第29話 信頼
震える手でなんとかうがいを済ませ、恐る恐る洗面所を離れる。
この部屋にあるベッドは所謂キングサイズと呼ばれるものだった。そんな馬鹿デカい寝具の前に凜々たちが固まってなにやら話し合いをしている。話題はやはりと言うべきか、今夜の寝床について、その会議だ。
「ベッドは一つ、私たちは五人」
「詰めれば四人は眠れそうだね」
「一人はソファーで眠らなければいけませんねー」
「じゃあ、あたしがソファーで寝よっか?」
「いやいやいや!」
思いも寄らない咲希の提案に思わず口を出してしまった。
「俺がソファーだ。どの道、俺がそこで寝ないと空調が機能しないだろ」
スキルの扱いにも多少は慣れた。今では眠りながらでも稲妻を纏っていられる。出力が弱くて音もせず稲光もうっすらと淡い程度だけど空調は問題なく動くはずだ。
ただこの低出力だと離れた位置からでは通電しない。夜を快適に過ごすには俺がソファーで眠らないと。
「あ、そっか」
あ、そっかって。
何も考えずに発言したのか? いま。咲希はあまり物事を複雑に考えないところがある。そんな純粋なところが長所でもあるのだけど、流石に今回は考えなし過ぎだ。
もうすこし自分が花も恥じらう女子高生だということを認識してほしい。
「でもいいの? 快適な一日の功労者をソファーで寝かせてさ」
「いいから! 俺は全然気にしないしソファーのほうが好きまであるから。ソファーで寝させてください、お願いします!」
「そ、そうか? 蒼空がいいならそれでいいけど」
安堵の息を吐くと、どっと疲労感が押し寄せてくる。咲希の言動が善意から来ているとわかっているから尚更心労を感じてしまう。咲希の気持ちは嬉しいけど、やっぱり女子に紛れては眠れない。本当なら一緒の部屋で寝るのもアウトなのに。
ここラブホテルだぞ。
このことを意識しているのは俺だけなのか? ひょっとして。咲希が普通で、俺がスケベなだけなのか? これって。頭がこんがらがってきた。妙なテンションで普段じゃ言わないようなことを言ってる気がする。
ダメだ、早く寝よう。眠って頭をリセットしよう。
「じゃあ、お休み」
「お休みなさい」
「ミカンも」
「わん!」
明かりが落ちて暗闇と静寂が室内を満たす。心臓の鼓動がやけに気になるくらいの無音。時折、耳を撫でる衣擦れの音。いっそ外で魔物やゾンビが鳴いてくれればとさえ思うくらい四人を意識する夜。
眠ろう眠ろうと言い聞かせては見るものの、やはり中々眠れない。逆に目が冴えてくる気さえする。
生活の中心を拠点に変えてからずっと凜々たちと暮らしてきた。寝食を共にして来た仲なのに、こんなのは初めてだ。なにもする気なんてないのに何故か心臓の音がうるさい。
よからぬことを考えてしまう。
意識するのを止めろ。無になれ。
必死になって心を静め、それが無理ならと別のことを考え、眠れない夜が更けていく。けれど、そんな努力の甲斐あってなのか、人間瞼を閉じて深く息をしていれば眠くなるもので、気がついたら朝になっていた。
「……寝た気がしないな」
ソファーから状態を起こして立ち上がる。寝ぼけたまま床で眠っているミカンを起こさないよう慎重に洗面所へ。その途中でまだ眠っている凜々たちがちらりと視界に入った。
乱れた衣服、生足。思わず目を奪われ、寝息が耳をくすぐる。
「この馬鹿」
頭がまるでリセットされていない。
すぐ洗面所へ駆け込んでミネラルウォーターを頭から被る。これですこしは頭が冷えると良いんだけど。
「意識しすぎだ。はぁ……」
自己嫌悪で頭を抱えたくなる。仲間をそんな目で見るな。
しかし、不味い。早いところラブホテルから出ないと頭が可笑しくなりそうだ。
タオルで顔と頭を拭いて首に掛け、両頬を強めに叩く。じんわりとした痛みが我に返してくれるようですこし落ち着いた。
「よし。もう大丈夫――」
持ち上げた視線の先、鏡の向こう。
背後に佇む、真央の姿。
「うわっ」
「ふふふ。ドッキリ大成功ですー」
「お、起きてたのか」
「はい、つい先ほど。ほかの皆さんはまだ眠っていますよー」
「そ、そっか」
跳ねた髪、眠たげな瞳、皺のついた衣服、いつもと雰囲気が違う真央。
どこから居たんだ。どこまで聞かれた?
「蒼空さんも私たちのことを意識したりするんですねー」
心臓がどきりと跳ねた。
「……聞いてた?」
「はいー。この耳でしっかりと」
「マジか……」
これは不味いかも知れない。
これまで努めてそんな素振りは見せないようにしてきたのに。
「ああいや、これはだな」
「ふふ、焦らなくても大丈夫ですよ。私を含めて、皆さん信頼していますから。蒼空さんのこと」
「信頼……いや、俺は」
俺は選択を迫られた時、楽な方に逃げるような奴で。真央たちから信頼してもらえるような立派な人間じゃない。
「こーんなことをしても」
ふわりと蝶々のように歩み出て、正面から抱き締められた。
背中に回った両手が衣服を軽く掴み、柔らかく包まれ、息が掛かるほど密着する。真央の体温が薄い生地を伝って、こちらの熱と混ざり合う。
心臓の音が真央に聞こえるのではないかと思うくらい、早く激しく脈打った。
「安心だってわかっているから、みなさんぐっすり眠れるんですよー」
「ま、真央?」
「そうでなければ、いくら暑くても男の子と同じ部屋で眠ったりしません」
「そ、そういうもの?」
「そういうものです。それに実は私、蝶々になってひらひらしていた時から蒼空さんのことを見ていたんですよ?」
「ホントに?」
「はい。合流は最後になってしまいましたが蒼空さん歴で言えば凜々さんと同じくらいなんです」
蒼空さん歴とは一体。
「そんな私の言葉を信じてください」
「……わかった。ありがとな、真央。気を遣ってくれて」
「えへへー」
にへらと笑う真央の笑顔に救われた。
「あー!」
突如として現れる咲希。その目は信じられないものでも見るように見開かれ、指先でこちらを指していた。
「蒼空と真央がエッチなことしてる!」
「えぇ!?」
「どどど、どういうこと!?」
どたどたと荒くて勢いのある足音が二人分近づいてくる。
「いやっ! これはっ!」
「おやおやー、これは不味いことになってしまいましたねー」
「勘弁してくれ……」
獲得した信頼を早くも失いそうになった。この後の説明というか釈明というか、とにかく誤解を解くのが大変そうだ。
§
結論から言えば説明は難航したけれど、どうにか飛電蒼空の信頼は失わずに済んだ。
それはもう大変な、筆舌に尽くしがたい苦労があったものの、最終的にはみんな納得してくれたようでほっとする。どうやら真央は昔からハグ魔だったらしく、それが三人の中で共通認識になっていたことが大きい。
何かにつけてハグをするのが真央なりの愛情表現だった。
「男にハグしてるの蒼空以外に見たことないけどな」
その咲希の一言でまた場が荒れそうになったものの、なんとか波風立てずに関係を立て直せたのだった。冷や汗をびっしょりと掻いたのは言うまでもない。お陰で着替えるはめになった。
でも、誤解が解けてよかった。解けなかったらどうしようかと。
「忘れ物はないかしら? じゃあ、涼しいうちに出発しましょう」
色々とあったものの、ようやくラブホテルから脱出する時が来た。
上階と下階の封鎖が解かれ紅い血液がカーペットに染みこんで消える。
階段を下ってフロントを通り、開けっ放しの自動ドアを越えると優しい日差しに包まれた。時刻は午前六時、昨日が猛暑日だったことを差し引いても、やはり朝は涼しかった。
太陽もまだ寝ぼけているようで、移動するなら今しかない。天候が本調子になる前にラブホテルの敷地を後にする。
出来れば今後、複数人でのラブホテルの利用は差し控えたいと、そう思いながら。
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