の謁見の間に通された。

 皇子を待つはずが、皇子ではなく、国王が供もつれずに待ち受けていたなんて。


「公は噂通り、しっかりした、よき娘御をお持ちのようだ。その容姿、その立ち振る舞い。どこの社交界でも評判になろう。知っておられるか?内々にではあるが、そなたは、第二皇子アルフォンソの正妃候補の筆頭に上がっておったのだ」


 エレノアは、思わず王を凝視してしまう。

 金髪碧眼の美しくも威厳に満ちた皇国の支配者を。


 形だけの笑みを浮かべた王は、エレノアを値踏みするように見据えていた。

 上がっておった、か。過去形ということは、すでにそうではないと言う意味だ。

 家柄、美貌、教養の面で判断すれば、自分が筆頭に上がっていたこと自体は、なんら不審な点はない。

 エレノア自身に、あの慇懃無礼な美貌の皇子と結婚する気は全くないが。


*  *  *  *  *


『アルフォンソ様が喜んでくださるといいのだけど』

 アルフォンソ皇子の生まれ月はみっつめの月。

 リボンの掛けられた赤い箱、『手作りの贈り物』を託しに来た時の、無邪気な顔が目に浮かんだ。


 肩のあたりで緩く結んだちょっと癖のある見事な銀髪。眼鏡の奥の、長い瞼に縁どられた琥珀の瞳に浮かぶ得意げな色。わずかに口角が上がったピンクの唇。

 母親のように目の覚めるような美人ではないが、パーツそのものは整っている。

 まさに愛らしいという形容詞がぴったりの容姿だ。


 本当に逢う度に思うのだ。

 この可憐な容姿であのバカ力は、詐欺じゃないだろうか、と。


*  *  *  *  *


「アルフォンソめ、自分で相手を探してきよった」


「殿下が?それはおめでとうございます」


 王の突然の言葉を不審に感じながらも、エレノアはさも驚いたという表情を取り繕う。


「相手は其方の国の貴族令嬢だ。入り婿になるから廃嫡してくれと言われて、困っておる」


「まあ・・・。殿下は情熱的でいらっしゃるのですね」


 情熱的って、あの無配慮無表情皇子からは、一番遠い形容詞だと思うけど、と心の内で毒づく。


 それにしても、なぜ、私にこんな内輪の話を?


 懐に携えた小さな箱のことを意識する。


 どちらにしても、皇子との約束の時刻はとうに過ぎている

 やはり、ここは適当な理由をつけて、出直すべきだろう。

 実際に会わないことには、皇子の反応をきっと聞きたがる彼女シャルに報告できないし。


 相手の目的が分からない以上、長居して余計な情報を与えるのは得策ではない。


 無難に引き上げるにはどうするべきか逡巡していると、国王が、コホンと咳ばらいをした。


「そなた、ベルウエザー子爵令嬢とは知り合いと聞いておるが、まことか?」


「リーシャルーダ・ベルウエザー嬢は確かに私の知己ではありますが」


 おや?

 エレノアは内心で首をかしげた。

 今まで淡々と言葉を連ねていた王の声音に、突然、懸念のようなものを感じたのだ。


「率直に聞く。ベルウエザー子爵令嬢とは、そなたの目から見て、どのような女性なのだ?」


 これは、もしかして、親として、息子の恋人について、知りたいってこと?

 相変わらずあまり表情は変わらないが。


「ベルウエザー子爵夫妻のことは、ある程度はわかっておる。なのに、令嬢については、どんなに調べさせても、名前以外、ほとんど情報が得られぬ。社交界では、名前さえ知られていないようだ」


「ベルウエザー領は王都から遠く離れた辺境地でございます。そのため、あの皇子殿下の歓迎の宴が、ベルウエザー嬢の社交界デビューでございました」


 そう。あの舞踏会が、エレノアと彼女の初対面でもあった。ほんの一か月ほど前のことなのに、かなり昔のことのように思える。


「そなたが話していいと思う範囲でかまわぬ。令嬢とその一族について話してはくれまいか?」


 真剣に身を乗り出している相手に、エレノアは、あくまで私見ですが、と断りを入れてから、口を開いた。

 

*   *  *  *  *


「申し訳ない。エレノア嬢」


 取次ぎもなく扉が開いたかと思うと、アルフォンソ皇子が珍しく焦った様子で飛び込んで来た。


「遅かったな、アルフォンソ」


「陛下!?なぜ、ここに?」


 父王の姿に、アルフォンソは心底驚いたようだった。

 慌てて礼を取ろうとした拍子に、抱えていたらしい荷物がばさりと床に落ちて散らばった。

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