第25話 蝶々
「ふぁあ……」
欠伸をしながらうんと伸びをして重い瞼をこじ開ける。
ここは拠点の中にある迷路の袋小路、背後と左右が壁になっていて正面には衝立が建ててある。この四角い空間こそが俺の城、プライベートルームだ。ちなみに天井はない。付けようと試みたことはあったけど、暗くて圧迫感があって断念した。
キャンプ道具の寝袋から抜け出して衝立を退かし、もう何度も解いた迷路を抜ける。
「あ、おはようございます。蒼空くん」
本に向かっていた視線がこちらに向く。
「おはよう、凜々。洗面所あいてる?」
「大丈夫ですよ」
「よかった。顔洗ってくる」
顔を洗い、歯を磨き、着替えを行う。
拠点での生活も慣れたもので、今では不自由もあまり感じない。
まぁ、女三人に男一人だ。色々と気を遣ったり目を背けたりすることはあるけど、なんとか上手くやって行けている。
「お手!」
「わん!」
すべきことをすませて洗面所から出ると、咲希が今日もミカンに芸を教えていた。差し出された右手に対してお座りをしているあたり、まだまだ道のりは遠そうだ。
「詩穂は?」
「ここよ」
食料庫から声がしてそちらに向かう。
「なにしてるんだ?」
「リストを作ってるの。なにがどれくらいあって、どれだけ保つか。把握しておいたほうがいいでしょ?」
「なるほど」
「冷凍庫のお肉や魚にもラベルを貼って置いたわ。古い順に使って」
「助かる。よく気がつくな」
「管理は生き残る上で大事なことなのよ? これくらいはしておいて当然だわ」
「耳が痛いな」
「責めてるんじゃないわ。大丈夫、これからは私が管理をするから。リストはここに置いておくから使ったら印を付けてちょうだい」
「了解。じゃあ早速、朝食のためになにか持ってくよ」
棚に並んだ調味料や缶詰を眺めて今日の朝食を考える。
朝食と言えば卵焼きや目玉焼き、スクランブルエッグとなにかと卵が目立つ。けれど、世界がこうなってしまった以上、新鮮な卵は手に入らない。
売られているものはすでに腐ってしまっている。
「まぁ、塩焼きかな」
シンプルな料理に外れなし。冷凍庫の空きも作れていい。
棚から塩を取ってリストに印を付ける。冷凍庫から一番古い魚を取りだした。
§
「えーっと、あとは医薬品かぁ」
朝食を取った後は物資の補給のため咲希と街に繰り出した。
詩穂から渡されたリストはすでにほぼすべてチェックが入り、後は咲希の言った通り医薬品のみとなっている。病院が機能していない以上、病気は自力で治すしかまい。悪化させないためにも医薬品は必要不可欠だ。
「お、あった。蒼空、あそこだぞ」
「みたいだな。よし、降りよう」
眼下に薬局を見付けてそちらに降りる。瓦礫橋からアスファルトに足を下ろし、正面入り口から自動ドアを手動で開けた。
中は散らかっている様子だけど、棚の薬は綺麗に並べられたままだ。
「持てるだけ持っていこう」
保管されていた薬をくしゃくしゃのレジ袋に詰めていく。手にとって名称を見ても何の薬かは見当もつかないが、とにかく手当たり次第だ。
「なぁ、蒼空。これ、いくつか落ちてたけど、なにかの役に立つかな?」
「処方箋?」
手渡されたそれに目を通す。
「基準にはなるかも。ここに載ってる薬なら一日何回、一回にどれくらい服用すればいいのかわかる」
「なるほど。でも、何の病気に効くかまでは書いてないんだよなぁ」
「それはしようがない。誰かが病気になったら避難所にいこう。医者がいる、はず」
「お客様の中にお医者様はいらっしゃいますか? って奴だな」
なんてことを言いつつ薬と一緒に幾つか拾い上げた処方箋を持っていくことにした。
「これだけあれば多分大丈夫だ、帰ろう」
「オッケー」
持てるだけの薬を持って薬局をあとにする。外に出ると一瞬影が過ぎり、すぐに頭上に目を向けた。
「いるな」
青い空と白い雲を背景にして飛ぶ鳥の魔物だ。鳥の魔物には嫌な記憶があるが、あの時ほど大きい訳じゃない。
まぁ、それでもデカいはデカい。遠目からで正確な大きさは測りかねるが成人男性くらいの大きさはありそうだ。
そいつは太陽を背に嘴や鉤爪を鈍色に光らせながら俺たちの周りを旋回している。とって喰おうって腹だ。そのうち狙いを定めたように急降下してきた。あの鋭い鉤爪に掴まれたら攫われてしまいそうだ。
「あたしに任せな」
空中でくるりと回転させたナイフが弾けるように飛ぶ。
弾丸の如く駆け上がったそれは鳥の魔物を貫くとともに瞬く間に凍結させた。
大きな氷の塊と化したそれは重力に引かれて落ち、アスファルトに激突して砕け散る。その中からナイフが飛び出し、咲希の手の中に舞い戻った。
「へへーん。どんなもんだい」
「お見事」
砕け散った魔物の側に近づいて破片の一つを拾い上げる。解凍すれば食べられそうだが、やめておこう。十分に血抜きしないと焼いて食べた時に口の中がざらざらする。
それに今は冷凍庫に空きがそんなにない。嬉しい悲鳴だ。
「じゃあ、今度こそ――」
氷の破片を置いて立ち上がるとひらひらと舞う蝶々を見る。今回で三度目だ。
「最近、よく見るな」
目で追い掛けると、その蝶々は薬局の屋根まで飛んでいく。
「蝶々ってあんなに高く飛べるんだー」
「……ちょっと追い掛けてみるか」
「へ? なんで?」
「蝶々を追い掛けると良いことが起こるんだ」
刀を見付けられたし、バスに迫るゾンビにも早く気づけた。今回もなにかあるかも知れない。ただの偶然が重なっただけかもだけど、確かめて損はないはず。
瓦礫橋を作って屋根の上まで登ってみる。
「んー」
「なんかあった?」
「お?」
屋根を見渡すと大きな鳥の巣があった。あの鳥の魔物は俺たちを喰おうとしたんじゃなく、いや喰おうとはしてただろうけど、とにかく巣を守ろうとしていたのか。
中を覗き込んでみると通常サイズを二回りほど大きくした卵が幾つか入っていた。
「これ、食えるかな?」
「親のほうは食えたし、卵も大丈夫じゃない?」
「じゃあ、これも持って帰ろう」
「そっとな」
割らないようにそっと回収して拠点へと帰還した。
「わぁ! おっきな卵ですね!」
「だろ? 今日の昼ご飯にと思って。その前にミカンに毒味してもらわないとだけど」
「犬って卵食べても大丈夫なの?」
「たしか卵は食べさせても大丈夫なはずよ。生は危険だし油あげ過ぎはよくないから、ゆで卵が一番ね。量にも注意しないとだから、半分くらい上げてみるのがいいわね」
と、詩穂が言うのでミカンに魔物の卵の安全を確認してもらう。
「大丈夫だと思うんだけどな」
「魔物でも鳥が産んだ卵なら基本的に毒はないわ。たぶんね」
半分に切り分けたゆで卵を潰してミカンに食べさせる。それから数時間様子を見たけれど、ミカンの体調に異変はない。
「平気か? 腹の調子は?」
「わん!」
「そうか、大丈夫か」
元気な返事だ。
「よし。今日は久々に卵料理だ」
魔物の卵料理は久々に食べたこともあって絶品だった。
三人にも好評だったので今度からは屋根の上を注意深く探すことにしよう。やっぱり蝶々は幸運に導いてくれる。
§
「真央を捜すにあたって、考えてみたの」
昼食を取り終えたテーブルで、今度は話し合いが行われる。議題はもちろん凜々の友達捜しにおける最後の一人、真央についてだ。
「なぜ、真央は姿を消したのか。それは恐らく光の爆発のせいだと思うの」
「スキルのせいで姿を消しちゃったってこと? 詩穂ちゃん」
「可能性はあると思うわ。それに考えていて一つ、仮説を思いついたの」
「仮説って?」
咲希の問いを受けて、詩穂の視線が俺のほうを向く。
「蒼空。あの光の爆発に飲み込まれた時、なにをしてたか思い出せる?」
「あの時か……」
あまり思い出したくないことではあるが記憶を呼び起こした。
「とにかく、逃げようとしてた。必死に走って、ドアノブに手を伸ばして、それで……」
「それで?」
「静電気が起こった」
「凜々、あなたは?」
「私は川に落ちて……」
「咲希」
「あたしはナイフの手入れをしてた」
「つまり……」
ここまでくれば予想はつく。
「そう、私たちのスキルは光を浴びた瞬間になにをしていたかで決まるの。私は擦り傷の手当を自分でしてたから」
「血を操れるようになったわけか」
「そういうことだと思う。これが当たっていたなら真央のスキルも推測できるはずよ。どうして消えたのかわかるかも。二人とも、憶えてない?」
「んー……あたし、ナイフの手入れに夢中だったからなぁ」
「私もよ、自分の傷しか見てなかった。凜々はどう?」
「んー……憶えているような、ないような……」
「しっかりして、凜々。真央を見付けられるかも知れないわ」
「たしか川に落ちる前に話をしたはず……んんん、でもなんだったっけ……」
どうやら川に落ちた衝撃ですこし前後の記憶が飛んでいるみたいだ。頭を悩ませているが、時間が経っていることもあって当時の記憶を蘇らせるには時間が掛かりそうだ。
「茶を入れてくるよ」
「えぇ、お願い」
席を立ち、台所へと向かう。
湯沸かし器で湯を沸かし、茶を入れて戻るとまだ思い出せていないようだった。盆をテーブルの上に置いて茶を配り終わり、一息をつく。
「拠点の話をしてたような……んんー……」
それを聞いて何気なくこの拠点を見渡してみる。
初めてこの拠点を訪れた時は壁にずらりと並ぶ銃器に圧倒されたものだ。迷路があることに驚いたし、風呂とトイレも完備されている。水は定期的に凜々がタンクに補充してくれるし、電気は俺が賄っているからいつでも風呂に入れてしまう。
今となっては見慣れてしまったけれど、もっとこの拠点に感謝しないとな。と、感慨深く思っているとふと目に付く。
「蝶々……」
どこから入って来たのやら。またしても蝶々を見た。
これで四度目。季節は夏だし、ゾンビも魔物も虫は食わない。だから蝶々を見掛けること自体は不自然でもなんでもないと言える。けど、よくよく考えてみれば見たことのない蝶々だった。
翅の柄に見覚えがない。蝶々に詳しいほうではないから俺の知らない種なのかも知れないけれど、それにしたって俺は四度ともこの柄の蝶々を見ている。
それぞれ別々の場所で、こうもこれまで見たことのなかった蝶々を連続して見ることなんてあるのか?
もしこれが偶然じゃないとしたら。
「……凜々」
「はい?」
「蝶々」
「蝶々? ……あー!」
凜々が大声を上げて立ち上がる。
「それです! 蝶々! あの時、真央ちゃんの指に蝶々が止まってました! 私、それを見て可愛いねって。その直後でした! 光の爆発に飲み込まれたのは!」
「じゃあなにか? 真央は蝶々になってるってのか? そんな馬鹿な話――」
ひらひらと舞う蝶々が目の前を通る。
「え、あれが真央?」
「捕まえて! 優しくよ!」
誰もが真央かも知れない蝶々を捕まえるべく立ち上がった。
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