君の夢が溶けませんように

藍ねず

前編

嘔吐・欠損・カニバリズム表現がある物語です。


――――――――――――――――――――


 人間という存在が進化し続けて数百年。


 世間には人間の姿をした人間では無いものが溢れ、それぞれに見合った歩幅で生活していた。


 例えば彼女。綿雲わたぐも甘味かんみはお菓子である。

 髪は白くふわふわとした綿菓子。肌は薄く黄色がかったスポンジ生地と飴細工。涙と血液はチョコレート。


 清楚な制服に身を包んだ彼女は常に甘い香りを漂わせ、青いドロップの瞳に陽光を反射した。


 お菓子な彼女は有名な洋菓子店の一人娘だ。進路は製菓の専門学校、からのパティシエールと決まっている。同級生には硝子の体で硝子工房を継ぐ少年や、カナリアの翼と声帯を使ってアナウンサーになる予定の少女もいる。皆が皆、自分にやれることで将来を見ているのがこの世界だ。


「甘味、今日は暑い感じ? 席変わろうか」


「平気だよ、ありがとう」


「そう? 髪とか溶けちゃう前に言いなよ~」


 窓際の席で甘味は昼食を広げた。声をかけたのは隣席の友人であり、太陽光を吸収して電気に変える体質を有している。今もクラスメイトに「充電させてくれ」と囲まれていた。彼女の腕には数多のプラグを挿せる穴が開いており、既に順番待ちが出来ている。


 甘味は弁当箱の蓋を開け、生クリームがふんだんに使われたケーキを見下ろす。甘味の体はその名の通り、甘ったるいお菓子が原料なのだ。


 すくった生クリームがフォークの上で形を歪める。甘味は零れそうな箇所から舌を伸ばし、コクのある甘さを飲み込んだ。


「おーい、今日のゴミ回収始めるぞー」


 昼休みが終わりに近づいた頃、教室の後方で声がかかる。立っているのはクラス委員と、ゴミ箱を抱えた男子生徒だ。


「これよろしく~」


「これも、お願い!」


「頼んだ~」


 男子生徒のゴミ箱に弁当ガラや空のパックジュースが捨てられる。青い顔をしている少年の口角は気まずそうに上がり、ゴミ箱を持つ手は震えていた。


 彼の名前は融解ゆうかい吐露とろ。このクラスのゴミ回収担当者であり、抱えているゴミ箱は彼の私物で、特注品だ。


「じゃ、よろしく融解」


「う、ん」


 斜め下を向いた吐露は腰を低くして教室を出ていく。


 吐露が向かったのは、まだ誰もいないゴミ捨て場。そこよりまだ先の奥の茂み。


 深呼吸を繰り返した吐露は、吐きダコの出来た指を喉奥へ突っ込んだ。


 流れた涙が、滲んだ冷や汗がゴミ箱の中に落ちる。すると瞬く間にゴミが溶け始め、吐露は顔中に皺を寄せた。


 胃の奥底から込み上げてくる嘔吐感。鎖骨の隙間が拒絶するように痙攣し、背中の脂汗はゴミ箱と同じ特注生地の制服に吸われていく。


 震えた膝は地面に着き、吐露は首後ろの付け根から脳天までが冷える感覚に襲われた。


「う"、ぇ"、け"ぇ"」


 重たい水滴が塊となって落ちる音が響く。黄色い液体はゴミ箱の中に吐き出され、詰まっていた廃棄物たちを一気に溶かした。


 ドロドロに崩れていく物に吐露の鼻水も落ちる。涙も垂れる。口の中に溜まった酸っぱさと気持ち悪さは唾と共に吐き出した。


 彼、融解ゆうかい吐露とろは酸性人間である。

 涙も汗も強力な酸で出来ており、大抵のものは触れただけで溶けてしまう。その中でも、最も酸性が強いのは唾液、および胃液だ。


 吐露は世界で議論されるごみ問題の解決に一役買っている。彼のようにゴミの体積を小さくできる、ないし溶かして液体に出来てしまえば、後は再生が得意な誰かが循環させてくれるのだ。そうすればゴミ処理場問題などが軽減され、世界に優しい循環が始まる。それを担っているのが吐露のような人間たちだ。


 彼は溶け切ったゴミと自分の胃液を見下ろして、鼻をつく酸性の香りに軽くえずく。息を止めて溶解済みBOXにゴミ箱の中身を捨てれば吐露の仕事は終わりだ。


 ゴミ置き場に備え付けられている雑巾でゴミ箱を拭き、吐露は何度も鼻をすする。匂いも見た目も綺麗になったゴミ箱を軽く掲げてから抱き締めれば、吐露の涙が一粒ついてしまった。このゴミ箱は溶けないので、流れ流れて地面に落ち、コンクリ―トの一箇所が丸く溶けた。


「吐露」


「あ、ぅ、あ、甘味さん……」


 呼ばれたことにより反射的に顔を上げた吐露。視界には雲以上に澄んだ白い柔髪が入り、隙間から覗く青いドロップの瞳に委縮した。


 甘味は吐露の隣に腰かけ、スポンジの手で背中を撫でる。体温がない甘味の手はクッションか布団かを押し付けられているような感触で、吐露はぎこちなく口角を上げた。


「ぁ、ありがとう」


「毎日大変ね」


「いや、僕ってこういう役回りだから」


 目尻を下げて笑った吐露に対し、甘味の表情は動かない。薄く透明な飴でコーティングされた彼女の表情は人形の如く整っており、甘い香りに吐露は視線を彷徨わせた。


「休んでもいいんじゃない?」


「ぇ、っと」


「たまには休んで、逃げちゃおうよ」


 甘味は自分の毛先を掴み、ひと房千切る。


 差し出された綿菓子に吐露は体を縮こませ、ゴミ箱を抱き締めた。甘味は欠片も動かない表情で吐露に自分の髪を押し付ける。吐露の頬は張り付いた綿菓子のせいで微かにべた付いた。


「に、げるとか、」


 吐露は反論の為に口を開ける。その瞬間を狙っていたように綿菓子が口に詰め込まれ、少年の鼻から甘い香りが抜けた。


 手を離した甘味は指先に残った綿菓子の欠片を舐める。それは元々彼女の髪だが、彼女はお菓子なのだ。何もおかしなことはない。


 口の中が甘さでいっぱいになった吐露だが、自分の唾液がすぐに綿菓子を溶かしていった。吐露は酸性の唾液と共に水状になった綿菓子を飲みこむ。


 甘味の髪の長さは不揃いになったが、綿菓子であるからこそ気にならなかった。


「逃げようよ」


 立ち上がった甘味は振り返らない。お菓子な彼女は校舎に戻っていき、吐露は口内に残った綿菓子の欠片を溶かしていた。


 ***


『私、シロアリ駆除の隊員になりたいの』


『へ?』


 高校に入学して最初に行われたのは自己紹介、および他己紹介。出席番号順で前後の者とペアを組んで自己紹介をし、ワークシートを埋めた後、クラスメイトの前でペアの相手を紹介するのだ。


 その時が吐露と甘味の初対面である。


 お菓子で可愛い彼女は、表情を変えることなく告げた。吐露は〈進路〉と書かれた枠の上でボールペンをうろつかせ、甘味はドロップの目を輝かせていた。


『あ、でも外壁塗装職人もいいな。格好いい。フラワーアレンジメントもやってみたいし、農場にも興味がある。迷っちゃうな』


『え、え、ちょ、』


『そう、うん、そうだね。だから進路はやっぱり、まだ空白にしておいて?』


 綿雲わたぐも甘味かんみの将来はパティシエールと決まっている。


 それは誰がどう見ても、彼女の適性がだからだ。


 彼女はお菓子だ。パティシエールでなくとも、ショコラティエやデザートプランナーなど。お菓子に特化した職業こそが彼女に合っており、彼女はその道を選ぶ為に生まれてきた。


 そうすることで社会は回っている。それぞれに見合った歩幅で生活することが普通。自分が出来ることをして社会に貢献する。出来ないことは出来る者に任せるのが正しい。誰もが自分の特性を理解して、出来ることを生かして年を経る。


 それが当たり前で、善行なのだ。


 なのに甘味は従わない。


 出来ることより、やりたいことを口にする。


 一年生の他己紹介時、進路が白紙だった甘味は職員室に呼ばれた。吐露は吐露で、きちんと〈ゴミ圧縮人〉と答えた彼を見習えという比較役として共に呼び出され、甘味の説教を聞いた。


 しかし、綿雲甘味の表情は一ミリも動かない。


 彼女と吐露はそれから三年間同じクラスになり、ころころ変わる甘味の将来の夢に吐露は苦笑し続けた。


『配送ドライバーってどうかな。おっきいトラックを運転するって格好いい』


『あ、ははは……』


『販売員もしてみたい。家電かな、携帯かな、家具もいいな。あ、服もいいな。可愛い服を売りたい』


『か、甘味さん、ちょっと声、声がおっきい』


『ね、吐露。私には何がやれるかな』


 青いドロップの目は常に輝いていた。綿菓子の髪から、スポンジと飴細工の体から、甘い体を漂わせて。


 彼女の姿を見る度に、問われる度に、吐露は視線を逸らして笑ったのだ。


『お、かし、職人かなぁ……』


『いや』


『え"』


 彼女は自分の髪を千切って吐露の口に詰め込む。甘ったるい匂いと溶けていく舌触り。吐露が目を白黒させている間に、甘味は甘い香りを残して立ち去った。少しだけ大股気味の歩みで、柔らかい両手を握り締めて。


 吐露はその背中を見つめ、彼女が他のクラスメイトの前では進路について話さないと気づいていた。


 吐露の前でだけ、甘味は夢を語った。


 あれがしたい。これがしたい。こうなりたい。あぁなりたい。


 だが、それは全て夢にしかならない。


 やりたいことより出来ること。自分の希望より他人に求められていること。


 そうしないと、最終的に困るのは本人なのだから。


 いつまでも進路を空白にする彼女に教師たちは嘆息し、製菓専門学校への願書を勝手に出した。問題児であろうと彼女も可愛い生徒の一人。これも全て甘味の為。


 甘味の両親は彼女の為を思って受験料を払ったし、専門学校側は彼女にはこの道しかないと願書だけで合格通知を出した。娘より先に合格通知を見た両親は期日通りに入学料を支払ったし、高校の教師たちも一安心したのだ。


 全ては彼女の為。お菓子な彼女の為。彼女にはこの道こそが正しいから。


 甘味は担任から合格通知を貰い、両親から祝福のケーキを貰った。高校三年生の秋のことだ。


「勝手に合格した」


「わぁ……お、めでとう」


 今日もお昼のゴミを溶かした吐露の横で、甘味は合格通知を握り潰す。吐露は綺麗に洗ったゴミ箱を両手で抱え、胸に溜まった酸っぱさを飲み込んだ。


「ぼ、僕も合格した。ゴミ圧縮会社。溶かすだけじゃなくて、潰すとか、粒子レベルで分解するとか、色々な人がいるし、沢山の方法があるんだ」


「それ、やりたいの?」


 眉を下げて笑った吐露をドロップの目が射貫く。


 吐露は吐き気を覚え、甘味が握った合格通知に視線を向けた。


「僕にやれるのは、それだけだから」


「……ねぇ、吐露」


「いいじゃん、甘味さんは。みんなを笑顔に出来るよ。ありがとうって言われる、キラキラした将来だよ」


 微かに強くなった語尾に吐露は気づかず、甘味より先に立ち上がる。


 足早に去ろうとした少年の手首を掴んだ甘味は、振り返った彼の黒目が歪んでいると認めた。


「吐露、海行こ」


「え、」


「明日の朝五時ね。巻貝の浜にしよう」


「なに、え、海?」


「来ないとさよならだから」


「はい?」


 柔らかすぎる甘味の手が吐露の手首から離れていく。艶やかな唇は、どことなく笑っているような音を奏でた。


「来ないと、さよなら、だよ」


 また、甘味が吐露を置いていく。今日は少年の方が先に立ったはずなのに、結局は彼女の背中を見送ることになるのだ。


 吐露は手首に残ったスポンジの柔らかさを撫で、奥歯を固く噛み合わせた。

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