第9話  皇子の療養休暇 ①魚釣り

「団長、もう十分なんじゃないですかね?」


 皇国第二騎士団、通称『黒騎士団』の自称『将来有望の若き術師』のケインは、明らかにうんざりした口調で言った。

 その傍らには、釣りたてのまだピチピチした大型の魚シーラケウスが山と積まれている。


 シーラケウスは魔物でこそないが、その凶暴さでは小型の魔物に引けを取らない魚だ。

 陸地に釣りあげられてもなお、歯をむき出してジャンプしてくる奴も少なくないので、ケインとしては気が気ではない。本当なら、陸に上がったら片っ端から氷漬けにしたいところだが、釣り終了後に冷却魔法を施す瞬間まで、すべて活かしておくように命じられている。


 その方が味が落ちないから、だそうである。


 確かにこの湖でしか捕れないこの固有種は、赤黒マダラの魚体にのこぎりのような歯という毒々しい見かけに反して、あっさりとした味わいの白身魚で、さっと焙って洗いにし、ゴマダレに付けて食すと絶品だ。

 あまり日持ちがしないので、皇都以外で食卓に上ることは難しい。間違いなく、ごく一部の美食家しか知らない珍味の一つだろう。


 と言っても、この凶暴な魚を料理するもの好きは、皇国広しと言えども、多くはない。見た目がこれだし、釣ること自体、サメ釣り並みに危険が伴うのだから。

 

「お前の氷魔法なら、馬車一杯くらいの量、半月は保存できるだろう?」


 巨大魚専用の特別誂えのリールを使って釣り糸を湖に投げ入れ、アルフォンソが平坦な声で言った。


 今日は朝から、珍しいほどの小春日和。そんな1日ももう午後半ばを過ぎた。

 ケインは心の中ででっかいため息を吐いた。


 先日の陰謀に巻き込まれた際の怪我の治療という名目で、まあ、自分だって、いわば休暇中の身。こんなところで上司に付き合うのではなく、女友達たちと一緒に町まで遊びに行くほうが、ずっといい。末席とはいえ、黒騎士団の一員である事実は、若い女性への巨大なアピールポイントだ。客観的に言って、彼はそれなりに、モテるのである。


 何が悲しゅうて、こんなデート日和に、上司と釣りに行かなくちゃならないんだ?

 それも食材保存に便利な氷室替わりとして?


 たとえ、その上司がそんじょそこらの美女よりもはるかに美形だとしても、だ。


 周囲はなんとも静かなものだ。時折聞こえるのは、春の到来を待ち望む鳥のさえずりぐらい。湖面に煌めく木漏れ日がまぶしい。あまりにも平和過ぎて、眠くなりそうだ。

 かたわらで、歯をむき出した魚たちがばたぐるっていなければ。


 一見のどかに見えても、ピクニックや転寝するには適さない場所なのは、ケインにもよくわかっている。

 この辺境地に近い森には、皇都内では珍しく、ごくわずかながら中型の魔物種も生息しているからだ。そのため、森を訪れる者は、ごくわずか。せいぜい魔物狙いの狩人か、珍しい薬草採りを生業にする術師くらいだ。


 時折、木立を吹き抜ける冬の名残を含んだ風が湖面をかすかに揺らす。無表情に湖面を眺めている皇子のやや長めの艶やかな黒髪も揺れる。


 うん。確かに絵になる人だなあ、とケイン。


 表向きは、療養のため帰国したことになっているせいで強制的に休暇中のアルフォンソ皇子は、いつもの黒い団服は着ていない。

 今日の彼の服装は青い上着チュニックに同色の騎士用ズボンスラックス。その上に羽織られた、やはり青い大きめのダブルブレストコートはおそらく帯剣を隠すためだろう。非番の騎士には、ありがちな軽装だ。

 なのに、皇子がその服装で湖で釣りをしている情景を一目見れば、どんな絵描きでも、インスピレーションに駆られて筆を執るに違いない。


 アルフォンソ・エイゼル・ゾーン。


 この大陸では珍しい黒い髪と黒い瞳の持ち主で、世間では『笑わない黒の皇子』と称されるローザニアン皇国の第二皇子。


 決して女性的ではないが、中性的な、まるで芸術作品のように整った容貌。年に似合わぬ英知と見かけによらぬ剣技の才。皇国第二騎士団、通称『黒騎士団』を率いる、常に冷静沈着で誰もが一目置く優秀な若き指揮官。


 皇子直属の部下のケインは、皇子が見かけほど冷たい男でないことをよく知っている。が、同時に、どこか厭世的な考えを持っていることも知っていた。

 常々、不思議に思っていたものだ。これほどの才に恵まれているのに、なぜ団長は人生を楽しんでいるようには見えないのだろうと。


 ま、そりゃ、王族っていうのは、一般庶民には理解できない重圧や責任があって大変なんだろうけど。


 それも、あの事件以来、すっかり変わってしまった。

 そう。皇子は変わったのだ。あの、小国ブーマの子爵令嬢、シャル・ベルウエザー嬢と出会った瞬間から。


 誰が予想しただろう?

 何事にも無関心無感動だった皇子が、父王に自らの廃嫡を願い出て、他国の辺境子爵のご令嬢への婿入り宣言をするなんて。


 皇子の突然の驚くべき申し出は、王室全体を揺るがすものであっただろうことは想像に難くない。なにせ、一部の重臣たちからは次代の王にふさわしいと目されてきた稀代の天才『黒の皇子』の御乱心なのだから。


 今のところ、この件は王室関係者のみに秘されているようだし、皇子も表面上はおとなしく皇都に滞在している。いわば、王の裁断待ち状態だ。だが、この事実が皇都全体に広まるのも時間の問題だと、黒騎士団の面々は確信している。


 黒騎士団内の噂によると、とにかく皇子の21歳の誕生日までには結論を出すので王宮で待機するように、と王から厳命が下されたらしい。

 つまりは、あと2週間くらいは待てということだ。


 父子間でどのような話が交わされたかはわからない。が、しぶしぶその提案を飲んだ皇子は、その間、せっせと令嬢との親交を深めることにしたらしい。愛する令嬢が一番喜びそうな贈り物、つまりは皇国の珍しい食材やお手製の料理、菓子類を贈り続けることで。


 おそらく、従兄で幼馴染で側近でもある、副団長のエクセルの忠告に従って。


 いつもなら、お供にしゃしゃり出る副団長は、現在、皇都で案件事項となっている麻薬汚染事件~どうやら口にした者の魔力を高める効果がある依存性の強い薬らしい~の捜査にここ数日狩りだされていて不在。黒騎士団の他の面々の多くは、この機会に里帰り中。なので、今のところ一番暇であるケインが、皇子の食材探しに付き合って皇国の端に位置する森を訪れているわけだ。


 皇子オリジナルの魚料理は、さぞや美味に違いない。黒騎士団の団員なら誰もがそう言い切るはずだ。なにせ、皇子の料理の腕前は宮廷の料理人さえ唸らせるほどのものなのだから。

 試食という役得だけでも、一日ほぼつぶして釣りに付き合ったかいはあるかもしれない。


「ほら、団長、もうそろそろ帰って準備をしないと。下ごしらえの時間だって必要でしょ?さばくくらいなら、俺もお手伝いできますから」


 アルフォンソは背後で蠢く大量の魚体に視線を投げた。


「そうだな。これくらいあれば、なんとか足りるだろう。これで最後にする」


「ご令嬢、こんなに一度にもらっても困るのでは?」


 団長ったら、ちょっと張り切りすぎじゃないか?こんなに大量の魚で何人分の料理をつくるつもりだろ?いや、数種類の料理を作るつもりかも。当然、すべて俺が味見だよな?

 と、ケインは困惑半分、期待半分状態だ。


 アルフォンソが今回張り切って~そう見えなくてもそうなのは、黒騎士団の者にはわかるのだが~釣りをしている理由。それは、愛するシャル嬢の友人の公爵令嬢が皇都に短期滞在の予定でやってきているからだ。


 黒騎士団情報によると~誰がどこから聞き出しているのかは不明だが~、そのご令嬢は、どうやらシャル嬢から団長あての何かを預かってきているらしい。

 この機会に通常配達が難しい料理を、公爵令嬢に直に持ち帰ってもらってベルウエザー嬢に届けてもらおう、と皇子は張り切っているのである。


 もちろん、ベルウエザー嬢の贈り物も心待ちにしていることは言わずもがなだが。


 確かに、この魚シーラケウスは、輸送用の魔道具を使って遠距離に運ぶのは不可能な食材。いくら魔物料理で有名なベルウエザー領でも手に入らない珍味だ。


 でも、この量はどうだろう?

 直接ベルウエザー領に届けてもらうとしても、賞味期限がそんなにあるわけではない。


「いや、大丈夫だ。あのご一家なら」


 皇子がケインのもっともな懸念を、きっぱり否定した。


「きっと、喜んでもらえると思う。ぜひ一度食べてみたいと言っていたから」


 皇子の形の良い唇がほんの僅かほころんだ。

 めったにないことに。

 きっと、ご令嬢の嬉しそうな顔を思い浮かべたのだろう。


 映写魔術の才があれば永久保存できるのに、と切に感じたケインであった。


 ブーマ国での事件で彼女シャルに迷惑をかけた償いだと思えば、これくらいの無料奉仕は当然かも。

 ケインは気持ちを切り替え、収納用の魔具を取り出した。魚の山に瞬間冷却の術を掛けようとしたその時・・・


 異様な音がした。最後の一投を終えた皇子の方から。


 振り返ると、皇子がリールを握って格闘の真っ最中。

 釣り糸の先で水面から覗いているのは、カエルに似た大きな口と小さな目が付いた醜い顔。

 呆気に取られて動けずにいるケインの目の前で、皇子が地に竿を突き刺した。


「ケイン、竿の固定を!」


 ケインが慌てて土属性の術を放ち、竿を地にしっかりと埋め込む。

 竿を離すと、皇子はコートの下から剣をすらりと抜いた。


「氷を頼む!」


 命じると、そのまま地を蹴って、湖上に大きく跳躍する。両手で柄を握って大きく振り上げ、獲物アルフォンソに狂喜して水中から躍り出た魔物の首筋めがけて、見事な一太刀を浴びせた。


 魔物が大きく裂けた口を開いて、甲高い悲鳴を上げた。

 その青黒い舌が鞭のようにしなって伸び、皇子の頬を掠めた。

 ワニを思わせる背から大きな鱗がいくつも放たれ、皇子を狙う。


凍結フリジット!」


 ケインが放った術に瞬時に凍りつく湖面の一部。

 身をひねって鱗をかわすと、皇子はその氷塊に見事に着地した。そのままそこを足場に再び跳躍すると、振りかぶった刃で魔物の頭から腹部までを寸断した。


「団長、大丈夫ですか?お怪我は?まさか、こんなところに、第一級危険種の悪食鰐蛙マッドフロッグがいるなんて」


 ケインが血相を変えて駆け寄った時には、すでに皇子は湖岸に立って、流れるような所作で剣を納めていた。

 考え込んだ様子で、仕留めたばかりの魔物の死骸に視線を向けたまま。


悪食鰐蛙マッドフロッグは香草焼きにするととても美味なんだ。シャル嬢への御馳走がもう一品できそうだと思ったんだが」


 湖面にじんわりと広がっていく青い体液。その中心にぽっかりと浮かびあがる、ほぼ真っ二つに分かれた6つ足のカエルに似た形の巨体。


「人を食った魔物の肉を女性に勧めるのは、どんなに美味でも、やっぱり、止めた方がいいだろうか?」


 皇子が至極真面目に訊ねた。


 魔物の腹部あたりから覗いているのは、人間の腕と思しき残骸。

 まだ形が生々しく残っているその指は、大きめの革袋をしっかりと握りしめていた。


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