メイドと煙草の煙

幹部会議から数日後、エンプレスのアジトでは対ガーディアンズに向け様々な作戦や対策が練られていた。


ガーディアンズを直接相手にするということもあり、アジト全体がより一層殺伐としたものになり、幹部達も普段とはまた違った雰囲気を纏っていた。


「はぁ……」


もちろんそんな空気に耐えきれず、俺はアジト内の自室にいた。

これは束の間のオアシス。

やっぱりどんな地獄にもオアシスは存在する。


殺伐とした空気は遮断され、澄みついた空気で満ちた部屋。

そこでソファに寝転びながら動画サイトで好きな動画をみる。


こういうのを幸せと言うのだろうか。

そう思いながらソファで寝転ぶ中、トントントンと部屋のドアがノックされる。


———まずい!


俺は瞬時に外していた仮面を着け、身なりを整える。

俺の部屋に入ることができるのは緊急事態を除き、幹部のみ。つまりこのノックの正体は幹部の誰かとなる。


「どうぞ。」

「失礼します。」


そう言って入室してきたのはメイド服を身に纏い、腰まで伸びた長い髪と、穏やかな表情が印象的な女性だった。

彼女は室内に入ると扉の前で一礼し、ゆっくりとした足取りでこちらに近づく。そして、俺の顔を見るや否や微笑んだ気がした。


「有栖ですか。どうかしましたか?」


直立の姿勢のまま彼女は口を開く。

それは従順なメイドそのものだった。


「はい。私事で失礼ながらご主人様に確認したいことがございまして……。」

「そうですか。まぁそんな緊張なさらずに話してください。」


俺の言葉を聞いた彼女は「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べると俺の隣に座ってきた。

何故。

正面にも別のソファがあるだろ。

なんならそっちの方が話しやすいだろ。

隣にいられると俺が緊張するわ。


『冥土 有栖』

エンプレス幹部にして序列5位の彼女。

俺の事を“ご主人”と呼ぶメイド服姿の女性。

そんな彼女が俺と何を確認したいのだろうか。

横に座る彼女は俺の方に体を向け話し始める。


「以前お話した“お食事”の件なのですが…」

「ああ———。そういえば今日でしたか。」


“お食事”


実は以前、有栖が『料理の味見をしてほしい』と相談しにきたことがあった。

配下に食わせればいいのでは?と思ったが、どうやら有栖は配下だと気を遣われてどんなに言われようが納得できないらしい。


まあそういうことならと思いつつ、珍しく犯罪とは全く関係のない可愛らしい頼みということもあり、俺は有栖の料理修行を手伝う約束を交わしたのだ。

まあ、年が近い異性の料理をいただけるのは貴重な体験だしな。


その約束の日が今日の夜だった。

正直有栖に言われるまで忘れてた。


「そういえば聞いていませんでしたが、有栖はどちらで料理するのですか?」

「レンタルキッチンを予約しているので、夜になりましたら車を向かわせます。」

「わかりました。ふふっ、楽しみですね。」


最近アジト全体が殺伐としてるし、息抜きとしても丁度いいな。

俺は幹部の前で久しぶりに自然と笑った。

ふと有栖の顔色を伺うと


「……。」


彼女は無表情だった。

いつも通りで安心した。

彼女は無表情がデフォルトなのだ。

怒っている表情や泣いている表情を見たことがない。

唯一見たことがあるのは俺と話している時にたまに笑う表情だけだ。


逆に無表情じゃないと心配してしまう。


「では、また夜にお出迎えに参ります。」


彼女はそう言って部屋を後にした。

幹部の手作り料理を食べるとか初めてだな。

少し楽しみだ。




——————




「疲れた……」


平田や九頭竜との対ガーディアンズに向けての話し合いが終わり、自室へと戻っているときだった。


「ご主人様、お疲れ様です。」

有栖が自室前で出迎えていた。

時刻は20時過ぎ。

時間的にも夜飯時だ。


「有栖ですか。もう向かいますか?」

「お疲れのところ申し訳ないのですが…」

「いえ、大丈夫ですよ。私も楽しみにしていますし。」

「左様でございますか。ならば今から向かいましょう。すでに車は準備しております。」


そう言いながら俺と並んで歩く彼女の表情は少し明るい表情をしている気がした。

そんな時だった。


「電話———?」

有栖の携帯に着信音が鳴り響く。

彼女は俺に視線を向けてきた

俺は電話を取るよう促すと、彼女は立ち止まり着信に出る。


会話の内容は聞こえないが、おそらく配下からの連絡だろう。

ただ、時間が少しずつ経つたびに彼女の表情は変わることはなかったが、明らかに雰囲気が暗く、いや怒っている気がする。怖い。




——————




3分ほど経過した後、彼女は電話を切った。


「大丈夫ですか。何かありました?」


そう聞くと彼女は


「———申し訳ございません。

先日から忍ばせていたスパイが警察上層部の人間の拉致に成功したとの連絡がきました。」


ん?


「私は情報聞き取りの為、そちらに向かわなくてはいけなくなりました。」

「なるほど、そうですか。」


いや怖いよ。お前、昼は料理の話してたじゃん。


「ご主人様の大切な時間をいただいたにもかかわらずこのような音になってしまい本当に申し訳ございません…」

「いえ、私はいつでも大丈夫なので……またのお誘いお待ちしていますね。」


有栖からは申し訳ないといった雰囲気が漂っていた。

俺は別に他の幹部に捕まらなきゃいつでも暇だしそんなに気にしなくていいのだが…

彼女は無表情ながらも申し訳なさそうに送迎車に乗り込み、現場へと向かった。






——————




夜道を走る一台の車。

そこに彼女、『冥土 有栖』が後部座席に座り、運転席には彼女の配下である男がハンドルを握っている。


「おい、“アレ”。」

「畏まりました。」


彼女の命令に配下は一つの箱を渡す。

それは煙草の箱だった。

彼女はそれを受け取ると一本取り出し、火をつける。


「せっかくの時間だったのに……」

彼女の顔は無表情だったが、言葉には確かな怒りと殺意が含まれていた。


「まぁ……この後解消すればいいか。」

彼女は走る夜道を眺めながら2本目の煙草に火をつける。

それは、彼女の心を落ち着かせるための儀式のようなものだった。


「……」

その煙を肺の奥まで吸い込み吐き出す度に、少しずつ心が落ち着いていく気がした。

それが彼女にとっては大切な煙だった。




——————




「冥土様。到着しました。」

「————ん。」


配下の言葉が私の心地の良い空間を現実に引き戻す。


「では、一仕事してきますか。」


彼女は煙草の煙を消すと、右手に工具箱を持って車を降りる。

足取りは軽かった。

そして、指定された場所にたどり着く。


「ご主人様……。すぐに終わらせて戻ります。」


彼女はそう言って部屋のドアを開ける。





——————




有栖を見送った後、自室で少し休憩しているところに本日2度目のノックがされる。

入室許可の元、部屋に入ってきたのは平田だった。


「ボス、お渡ししたいものが。」

「おや——何でしょうか。」


平田の手には複数の書類が握られている。

どうやらこれはすべて俺に渡すために用意したようだ。

その中から1つの書類を渡される。


「この書類たちを見ていただいたボスに今後のご指示をいただきたいのですが…」

「なるほど、わかりました。」


俺は平田ら受け取った書類をパラパラとめくってみる。


(ん? ちょっと待てよ。)


そこには俺の知らない名前が多数書かれていた。


「……。」


書類を一通り読んだ俺は思う。


(これただの殺人予定人物リストじゃねえかよ!!)


「どうでしょうか?」

「えっと……そうですね……」


(いやどうでしょうじゃないんだが!?こんなんいいわけないだろ!)


「とりあえず別の書類も見てみたいですね……」

「そうですか、ではこちらの書類はいかがでしょう?」


次に渡された書類を見ると、そこには拉致予定人物リストが書いてあった。


「次の書類……」


洗脳予定人物リスト。


「次…」


拷問予定人物リスト。


「……。」

もうやだ。帰りたい。

この書類を見て何を指示すればいいのだろうか。



「……ちなみにこの予定者というのはどうやって決めているんですか?」

俺は話を逸らすかのように平田に問いかける。


「過去に現れたガーディアンズの関係者や警察内部に所属しているスパイからの情報に基づいて選別しております。」

「なるほど……。」


(そういえば有栖も『スパイから情報が——』って言っていたな…)


「警察内部に所属するスパイは何人ほどいるのですか?」

「現在は約10人程です。」

「そうですか。」


いや、普通にスパイ多いな。

警察の管理体制大丈夫か。


「これが最後の書類です。」

平田は書類内容へと話を戻す。

もうこれ以上にどんな書類があるんだよ。

俺は恐る恐る最後に渡された書類を見る。


「これは…。」


それは『友好予定人物』と書かれたリスト。

(え————。何だこのリスト?)

友好ということはこれから仲良くなる予定の人たちってことだよな。

犯罪関係者か?


「このリストに書かれてる者達は今後我々が友好的に接することが目的でまとめられているのですよね?」

「その通りです。何か不具合がございましたでしょうか?」


俺の問いに平田は少し首を傾げながらも応える。

俺はさらに質問を重ねる。


「ちなみにここに書かれている名前の者達は犯罪者か何かでしょうか?」

「いえ、今後我々の活動に大きく関わると考えている人達です。友好的に接することが目的ですね。」


平田が返した答えは今の俺が1番求めていたものだった。


(友好になるだけなら犯罪じゃないしとりあえずこのリストの進行を中心にさせるか……。どう影響を及ぼすかわからないが人を殺したり拉致するよりはマシだろう。)


「この友好予定人物リストを真っ先に進めてください。」

「友好予定人物ですか……。」


俺の提案に平田は難色を示す。

(まあ、幹部たちにとっては真っ先に殺したり拉致するほうが楽で手っ取り早いんだろうな…)


「問題でもありますか?」

「いえ、大丈夫です。流石はボスです。」


流石?

彼らも今回は殺人や拉致より友好的な人間を第一優先に増やしたかったのだろうか。

たまには気があるじゃん。


「では、友好予定人物リストを最優先に進めてまいります。」

「はい。よろしくお願いしますね。」




——————



「では今後の方針と詳細も決まりましたし、一度この辺で失礼します。」


友好予定者についての細かい話し合いも終わり、平田も部屋を退出しまた一人となる。

時刻はいつの間にか23時を示していた。

そろそろ帰宅しよう。そう思っていた時だった。



携帯電話の着信音が鳴り響く。

画面には『冥土 有栖』と表示されていた。


そういえば、情報聞き取りしてくると言っていたな

終わったのか?


「もしもし」

『———もしもし、ご主人様ですか。』

電話越しの有栖は少し疲れているような気がした。


「はい。どうかしましたか。」

『ガーディアンズの情報を得たのでこれからアジトに帰還次第お伝えいたします。』


ん?なんて?

俺は自分の耳を疑う。


『ご主人様?』

そんな有栖の声に俺ははっとする。


「いえ、何でもないです。お疲れさまでした。報告お待ちしますね。」

『はい。わかりました。それでは。』


そういって有栖との通話を終了する。

ガーディアンズの情報か……


「これからまた胃が痛くなりそうだな…」


俺は胃痛薬を飲み有栖の帰りを待つのだった。


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