第34話 医務室にて

「こっちよ。付いて来て」


 衛生科に属している百道さんが先頭に立ち、医務室までの足跡を刻む。詩穂のスキルのお陰でゾンビは見ないが、それも建物の中に入るまでだった。室内までは血の臭いが届かなかった。医務室を目指して棟の一つに入ると、すぐに邂逅してしまう。


新橋にいばし……赤坂あかさか……淀川よどかわ……」


 ここは陸上自衛隊駐屯地。ここにいるゾンビは岸辺さんたちの同僚だった人だ。廊下の中央でさしたる意味もなく喚いていた三体のゾンビがこちらに気付く。その瞳に光はなく虚ろで、とても人間だった頃の名残を感じない。辛うじて人の形を保っているだけの別の何か。

 それでも岸辺さんたちの心情を察するに余りあった。


「岸辺。俺にやらせてくれ。新橋たちはダチなんだ」


 険しい表情を浮かべ、時峯さんは小銃を構える。


「発砲は許可できない」

「じゃあナイフなら問題ねぇだろ」

「リーチが短い。近づくのは危険だ」

「岸辺!」

「わかってるだろ! 詩穂ちゃんたちに任せるのが最善だ」


 俺たちなら遠距離から安全に仕留められる。眠りにつかせることができる。余計な危険に晒されることなく、音もなく。でも、それじゃ時峯さんが納得できない。

 ゾンビがゆっくりとこちらに迫る中、腰の鞘に手を掛けて時峯さんに向かって伸ばす。


「……なんのつもりだ?」

「貸します。刀ならナイフよりリーチがある」

「蒼空」

「岸辺さんがダメだって言うなら引っこめます。けど、もし俺の家族がゾンビになっていたら」


 ここ何日か、ずっと考えていた。もし俺の両親がすでに死んでいてゾンビになっていたらどうするか。ずっとずっと、何をしていても、頭の片隅で考えていた。

 自分は家族として、息子として、どうするべきなのか。


「やっぱり自分の手で決着を付けたいと思うから」


 とどめを刺して、死してなお動き続けなくてはならない家族を救いたい。それが俺なりに悩んで、感情をぐちゃぐちゃにしながら導き出した結論だ。

 家族と友人の違いはあれど、きっとこの思いは時峯さんも同じだと思う。


「岸辺、頼む」

「……わかった。だが、俺が危険だと判断したら」

「あぁ、その時はこの子たちの世話になる」


 時峯さんは鞘から刀を抜いて、覚束おぼつかない足取りのゾンビへと向かう。柄を強く握り締め、躊躇なく同僚だった者たちの頭を順に刎ねた。

 倒れ伏す三体の亡骸を見下ろし、時峯さんは何を思うのか。俺にはまだ朧気な想像しかつかなかった。


「ありがとな。蒼空」

「いいんです」


 返却した刀を受け取ると、即座に帯電して血が灰と化す。俺以外が触れるとこの刀もスキルを発揮しない。それは凜々たちも同様で、最初に触れたのが俺だったからか、俺以外には反応しないようだった。


「あったわ、あそこよ」


 三体の亡骸を、魔物の死体にそうしたように血の臭いへの対策をする。

 医務室はその先にあった。

 周囲と室内の安全を確認して中に入り、早速百道さんが薬棚に手を掛ける。詩穂もその手伝いに向かい。真央は部屋の中央に立って、全身から何匹もの蝶々を産みだした。

 真央のスキルは蝶々の分身を作り出すこと。分身の一匹一匹と視覚を共有し、魔物やゾンビの標的となることなく周囲の索敵を行える。

 優雅に羽ばたく蝶々は、真央の意思に従って医務室から出て廊下へと広がっていった。

 けれど、分身は文字通り身を分けている。蝶々の数だけ真央の体積が減ってしまう。身長が低くなり、顔つきが幼くなる。凜々たち曰く、子供の頃に戻ったみたいだそうだ。

 保管庫や弾薬庫の見張りの際は見晴らしがよかったこともあって少数の蝶々でよかったけど、室内となるとそれなりの数は必要だ。目に見えて小さくなっている。


「毎度、心配になる変わりっぷりだな」


 高校生から一気に小学生くらいにまで縮んでいるように見える。


「ふふ、こうなるのも楽しいものですよ。お洋服のサイズには難儀してしまいますが」

「たしかにだぼだぼだな」

「はいー。まぁ、サイズで難儀するのはお洋服だけではありませんけれどー」


 洋服だけじゃない? いや、深くは考えないでおこう。深く考えたらダメな気がする。


「これでいいわ。インスリンも見付かったし、他に必要な医療品も回収できた。ありがとう。お陰で患者が助かるわ」

「よし。敵が来ないうちに――」


 雑音が鼓膜を振るわせる。高い音を雑に掻き混ぜたような電子機器のノイズ。

 それは岸部さんが携帯している無線機から鳴り響いた。


「あー、僕の声が聞こえるかな? 自衛隊の皆さん、そしてスキルを持った子供たち」


 無線機から響く何者かの声。

 俺たちのことを知っているということは自衛隊の人か? いや、それにしては他人行儀な言い方だ。岸部さんたちも困惑したように互いを見合っている。

 ということは、全くの外部の人間が自衛隊の無線機を使って勝手に喋っている、ということ?


「……何者だ」

「僕の本名は明かせないが、ペンネームなら教えてもいい。ボイスだ」

「ボイス!? ボイスって、あのラジオの?」

「その通り、僕のリスナーが居てくれてなによりだ」


 俺たちに宿った不可思議な力をスキルと名付け、化け物のことを魔物と呼んだ最初の人物だ。

 常々彼のラジオを聞いてみたいと思いながら今日まで叶わなかったけれど、まさか向こうから連絡を取ってくるとは思わなかった。


「どうやってこの周波数を特定した」

「スキルを使ったのさ。僕もスキルホルダーなんでね」


 稲妻を生み出し、水を生成し、ナイフを操り、血を波打たせ、蝶々の分身を生み出す。

 そんなあり得ないことが実際に起こっている以上、ボイスのスキルも否定できない。どう聞いてもスキルの一点張りではぐらかされてしまう。これ以上の追究は無意味だ。


「お前の目的はなんだ? なぜ俺たちに接触してきた」

「そうだね。時間もあまりなさそうだし、勿体ぶらずに用件を伝えよう。キミたちに提供したい情報がある。それは――」

「――北側の壁です!」


 ボイスの言葉を遮るようにして叫んだのは真央だった。いつもとは違う幼げな声に、鬼気迫る口調。すぐに緊急事態だと理解して、刀に手を掛けながら北側の壁に視線を移す。

 瞬間、壁を打ち破り、瓦礫と共に鉄の塊が現れる。


「真央ッ!」


 飛び散る瓦礫の直線上にいた真央を抱きかかえて地面を転がり、なんとか回避。真央が幼くなっていたことも幸いして完全に避け切れた。


「無事か!?」

「は、はい、大丈夫です」

「よかった」


 真央の無事を確認してから直ぐ、鉄の塊に目を向ける。それは未だ壁を打ち破った衝撃の余韻に浸っていた。鋼鉄を帯びたような無骨な外装、鋭く伸びた爪、人間を模した形。

 人型。鉄の魔物。

 それから目を離すことなく視野を広げると、瓦礫に足を挟まれた片山さんが目に入る。更に百道さんは頭から血を流していた。負傷者二人。あれではまともに歩けない。犀川さんの元に戻るにしても、片山さんと百道さんを庇いながらになる。

 到底、鉄の魔物からは逃げられない。


「くそッ」


 鉄の魔物が余韻から覚め、もっとも近くにいた俺たちに鉄爪を振るう。

 立ち上がる暇もなく、手に掛けた刀を抜いて攻撃を受け止めたが重い。俺の膂力では押し返すのは不可能。

 ならばと刃に帯びた稲妻の出力を引き上げる。激しさを増す帯電が熱を持ち、受け止めた鉄爪を焼き切りに掛かる。

 そんなこちらの意図を見越してか、鉄の魔物は後方へと飛んだ。

 この機会を見逃すことなく磁界を発生させ、ベッドの一つを投げ飛ばす。着地と同時に食らった鉄の魔物はそのまま勢いに攫われる形で、自らが打ち破った壁の穴へと吹き飛んだ。

 けど、これもただの時間稼ぎだ。今ので斃せたとは微塵も思えない。

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