リミッター解除

夜の海岸。

波の音が鳴り響く。

月光が反射して、海面に光の粒を浮かべていた。

そこに人影が一つ。


「やっぱり”この町の海”はいいな。」


人影。一人の少女が砂浜に座っていた。


夜の砂浜は冷たくて、心地よい。

波が打ち寄せて、少女の足を濡らす。


そんな空間に彼女は小さく揺れながら歌いだす。


「——————♪」


その歌声につられるように小さな海風が吹く。

海風に磯の香りが運ばれてやってくる。


「……。」


少女は鼻に入る磯の香りに——————


「……嫌なことが起きそう。」


少女はそう呟くと、おもむろに立ち上がり、町の方を眺める。

町は明りに照らされて、少女を歓迎しているかのようだった。


「——————でも、何が起きようと私がこの町を守るから。」


彼女の眼は、決意に溢れていた。

だが、その眼は決意に溢れているにも関わらず、その眼には光が映っていなかった。

まるで、光の届かない深海のような眼をしていた。



——————————————————



9月10日 午前6時


坂田のアジトには、幹部全員が集合していた。


「みなさん。お見送りありがとうございます。」


エンプレスのボスである坂田は幹部全員に頭を下げる。


「ボスが5日間もいないと寂しくなりますね。」

「確かに。なんだかんだボスが数日間も不在になられるのは初めてだしね。」


平田と桐野は少し落ち込むように話す。

そんな落ち込む二人の様子を見て、九頭竜と紗月は答える。


「まあ作戦が完了次第、我々は戻ってくる。あまり表に出る事は避けたい為、すぐに終わらせる予定だ。」

「そうね。変に面倒くさい奴らに絡まれたら大変だしね。」


九頭竜と紗月は落ち込む二人の様子をみて答える。

それを聞いた平田と桐野の表情は少し明るくなる。


「だけど、ボスとそっちの二人が不在中に何かあったら大変じゃない?例えば…ガーディアンズが攻めてくるとか。」


小鳥遊が幹部たちを指摘するように質問する。

それを聞いた坂田は少し首を振って答える。


「私もそれは懸念しています。

----その為いざとなったら、”黛のリミッターを解除させます”」


ボスの言葉に幹部たちがどよめく。

そんな中、男性の声が鳴り響く。


「ボス。お任せください。」



——————————————————



『黛 欧賀』

エンプレス幹部序列第4位。

一般人とは比べ物にならないほどの大柄な体系でスキンヘッドの男。

スーツを着ている上からあふれ出る筋肉量。


彼は坂田の言葉に自身の両拳を突き合わせていた。

それを見た坂田は満足そうに頷きながら続ける。


「黛。いつでもリミッターを解除できる準備はできていますね?」

「もちろんです。いつでも殺れます。」


彼はそういって坂田の目の前で拳を振る。


『リミッター解除』

専用の薬剤を体内に注入することで一時的に脳にかけられたリミッターを外して、人知を超えた力を発揮する。

ただし、反動で身体のダメージは大きくなり、使用者の寿命を削る諸刃の剣でもある。


黛は幹部の中でもトップクラスの戦闘能力を持つ。

その力が何倍、何十倍になればほとんどの人間を食い止めることが可能になる。


「……なら大丈夫です。もしもの時はお願いします。」

「承知しました。」


坂田の言葉に黛は一礼をする。

そこに平田が続ける。


「ボス。黛さんの”リミッター解除”の判断は私でよろしいのですか?」

「はい。私が不在の間、平田にエンプレスの全ての指揮を渡します。皆さん。異論はないですね?」


坂田は幹部全員に投げかける。

幹部は皆、了解といった様子で首を縦に振る。


そんな中、時刻は6時30分を回ろうとしていた。


「では、そろそろ行きますか。」


坂田は体を伸ばしながら九頭竜と紗月に話かける。


「そうですね。向かいましょう。」

「北海道とか久しぶりだから楽しみだわ。」


彼の声に二人は答えるように続ける。

そのまま三人とも送迎車に乗り込もうとした瞬間だった。


「ご主人様。お待ちください。」


坂田を引き留めたのは、今まで一度も発言をしていなかった有栖だった。


「有栖ですか。どうしました?」

「いえ、あの……。」


呼び止めたにもかかわらず、少し話しづらそうにしている有栖を不思議そうに見つめる坂田。

ふと、ここで有栖の体の変化に気づく。


「有栖……”右眼”に眼帯をしていますが…どうしたのですか?」


いつも無表情だからこそ有栖の眼を見るのだが、今日彼女は右眼に眼帯をつけていた。

昨日までは眼帯をしていないことを確認していることからほんの少し前に怪我をしたとみられる。


指摘された有栖は特に表情も変えることなく————


「昨日、”色々”ありまして。ご主人様は気になさらないでください。」

「色々ですか……まあ有栖が気にしないでくれと言うのならいいのですが…。」


坂田は少し疑問が残る様子を見せながらも有栖の言葉に従う。

そして、本題に戻る。


「それで、私を呼び止めた理由は何でしょうか?」

「そうでした。これをご主人様にお渡ししたく、呼び止めてしまいました。」


そんなことを言う有栖に、小さな小包を一つ渡される。


「これは、何ですか?」

「小包を開けていただけると幸いでございます。」


彼女の言葉のままに小包を開封する。


「これは……。」

小包を開けるとそこには“ピンポン玉サイズの小さなお守り”が入っていた。


「ご主人様の無事と”私の想いを詰めた”お守りになってます。心の支えになれば嬉しいです。」


少し恥ずかしそうに話す有栖。


「私の為にありがとうございます。肌身離さず持ってますね。」


そういって坂田はスーツの胸ポケットにお守りを入れる。

彼の表情は仮面で隠されているが、嬉しそうな声をしていた。


「では、5日間の間ですが、皆さん、ここを頼みましたよ。」


そういって坂田は車に乗り込む。

最後の乗客を乗せた車は空港へと走っていった。




——————————————————



三人を乗せた車が出発し、残された6人の幹部達。


「さて、主殿も向かったことだし、儂らも解散するかの。」


野々村はそんなことを口にしながらアジトを後にする。

その時、彼は思い出したかのように話し始める。


「そうだ、平田に一つ言っておかなければいけないことがあった。」

「言っておかなければいけないことですか?」


野々村の言葉に平田は首を傾げる。


「主殿から”例の新薬”を作るよう頼まれていたが、もうすぐで完成しそうでな。」

「例の……ってまさか!?」

「そのまさか。”痛覚を完全遮断する薬”の完成は近い。」


“痛覚を完全遮断する薬”

野々村は以前、坂田にこの薬の製薬を頼まれていた。

平田は頭を少し悩ませながら続ける。


「わかりました。薬が完成次第、報告をお願いいたします。」

「承知した。」


野々村はそう言って手配した送迎者に乗車し、アジトを後にする。

その様子を見た平田


「今日はボスも見送ったことですし、もう解散にしましょう。……冥土さんだけ少し”お話”いいですか?」

「何を話すのかわからないけど……わかったわ。」


平田の言葉に幹部各々、自身の持つアジトへと戻る。

そして、坂田のアジトには平田と冥土が残されていた。



——————————————————



「話って何かしら?私も貴女に構うほど暇じゃないのだけど…。」


先程までの無表情とはうって変わって有栖はうんざりした様子で平田に話しかける。

その瞬間――――

平田は“眼帯をしていた有栖の左眼”を抉る。


「———っ!何するのよ!」

「……やっぱり。」


有栖が身に着けていた眼帯が剥がされる。

そこには—————


「———左眼……”自分で抉って”お守りにしたんですね。」


あるはずの左眼の眼球が存在していなかった。


「あら、ばれちゃった。」


そういって有栖は笑い始める。

それはまるで狂った人形の様だった。


「昨日まで全く怪我をした様子がなかった貴女が、急に左眼に眼帯をつけてやってくるものですから…それは怪しみますよ」

「だからって急に人の左眼部分を抉らないで頂戴。」


少し怒るように話す有栖。

そんな彼女は続ける。


「でもまあ……これで私もご主人様と北海道に同行したも同然よね。」

「さすがにこれはノーカンなのでは……。」


生き生きと喜ぶ有栖とは対照的に、平田は呆れたかのように指摘する。


「体の一部も犠牲にできない貴女に言われても何も聞かないわ。」


平田の指摘に有栖は反論する。


「私は冥土さんとは違う愛し方ですから。貴女の様に狂った恋愛はしない主義なので。」

「面白い事言うじゃない。”代理さん”。」

「ただ、自分の体を食べさせたり、体の一部を渡して満足してる”自称メイドさん”。も面白いですよ?」


二人の間に亀裂が走る。


平田の手にはカランビットナイフ、有栖の手には鞘を抜いたダガーが握られている。

これから、殺し合いが始まる。

その時だった。


「あれ、もう少し後に来るかと思ったのですが……。」


二人の目の前に一台の車が停車する。


「あら、迎えの車?」

「そうです。少し前に呼びまして。」


平田の言葉を聞いた有栖は小さく笑い———


「ま、ボスがいないところで白黒つけてもしょうがないわね。」

そう言って彼女はダガーを鞘に戻す。


「それもそうですね。」

平田も有栖に続くようにカランビットナイフを下す。


いつの間にか、二人の様子は元に戻っていた。


「今度、ボスの前で殺り合いましょう。」

「そうですね。」


二人はそれぞれ別れ、アジトを後にした。




——————————————————



北海道へ向かう三人を乗せた車内。


「そういえば、ボスは仮面をつけたまま飛行機に乗るんですか?」


九頭竜は坂田が身に着けている仮面を見て話しかける、

彼の問いを聞いた坂田は首を横に振り、鞄から一つの”液体の入った瓶”を取り出す。


「それは……何かしら。」


紗月は興味深そうに瓶を眺める。


「これは”自分の顔を他人に認識できなくさせる薬”です。」

「なるほど……。それを呑むと顔が認識できなくなるのですか?」

「ええ、もう飲んでもいい頃でしょう。」


坂田はそういって瓶の蓋を開けると、仮面を口元まで外し、中に入っている液体を飲み干す。


「薬品ですから、あまりおいしくはないですね。」


そういって笑いながら坂田は仮面を外す.


九頭竜と紗月に一瞬の緊張が走る。


普段見ることの無いボスの素顔。

もしかしたら拝めるのかもしれない。


そんな二人の視界には———

顔がない、のっぺらぼうが写っていた。


「それがこの薬の効果ですか。」

「そうです。二人は私が説明した為、この顔に違和感を感じるでしょうが……一般人には普通の顔に見えているはずです。」

「ボスがのっぺらぼうになっちゃって怖いわよ。」

「すみませんが、我慢してください。」


紗月の言葉に坂田は謝るように返す。

時計の時刻は7時を回っていた。


「そろそろ空港に到着しますね。」

「私、実は飛行機あまり得意じゃないのよね……フライト中はボスの隣で腕組んでもいい?」

「私達、ファーストクラスですよね?」


車内はそんな三人の会話で賑わう中、ついに車は空港へと到着する。



これから、長い長い戦いが始まるとも知らずに。





——————————————————



北海道某市街地。

時刻は20時過ぎ。

多くの飲食店や酒場が陳列する街中で一人少女が現れる。


「ようやく到着した。疲れた。」


白黒の二色髪を後ろで一つに結んだ少女は疲れた様子で街の中を眺める。

食事を楽しむ一般人もいれば、酔って騒いでいる人間もいる。


「とりあえず。ホテル。行かなきゃ。」


そう呟いた彼女は街の中を歩きだす。

9月の北海道は少し冷たい風が吹き、どこか肌寒い。


「寒い。海に入れないかも。」


そう呟く彼女の表情は、少し物寂しげだった。




—————次章。『海国の断罪者』




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