凪いだキミへと、手を伸ばす。

仙台小鉢

一章

プロローグ 変わらないままで

「に、新浜にいはまくん! ち、ちょっと時間いい、かな……?」


 終礼後、バッグに教科書を詰めて帰る準備をしている俺に、同じクラスの女子生徒が声をかけてきた。


「急にどうした?」

「え、えっとね。この後、良かったら……なんだけど……」


 そう言うも、腕を後ろに組みモジモジするだけで続く言葉がない。確か名前は、はやし古奈こなって言ったっけ。

 小柄で弱気なこの少女は、『守ってあげたい!』というノリでクラスでもよく可愛がられている子だ。

 ちっちゃくてウジウジしてるだけなのに周りから良くされるなんて、お前は楽だな。なんて言ってしまえば最後、俺はクラスの女子に抹殺されるに違いない。

 そもそも喋ったことすらない俺に何の用事があるのか疑問に感じていると、少女は後ろの腕組みを解いて手に持っていた物を差し出す。それは数学1Aの問題集。


「す、数学教えてくれませんかっ……!」

「……んと、なんで俺なん?」

「あ、えと……この間の学年末テストの順位が高かった……から」


 面倒くさいから無理だ、と喉元まで出かけた言葉は飲み込む。ふと時計を見ると、時刻は約16時20分。咄嗟にしてはナイス言い訳が思いついた。


「悪いな。今日五時に宅配便届くからそれまでに家帰らないといけない」

「そ、そっか……。じゃあまた空いてる日でもいいから……!」

「春休みはバイト漬けで空いてる日ないかも」

「そう、だよね。新浜君も忙しいもんね……」


 こういう内気な人間は簡単に丸め込めるから楽でいい。

 話は済んだというように俺はバッグを手に立ち上がる。ただこれだけ一方的だと俺にも思うところは無くはない。

 まだ何か言いたげに立っている林にせめてもの情けとして、


「一つアドバイスするなら、そんな解説もついてない問題集はやめた方がいい。ちゃんと解説付きの参考書を買って勉強した方が早いぞ」


 そう言い放ち、俺は教室のドアを出ていく。


 

 

「こなちゃあぁん! よく頑張ったよぉ!」

「新浜の奴感じわっる。最後のとか嫌味じゃん!」

「よしよーし、もう大丈夫だからね」

「う、うん。みんなありがとう……」


 脇で見ていたクラスメイトたちが、教室を出てすぐの俺の耳にも届くくらいの声で、林を慰め始めたようだ。

 やけに周りが静かだったのはそういうことだったのか。

 どうせすぐに内輪で冷たい対応をした俺を非難し始めるだろう。

 

「結局面倒くさいことになるのかよ」

 

 むしゃくしゃする感情を表に出すように、俺は頭を掻いた。

 仮に俺が林に勉強を教えることになっても、その場面を切り取って恋愛系に昇華させる輩もいるだろう。

 つまり俺がダメージを負わない選択肢は最初から無かった。


「まぁしゃーないか。気にするだけ無駄だ」

 

 そんな理不尽な現実に振り回されることには慣れっ子だ。嘆いたところで現実は何も変わらない。

 ただ、変わってくれとも思わない。現実は非情なままで、消し去りたい過去も残ったままでいい。

 そうあるうちは、未来で何が起きるかに怯えることもないのだから。

 下駄箱で靴を履き替え、下校する生徒の波に紛れて正門を抜ける。

 


 明日から春休みが始まる。

 それが明けて、新しいクラスに変わっても、俺の環境は平穏なままであってほしいものだ。

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