第43話 涙
「え、あ」
「ごめんなさい。あなたに一度も会いに行けなくて。ごめんなさい」
驚いて抵抗も何もできなかった。ただただ謝り続けているダリア様に抱きしめられているしかなかった。助けを求むようにダグラス様の方へ向く。視線が合えば、低い声で「ダリア」と呼んだ。
「はい」
「リュシエンヌ、少し私たちの昔話を聞いてくれるかい」
驚きつつも頷けば、ダリア様が空になった紅茶を注いでくれた。
「まずターニャとフロライン公爵は察しの通り、望んで結んだ婚約ではなかったんだ」
ダグラス様はそこから淡々と話をした。
「この婚約は先々代同士で結んだ約束によるものなんだ。これから先子供が男女で生まれれば婚約を結ばせるというもので、しっかりと書面を交わしてものだから無視はできなかった。父上の代も私の代も男で生まれてしまったものだから、今まで約束は果たせなかったのだ。だがターニャの代でその約束が果たされることになってしまったのだ」
政略結婚、そう公爵夫人には聞かされていた。でも、詳しくは聞けていなかった。というよりも、公爵夫人も詳しくは知らなかったのかな。
「先々代は仲が良かったが先代、そして私たちはとっても仲が悪くてな。ターニャを渋々嫁に出した途端、大量の金を押し付けられて王都からここまで追い出されてしまったんだ」
それを聞いて私は驚いた。だって、タルト子爵家はお母様を嫁に出した後、余生を王都から離れたところで過ごしたいということで王都を出て行ったときいていたから。
「そして、こちら側から公爵家に接触することを禁じられてしまった」
な、なら。タルト家がお母様の葬式には参列しなかったのは、一度も公爵邸に来たことがなかったのは。全て、全て公爵家のせいだっていうこと?じゃあ本当に私は何の罪のないダリア様を怒鳴ってしまったの?
「ダリア様――」
「謝らないで」
私の唇にダリア様は人差し指を当てた。驚いて固まる私をみて、指を離した。
「悪いのはあなたじゃない。あなたは何も知らなかっただけ」
「何も知らなかったからってダリア様を怒鳴っていい理由にはなりません」
ダリア様は優しすぎる。私が理不尽に声を荒げたというのに、一切怒りを表さない。ただただ、私にごめんなさいというだけ。真実を知らされた今、悪いのは断然私であるというのに。
「そうね、でも私はあなたに頭を下げてほしくないの。せめてこの家では頭を下げて欲しくない。ここがあなたにとっての安らぎの場所であって欲しいの」
「――私のことはしっかりとご存じ、なのですね」
私がそう一言言えば、二人とも静かに頷いた。私にとってフロライン家が安らぎの場所ではないことを知っていた。知られていたのかと恥ずかしい気持ちになるけれど、驚きはしない。二人は私の祖父母にあたる人だから、知っていても不思議ではないから。
「知っているといっても、少しだけ。使用人の方に教えてもらったの」
「ルリに?」
「そうだ」
まさか、ルリが私のことを二人に話しているだなんて思っても見なかった。ルリなりに私のことを思ってくれた行動なのだろう。ふと胸が温かくなった。
「公爵邸ではリュシエンヌの味方はほぼいない。公爵と公爵夫人からどのように扱われているかを簡単に聞いた。夫人からは2回も怪我を負わされたらしいな」
「大丈夫なの?」
怪我のことまで言ったのね。ダリア様は心底私のことを心配してくれているらしく怪我した場所をさがしている。
「傷は全て友人が治してくれましたので傷跡などは残っていません」
「傷跡なんかよりもあなたの心は大丈夫なの?」
貴族として傷跡が残ることを心配しているのだろうと思って、そう返したのだが返答は思いも寄らぬものだった。心は大丈夫なの、そう聞かれて思考が停止してしまった。
「実の母親というわけではないけれど、それでもあなたにとってはお義母様なのだから。直接危害を加えられてショックは受けてないの?」
そんなことを心配されたのは初めてで、どう答えていいかわからなかった。その代わり何故か涙が溢れてきた。
「あ、ご。ごめんなさい、なぜか、涙が」
そう言って涙を拭う私をダリア様は優しく抱きしめてくれた。ダリア様の優しさ。重なった部分から感じる体温。全てが私の涙腺を刺激した。
「悲しくないのに、なんで止まらないんだろ」
ダリア様はただただ私の背中を撫でてくれる。ダグラス様はただじっとこちらを見ているだけ。でもその視線はなんだか暖かくて。私をしっかりと受け止めてくれる空間はただただ居心地が良かった。そしてほんの少し。ほんの少しだけ願ってしまった。私の両親になってくれたらいいなって。
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