第7話 リサ・ミルズ 2

「・・どうですか・・?・・新しいデスクは・・?・・」


「・・良いですね・・前のデスクも新しい物だったのですけれども、それよりも色々と便利になっていて、新しいアプリケーションも付いていたりして、もっと使いやすそうで馴染みやすそうです・・」


「・・それは良かった・・」


「・・それで先輩・・今夜はどうします・・?・・」


「・・今夜って・・?・・明日は早いから今夜は早く寝るよ・・何で・・?・・」


「・・いや、来週からはこのチームも本格的に忙しくなるし・・今日は金曜日ですから、終わったらこの4人で軽く食べて帰りませんか・・?・・」


「・・良いですね・・是非ご一緒したいです・・」


・・マーリー・マトリンは乗り気だ・・どうやら社交的な嗜好が強いらしい・・。


「・・リサさんはどうですか・・?・・」


「・・私も大丈夫ですよ・・」


「・・じゃあスコット君・・近場で洒落た感じのカフェ・ダイナーでも調べて置いてくれ給え(笑)?・・」


「・・了解しました・・」


・・スコットがそう答えたところで、休み時間が終わる・・。


・・それから終業時刻までは充実して過ごせた・・。


新規の顧客と初めて連絡を取る際に私は、出来得る限り映像回線を通じて対話する。


話をするなら顔を観てする方が私は好きだ。


挨拶とお礼の後は他愛のない話から始めて行くが、私がゲーム大会に艦長として応募して当選した事は知られているので、その話題も必ず出る。


折角私を指名してくれての新規顧客なので、ゲーム大会に関連してのご質問は弊社広報課にお問い合わせ下さい、等と邪険にする訳にもいかない。


かと言って新規顧客の質問にその場で丁寧に答えていたのでは業務の進捗に支障が出るので、プロジェクトチームとして取得したワークアドレスを質問の受付用窓口として提示して、随時受け付けておりますのでいつでもご自由にご利用下さいと提案させて頂いている。


寄せられる質問への応答文面については、リサ・ミルズと協議して数種類の基本的なパターンを作成し、後の対応は基本的に彼女に任せる方針としたが、彼女でも対応に困るような質問があればその都度、私と彼女で協議して対応内容を作ることにした。


そうこうして新規顧客22名との初対話協議を終えた頃、終業時刻となる。


スコットによれば洒落た感じの店だけどちょっと遠いと言う事なので、私のエレカーで行く事にした。


リサ・ミルズは私服の方が少し地味に見えるが、さっぱりしたカジュアルな感じを受ける。


マーリー・マトリンは私服の方が派手ではないが、少しグレードアップした感じがする。


品の良い控え目な豪華さ、とでも言えるだろうか・・。


店は落ち着いて時間を過ごせそうな良い感じのカフェ・ダイナーだ。


迷った時とかよく分からない場合には、スコットに任せれば彼はいつも良いセンスでチョイスしてくれる。


彼のチョイス・センスはかなり高いレベルだと思っている。


このハイセンス・チョイスが、私の知る限りでは彼だけの才能だ。


迷ったのだが暫く食べていなかったので白身魚と茸と人参とポテトのソテーをメインに据えた料理をチョイスした。


スコットは肉だ・・今回彼がチョイスしたのは、ダブル・メガバーガー・・通常サイズのハンバーガーの3倍以上の大きさだ・・彼は野菜も好きだからサラダも大盛りで頼んでいる。


リサ・ミルズがチョイスしたのは温野菜をたっぷり使ったパスタ・・ペペロンチーノかな?


マーリー・マトリンがチョイスしたのはシーフードたっぷりのリゾット・・。


この街は海にも近いからシーフードの新鮮さには定評がある。


彼女はティースプーンで山盛り一杯の粉唐辛子をリゾットに掛けて混ぜている。


かなりの辛党であるらしい。


帰りはエレカーをオートドライブにセットして3人とも最寄りのパブリック・ステーションまで送る事にしたから、皆に軽めで甘口の白ワインを振舞う。


食べながらでも話は弾む。


顧客から私の事を色々と訊かれるのはどうしてだろうと言う話から、このゲーム大会では色々なタイプで様々なレベルでのギヤンブルが既に成立していると言う話が出る。


公営のブックメーカーが既に募集を始めていて、まだまだ流動的ながらベットが既に成立していると言うニュースは、私も観て知ってはいる。


「・・そりゃもう当然でしょう・!・公営のブックメーカーやギャンブルがこれ程あるんですから、その裏側ともなれば100倍以上はありますよ・・それにこのゲーム大会は、始まる前から話題騒然ですからね・・先輩の今のオッズ、知ってます・・?・・」


「・・ああ、いいよいいよ、言わなくて良い・・知りたくもないね・・」


と、何故かスコットが当然の如くしかも何か得意げに私に話を振ったものだから、私も反射的にそう応えてしまう・・。


私がぶっきら棒にそう言ったものだからスコットはふくれっ面をして見せてこれだけ言った。


「・・まあとにかく・・2番人気ですよ・・」


「・・えっ、一番は誰なんですか・・?・・」と、マーリー・マトリンが思わず訊く。


「・・そりゃあまあ当然・・現職の艦長ですよ・・」


と、ぶっきら棒にそう言ってスコットはハンバーガーに大きくかぶり付く。


「・・成程・・私も彼の事は調べましたが、20人の艦長達の中で人望・人気共にトップである事は間違いないですね・・」


と、リサ・ミルズは食べる手を止めてワイングラスを空ける。


「・・まあこの前も言ったけど・・このゲーム内での戦いは艦長だけじゃ決まらない・・艦自体の違いも出るし、誰をどこに配置するか・?・でも結果は大きく違って来る・・何時何処で彼らと遭遇するのかも判らない・・こんな事で流動的ながらもベットが成立するギャンブルなんてねえ・・」


と、そう言いながら私はリサ・ミルズのグラスにワインを注ぐ。


「・・アドルさん・・撮影セットの中ではアドルさん以外は全員、若くて綺麗な女優さん達なんでしょう・・?・・」


と、マーリー・マトリンも手を止め、私の顔をじっと観て訊いてくる。


「・・うん、まあ・・そう言う事に、なるよねえ・・」


「・・女優さん達の魅力に・・惑わされないで下さいね・・」


「・・そうだね・・惑わされちゃったら僕は判断を誤って、作戦は失敗して艦は撃沈されて、早目に退場しちゃう事になるよね・・でもクルーとして撮影セットに入ってくれる女優さん達は、これも仕事として取り組む訳で、早目に撃沈されちゃったらそれだけ収入が減る事になる訳だから、わざわざ僕に色目を使って惑わそうとする人は、いないと思うよ・・」


「・・それでも私は、アドルさんが心配です!・・」


そう言って彼女もワインを呑み干してグラスを空けると、そのまま私の眼の前に差し出して来たので、私は左手で受け取ってワインを注いで満たすと、そのまま彼女に手渡す。


「・・大丈夫ですよ・・僕はそんなにモテるタイプじゃないし・・女優さん達だって僕の個人的な部分に興味なんか持ちませんよ・・」


後で気付いたのだが、この時の私の言葉は失言だったようだ・・未だに信じられない側面はあるのだが・・。


ともかくその言葉で眼の前の2人の女性は勿論、隣のスコットでさえも手を止めてまじまじと私の顔を観る。


言葉としては出なかったが3人とも(それは本気で言っているのか?)と、その表情で訊いている。


スコットなぞはナプキンで口を拭うと首を振って言った。


「・・前から思ってましたけど、先輩はもう少し自分の事を自覚した方が良いですよ・・マジで・・もしかするとこれが先輩最大のウイークポイントになっちゃうかも知れません・・もっと自覚して人間関係を把握しないと、思わぬところで足をすくわれる事にもなりかねませんよ・・」


と、真顔で忠告してくるから・・。


「・・おい何だよ・・この程度で酔ったのか・・?・・」


と、そう言って躱そうとしたのだが、リサもマーリーもスコットの言葉にウンウンと強めに頷いていたので・・・、


「・・いや、俺はね・・本当にモテないからさ・・」


3人ともフルフルと首を横に振る。


「・・先輩・・もう本当に自覚して下さい・・先輩はモテるタイプなんですよ・・充分に・・もう認めて下さい・・」


2人の女性も強く頷いた。


私は諦めた体でワインを呑み干してグラスを置くとナプキンで口を拭って、


「・・分かりました・・でもウチの女房に言わせるとさ・・・」


そこでリサ・ミルズが強めに遮って言う。


「・・アドルさん! それは奥様の戦略です・・アドルさんの浮気や不倫を防止するための戦略なんです・・スコットさんの言う事は本当です・・お願いですから自覚して下さい・・」


そこまで言われると私としてはもう二の句が告げない。


黙るしかなくなる。


「・・はい、分かりましたよ・・自覚するように致します・・これからも助言をよろしくお願いします・・」


と、十数秒を置いたあと、諦めた気持ちでそれだけ言う。


「・・じゃあ、食べちゃいましょう・・ワインは・・?・・」


3人とも首を振る。まだ4分の1程残っている。ハーフボトルにするべきだったか・?・。


「・・僕は・・確信的に予測してるんですけど・・艦のブリッジスタッフの1人か2人は、先輩に首っ丈になると思うんですよ・・」


他の2人も頷く。


「・・はい、分かりました。頭に入れて置きます・・」


反論するのは、もうやめた。


「・・しかし、本社に戻って来てからもうすぐ2年になるけど・・気にされているとは思ってなかったね・・誰からも何も言われてなかったから・・」


「・・そりゃ結婚されてますし・・軽口を叩くタイプでもないし・・落ち着いた感じで頼れるタイプだし・・仕事は的確で速いから残業しないで早く帰るし・・派手でも地味でもないけどフットワークが軽くて普通に颯爽としていますから、格好良いですよ・・」


リサ・ミルズは言い終ってから少し赤みが差した頬を手で押さえた。


「・・へえ・・そんな風に観えるんだ・・」


感心した。


早く食べ終えて、3人とも早く送って行った方が良い・・。あまり良くない状況だ・・。


「・・私・・チームを作るって聞いて即行で立候補したんですけど・・本気で悔しがっていた娘が2人いました・・ちょっと、びっくりしちゃって・・・」


マーリー・マトリンも顔を赤らめながらそう言い、またグラスを空ける。


注ごうとしてボトルを手に取ったが止めて置く・・もう呑まない方が良い・・。


「・私もアドルさんの秘書に立候補した時・・主任とあと1人に凄く睨まれましたよ・」


「・ええ! あのドリス・ワーナー女史が・!?・でもあの人、結婚してるんでしょ?・」


「・ええ、そうですけど・・あれからまだ主任とは、少しギクシャクしてるんです・・」


「・・はあ、そうなんですか・・それは・・すみません・・」


「・・アドルさんが謝る事じゃありませんよ(笑)・」


リサ・ミルズもグラスを空ける。私はボトルをテーブルの隅に置く。


「・・デザートはどうします・・?・・何でも頼んでください・・?・・」


と、ほぼ食べ終わったようなタイミングで訊くのもどうかと思ったが、訊いた・・。


「・・じゃあ、私はプディングで・・」と、リサ・ミルズ・・。


「・・私はヴァニラ・ジェラートをお願いします・・」


と、マーリー・マトリン・・。


「・・僕は、スペシャル・フルーツパフェで・・」


と、スコットはそう言ってフライドポテトの残りを口に放り込んだ・・。


「・・お前、よく食うね・・」


「・・折角の奢りですからね・・」


「・・えっ、これ奢りなの・・?・・」


「・・奢ってくれるって言ったじゃないですか・・?・・」


「・・でもこれはお前の発案だろ・・?・・」


「・・みみっちいですよ・・艦長(笑)」


「・・アドルさん、大丈夫ですよ・・」と、リサ・ミルズが割って入る。


「・・こんなこともあろうかと言う事で、エリック・カンデルチーフからこれを預かって来ています・・」


そう言ってバッグから取り出した、2つの小物を見せる。


「・・これは、ビットカードですか・・?・・私もあまり見た事は無いですが・・そしてこれが噂に聴いていたビットロッドですか・・?・・これは私も初めて観ます・・」


「・・僕は両方とも初めて観ますよ・・こんなちっぽけな物の中に幾ら入っているんですか・・?・・」


と、スコットは眼を丸くしてまじまじと観る・・。


「・・今後このチームでお金を使う場合には、ここから出すようにとの事です・・」


そう言ってリサ・ミルズは、直ぐに内ポケットにしまった。


「・・ええっ、こんな食事会でもですか・・?・・良いんですか・・?・・」


「・・良いんだそうですよ・・会社として、アドルさんとこのチームを物・人・心・財の4面で守り、支えようとする体制は今後ますます厚くなって行くだろう、とも仰っていました・・」


「・・逆に言うと、先輩とこのチームに今後その4面でどれ程に配慮を施しても・・先輩のキャラクターと、ゲーム大会の中で先輩の指揮する艦が勝ち進むことで今後会社に齎されるであろう利益に比べれば、どこまで行っても微々たるものにしか過ぎない・・って事なんでしょうね・・・」


と、スコットが付け加えて言いながらウエイトレスを呼び、3つのデザートと4つのコーヒーを頼んだ。


するとマーリー・マトリンが、私がテーブルの隅に置いたワインボトルを取り上げて、4つのグラスに残っていたワインを等分に注ぐと、ボトルを置いてグラスを掲げて言った。


「・・じゃあ、やってやりましょうよ・・私達4人の力と会社の力も最大限に使って・・アドル・エルク艦長が指揮する艦を優勝させましょう・!・・」


「・・乗った! 」と、スコットが5秒も掛けずにグラスを掲げる。


「・・私も・・」と、リサ・ミルズがグラスを掲げるのを観てから私もグラスを掲げて。


「・・もとより・・私も敗ける気は無いんでね・・」


「・・乾杯! 」と、涼しい音を響かせてグラスを触れ合わせ、呑み干す。


食事を終えてデザートとコーヒーを楽しむ間に、私達はリサ・ミルズに頼んで集めて貰った19人の艦長達のプロフィール・データについて話し合ったり、ハイラム・サングスター氏と遭遇した時の顛末を事細かに語って聞かせたり、私が固めたクルーの艦内配置案について語って聞かせたりしていた。


私がサングスター氏からプレミアムシガーを一本貰った事を話すと、リサ・ミルズはそのシガーの銘柄を訊いてきた。


うろ覚えながら何とか思い出して言うと、彼女は一つ頷く。


私が艦司令部の参謀にハル・ハートリーさんを希望している事を話すと、リサ・ミルズは深く感心した。


彼女は女優としての側面も持っているが、22才で国際ロー・スクールのジュリス・ドクター(法務博士)の学位を取得し、25才で国際A級法科大学院課程をも修了して、翌年A級司法試験にも合格して、現在は司法修習中でもあるAAAクラスの国際弁護士であり、弁護士としての評価も非常に高い。


総ての芸能活動を今直ぐに辞めても充分にやっていけるし、その方が世界の為でもある。


と言うのがリサ・ミルズの意見だ。


次に砲術長として、エドナ・ラティスさんを望んでいる事を話すと、これにはスコットが感心した。


彼によれば彼女の射撃に関する技能は芸能界でも群を抜いているとの事だった。


クレー射撃でもライフル射撃でも拳銃の射撃でも、彼女より成績優秀な射撃手は芸能界にはいないとの事で、それのみならず彼女は世界で開催されているあらゆる種別の射撃大会にほぼ毎年参加しており、どんな射撃大会に参加しても総合成績で8位以内には必ず入る、猛者中の猛者でもあるとの事だ。


特にクレー射撃では世界最高グレードの国際大会にこの10年で8回参加して、総合優勝1回・総合準優勝1回・3位入賞が2回・4位入賞が2回・5位入賞が2回と言う、ほぼ無敵の成績を修めている。


だからこそ私も、艦砲射撃管制の責任者として彼女を希望したと言った。


色々と話している内にデザートも食べ終わり、コーヒーも呑み干したので帰ろうかと言う事になり、立ち上がる。


会計はビットカードで済ませた。利用して良いのなら利用させて貰おう。


エレカーに乗り込むとスコット、マーリー・マトリン、リサ・ミルズ、私の社宅の順でそれぞれが利用しているパブリック・ステーションを巡るコースをセットし、モーターを起動させるとオートドライブをスタートさせる。


スコットとマーリーは直ぐに眠ってしまったが、リサ・ミルズは眠らなかった。


真っ直ぐ前を向いて、背筋を伸ばして座っている。


スコットとマーリーを降ろして、リサ・ミルズが利用しているステーションの前でエレカーが止まると、彼女は私の方を向いてこう言った。


「・・アドルさん、今日はありがとうございました・・本当に楽しかったです・・改めて、これからも宜しくお願いします・・明日の朝の待ち合わせ場所では、私が先に着いて貴方を待っています・・今日ご一緒に過ごせて、判りました・・この事はマーリーも判ったと思いますけれども、私が先に言います・・私はアドルさんが好きです・・でも、アドルさんや奥様やお嬢様を驚かせたり、苦しませたり、悩ませたり、悲しませたり、ご家庭に波風を立たせたりするような事はしません・・ですから貴方の事をずっと好きでいさせて下さい・・」


そう言い終ると、ドアを開けてリサは降りた。


降りたがドアは閉めずに振り返り、私に向かって上体を屈み込ませて左手で私の右頬に触れると、最後にこう言った。


「・・でも時々は・・これもさせて下さい・・」


そう言って自分の唇を素早く私の唇に合わせて2秒静止すると、身体を離してドアを閉め、ステーションのリフトホールに向かって速足で歩いて行く。


私は身体がフリーズしていて眼で彼女の後姿を追う事も出来なかった。


30秒から1分は何も考えられなかった。


それからの2分は、エラい事になった・・と言う想いだけだった。


またそれからの3分は、これからどう彼女と接しようか?と言う想いだった。


他人には言えない・・当たり前だ・・二人きりにならなければ・・って明日は朝から2人じゃないか・・。


落ち着け・・2人きりでもビジネスライクなコミュニケーションで、ディスタンスを保持して話をするんだ・・ちょっと踏み込む様な個人的な事を訊かれたら、はぐらかすか、受け流すか、それに連想したような別の話題に移れば良い・・その前に何よりも、自分から個人的な話題は絶対に出さないし訊かない・・よし・・大会の開始までこれだけ気を付けて過ごせば、綺麗な思い出になる・・そうするんだ・・それで良い・・。


今迄1回も出来なかったかのように、大きく深く呼吸した。


もう辺りはかなり暗い。


社宅へのコースセットを確認してオートドライブをスタートさせる。


社宅に着き部屋に入ると私は、服を脱ぎ散らかしてベッドに潜り込み、アラームを早目にセットして寝た。


翌日(1/31:土)は、薄曇りだった。かなり寒い・・。


セットしたアラームタイムの30分前に目覚めるとアラームを止めて起き上がり、バスルームに入る。


全身を丹念に洗い、髭も綺麗に剃り上げて熱いシャワーで流し、更にバスで温まる。


あがるとスキンケアを施した上で、少し余所行きのスーツを着込んだ。


最後に山吹色のトレンチコートを着る。


濃い目に淹れたコーヒーだけ飲みながらバッグに携帯端末を3つ入れて身嗜みの調整と確認を済ませてから、エレカーで社宅から出る。


『トゥーウェイ・データ・ネット・ストリーム・ステーション』


この会社の総合スタジオセットが、今日の主要な目的地だ。


だが取り敢えずの行き先はそのセットから500m程の所にある、『ホワイトブリッジ』と言う名のビジネスカフェだ。


ナビゲーションシステムには最速コースを選定させている。


出来れば彼女より先に着きたい。


待ち合わせ時間は7:30だったが7:03に『ホワイトブリッジ』のパーキングに入った。


土曜日の早朝で往来を歩いている人は疎らだ。


店内に居る客も数人だけだったが、彼女はもう来ていた。


真っ白なトレンチコート・・白い耳当てにライトレモンイエローのスカーフ・・眼に沁みる色合いで残る眠気も昇華されたようだ。


「・・お早うございます・・寒いですね・・」


私の姿を認めるとそう言いながら立ち上がり、耳当てを外してコートを脱ぎ、椅子の背凭れに掛ける。


「・・お早うございます・・本当に寒いですね・・でも随分早いですね・・もう来ているとは思いませんでしたよ・・」


そう言いながら私もコートを脱ぎ、椅子の背凭れに掛けて彼女の対面に座る。


「・・はい・・絶対にアドルさんより早く来ようと思っていましたから・・」


「・・へえ・・それはまたどうして・・?・・」素朴に訊いた。


「・・どうしてって・・それがサポートする相手に対するセクレタリィとしての、アブソリュート・プライオリティ・クラウス(絶対優先条項)だからです・・」


「・・厳しいんだね・・」


「・・もう慣れました・・何故って最初に叩き込まれますから・・」


「・・そうなんだ・・それじゃ、注文しようか・?・お腹も空いたし、コーヒー・コーヒー・!・」


そう言いながらウエイターを呼ぶ。


「・・あっ、あのアドルさん、昨日はすみませんでした・・あんな事までするつもりは無かったんです・・アドルさんを驚かせるつもりはありませんでした・・私のアドルさんに対しての気持ちは変わりませんが・・今後、驚かせるような行動は控えて・・もっと言葉で伝えるようにします・・勿論、2人だけの時にです・・」


ウエイターが来たのでリサ・ミルズはロシアン・ティーを頼み、僕はマンデリンを頼んだ。


「・・ありがとう、リサさん・・そう言って貰えると嬉しいです・・安心しました・・僕はリサさんに、僕を想う事を辞めてくれとは言いません・・言っても止められないでしょ・・?・・僕も経験がありますから、分かります・・でも是非とも・・プラトニックなレベルに留めて下さい・・これは本当にお願いします・・君を避けたくないから・・」


「・・分かりました・・これは強く、私の心に留めて置きます・・アドルさんに嫌われたくありませんし・・避けられたくもないですから・・」


「・・改めてありがとう、リサさん・・よろしくお願いします・・それでさ・・昨日、マーリーも同じって・・言った・・?・・」


コーヒーと紅茶が運ばれて来る・・私はザラメを3杯入れて手早く掻き混ぜると、強く2回吹いて冷まし、二口飲んだ。


彼女はアプリコットのジャムをティースプーン山盛りに取って入れ、ゆっくりと溶かしてから香りを堪能して一口飲んだ。


「・・ええ、言いました・・彼女もアドルさんが好きです・・話して確かめてはいませんが判ります・・」


「・・彼女と・・話す・・?・・」


「・・話した方が良いですか・・?・・」


「・・いや、彼女が何かを僕に言ってきたら、それは君にも話すよ・・彼女が君に話し掛けて来たら、その時の対処は君に任せる・・こちらから先に彼女に話すのは・・今は止めておこうか・・?・・」


「・・分かりました・・アドルさんがそれでよろしいのでしたら・・」


「・・うん・・じゃあ、食べようか・・?・・」


ウエイターを呼んでメニューを頼む・・卵2個のターンオーバー、ホウレン草・人参・ポテト・茸ソテーの付け合わせ、トースト2枚、キャロットジュース、野菜のコンソメスープ、コーヒーのお替わり、にした。


彼女はボイルした手造りソーセージ2本、ベーコンソテーが2枚、卵1個のスクランブル、数枚のフレッシュレタス、カットトマト、モーニングブレッド2つ、コーンスープ、オレンジジュース、ロシアンティーのお替わり、だった。


「・・朝もしっかり食べるんだね・・?・・」


「・・ええ、昨日は帰宅して直ぐに寝んだので、お腹が空いて眼が覚めました(笑)・・」


「(笑)今日は色々な話を聴いたり、観たりするだろうから集中していないといけないね・」


「・・そう言えばアドルさん・・メディアカードは何枚持って来ていますか・・?・・」


「・・えっ・・そうだな・・70枚ちょっとかな・・どうして・・?・・」


「・・足りなくなるかも知れません・・アドルさんから頂いたメディアカードを100枚ほどコピーして、持って来ていますので・・足りなくなったら使いましょう・・」


「・・ありがとう・・用意が良いね・・でも、そんなに交換する事になるかな・・?・・」


「・・可能性はありますから・・用意して置くに越した事はありません・・」


「・・そうだね・・出来れば今日の話と見学で・・ゲームのルールとゲーム内での僕の身分と権限・・撮影セットの機能確認・・ぐらいはしておきたいね・・」


「・・そうですね・・可能な限り居残って見聞きして、話もして帰りましょう・・」


「・・・了解・・・」


その後は2人とも朝食に取り組んだ・・街角のビジネスカフェにしては旨いし、食材も新鮮な物を使っている・・マンデリンの深淹れ具合も気に入った・・。


「・・街角のビジネスカフェにしては旨いね・・」


「・・そうですね・・ソーセージにブレッド・・アプリコットのジャムも手造りですね・・」


「・・ゲーム大会が始まれば、ここで食事を摂る機会も増えるだろうね・・」


「・・春になって暖かくなったら、テラスで食べるのも美味しいでしょうね・・」


「・・そうだね・・デザートは・・?・・」


「・・私は大丈夫です・・これ以上甘いものを摂ると、眠くなりそうなので・・」


「・・そうか・・じゃ、僕も止めておくかな・・」


そう言ってコーヒーのお替わりだけを頼んだ。


「・・そうだ・・僕の考えたメインスタッフ配置案で、何か感想はある・・?・・」


「・・そうですね・・副長に希望されたシエナ・ミュラーさんですが・・法人事業経営者としての手腕と、その実績には非凡で堅実なものが見受けられます・・経営されている劇団と芸能プロダクションですが・・どちらにも目立った収益の伸びは無いものの、この3年間は赤字を出していませんし、借入金の返済も順調なようですし、所属タレントもスタッフとしての雇用も増やしていますので、副長としての選任は適切だと思います・・」


「・・詳細に分析してくれて、ありがとう・・そこまで褒められるとくすぐったいけどね・・他にはあるかな・・?・・」


そう言って残りのキャロットジュースを飲み干すと、お替わりで来たコーヒーを受け取って一口飲んだ。


「・・クルーのカウンセラーとして希望されたハンナ・ウェアーさんですが・・彼女が5年前に発表した論文『the human face』の中で考案した、FACS(Facial Action Coding System)『フェイシャル・アクション・コーディング・システム』(顔動作記述システム)は、様々な感情とそのそれぞれに強く関連する表情との関係性を解明したもので、今では感情と表情に関連する精神医学や犯罪捜査の分野に於いても幅広くに利用されている、非常にユニークで実践的で現実的な精神衛生心理手法です・・彼女を艦のカウンセラーとして希望されたのは・・非常に面白い・・実践的な人事構想だとも思いました・・」


「・・どうもありがとう・・それじゃ、食べ終わったし・・後の感想はまた次の機会に聞かせて貰う事にして、そろそろ行こうか・・約束の時間になるよ・・」


そう言うと私はコーヒーを呑み干し、口を拭って立ち上がるとコートを腕に抱えた。


「・・分かりました・・行きましょう・・」


リサ・ミルズも、喋り過ぎた事を後悔するかのような仕種を見せて立ち上がると、同じ様にコートを腕に抱える。


支払いは昨日使ったのと同じビットカードで済ませ、外に出てエレカーに乗り込むと総合撮影スタジオセットの入口へと向かう。


入口のガードステーションの前で止められると、歩み寄って来たガードマンにIDカードを示す。


「・・アドル・エルクとリサ・ミルズです・・約束があって来ました・・」


コミュニケーターで問い合わせる事10数秒・・


「・・ようこそおいで頂きました・・朝早くからご苦労様です・・お待ちしておりました・・あちらに見えます入口から入って頂きまして・・右側のラウンジでお待ち頂きたいとの事です・・どうぞ、お車はこちらでお預かりします・・」


私達はその場でエレカーから降りてそのガードマンにスマートスターターを渡し、そのまま歩いて入口から入る。


入ると正面に座っていた2人の受付嬢が揃って立ち上がってお辞儀し、1人がそのまま私達を右側に広くスペースを取っているラウンジに案内して、何かお飲みになりますかと訊いてきたので、甘くないソーダ水を氷無しで頼んだ。


リサ・ミルズは何も頼まなかった。


ラウンジのソファーセットに対角で座り、私は灰皿を引寄せて一服点ける。


その一本を揉み消して30秒程過ぎたところで、3人の男性と2人の女性が奥から私達に向かって歩み寄って来た。


「・・お早うございます! 初めまして。ようこそおいで頂きました。お待たせして申し訳ありません・・私がマスタープロデューサーのマルセル・ラッチェンスです。どうぞ、よろしくお願い致します・・」


「・・初めまして・・お早うございます・・私がアドル・エルクです・・こちらが、会社として私をサポートして頂ける、リサ・ミルズさん・・どうぞ、よろしくお願いします・・」


それが今日初めての、メディアカードの交換だった。

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