第二話「魔法と図書館」5

「あの、すみません」

「どうしました?」

 無愛想に司書さんは機械的に答える。

「この本を、探していて……」

 私はさっきリリーが書いてくれた紙を渡す。彼女はそれをじっと読んで、怪訝そうな顔で私を見つめる。

「本当に? あなたが?」

 たぶん、リリーが書いた本は私が読むものとしてかなり難しいものばかりなのだろう。タイトルからでは、難しそうとだけしか読みとれない。

「はい、学校で使うからって、先生が」

「そう、なら仕方ないわね」

 リリーに指示された通りの言葉を言うと、簡単に彼女は納得したようだった。

「この本とこの本の場所はね……」

「届きますか?」

 声が裏返りそうになるのを我慢して、用意してきた台詞を役者さながらにそつなく言った。

「あ、そうね、なら私が行ってくるわ。ちょっとそこで待っててね」

 周りを見渡してカウンターに来る人がいないことを確認した司書さんが、席を立って階段を上っていく。

リリーの計画通りだ。

 高い棚の本を指定して司書さんに取りに行ってもらう。あるはずの場所に脚立が置かれていないから、それを探さないといけない。見つけたとしても本もリリーが隠してしまったので、そこに目的の本は見つからない。諦めればすぐに戻ってくるものを、ちょうど脚立に登れば見えるが手の届かない範囲に置いておく。そこで司書さんが脚立を降り移動しなおして本を取る。それだけ時間稼ぎができる。

 私は、柱の陰に隠れていたリリーに目配せをする。彼女が音を立てないようにそろりそろりとこちらへ来て、カウンターの裏へ回る。チャリンという音に二人が肩を震わせる。

 カウンターからリリーが鍵束を取った音だ。彼女はそのままゆっくりと横の地下階段へ向かい鍵を開ける。そして一度戻ってきて、その鍵を私に渡す。私はそれを元の位置に戻しておいた。

 しばらく何喰わない顔で私は司書さんが帰ってくるのと、リリーが戻ってくるのを待つ。カウンター側からは地下階段は見えないので、はち合わせたりしなければ、どちらが先でもかまわない。それまでにリリーが目当ての本を見つけてくれば大丈夫だ。

 どきどきしているうちに、二階から司書さんが戻ってくるのが吹き抜け越しに見えた。

 同時に、地下階段からリリーが顔を出した。

 いけない!

 そう思った私は次の瞬間には地下階段まで走り出していて、目を見開いたリリーをそのまま抱え込むようにして押し返していた。

 声も出せない彼女は地下階段の一番下までなすがままで押されていって、背中を扉に打ちつけた。

 そのまま私がドアを開けて、二人は地下書庫に入る。それから慎重に音を立てないように扉を閉めて、リリーが消した明りをつけ直す。

 リリーがたっぷりと深呼吸をして、でも小さな声で口を開く。

「馬鹿なのあなた?」

「だって、見つかりそうだったから……」

「それにしたって」

「ごめんなさい」

「まあ、いいわ」

 リリーが怒るのも諦めてためいきをつく。

 今頃司書さんが本を持って、私を探していることだろう。

 まさか地下書庫にいると思わないし、一人しかいないからそうそう図書館を探しまわるわけにもいかないだろうから、きっと自分のイスに座って私を待つことになるのだろう。

「どうするのこんなことして」

「でも、出るとき気をつけていれば見えないはずだから……」

「まあ、それもそうね。閉館間際になるまでここにしましょう」

「それでリリー、本は見つかった?」

「ううん」

 リリーが首を振る。

「本が古すぎて、どれがいいのかわからないの」

「そっか」

 ここに並べられている本はどれも私にはタイトルさえ読めそうになった。リリーも、一つ一つのタイトルを確認するのは骨が折れるのだろう。

「ねえ、あそこ」

 私が指を指す。

 地下書庫の億、その先には壁に向かい合うように木製の古びた机があった。

「なんだろう」

 リリーと一緒に机の前まで行く。イスが一脚、これも古い木製のものが置かれていた。

「光っている?」

 リリーが首を傾げる。

 机がほのかに光っていた。

「リリー、これ引き出し」

 その明かりは机の下の引き出しから漏れているようだった。かなり淡く弱々しい白い光だ。リリーがその引き出しを引く。ガタガタと音が鳴ったが引き出せそうになかった。

「鍵がかかっているみたい」

 引き出しの右側に鍵穴が開いている。

「これ、私、見たことがある」

 机の平面の右下に何かが刻まれている。何かの一枚の葉が描かれ、それを覆うように円形の模様が描かれていた。

「そうなのリリー?」

「そう、うん、これ、私の家の家紋だわ」

 その模様をリリーが指でなぞった。

「え!?」

「どうしてだろう、でも、もしかしたら」

 リリーが背負っているカバンを開けて中から何かを取り出す。

 チャラチャラと音がした。

「それはなに?」

「私の部屋の机の鍵、私が生まれる前からあるの」

 リリーが鍵を鍵穴に差し込む。

「回った!」

 小さい声でリリーが叫んだ。

 リリーがゆっくりと引き出しを開ける。

「本がある」

 両手で抱えられるほどの大きさの本をリリーが慎重に取り上げ、机の上に広げる。本自体が優しく光っているようあった。

「これ、魔法?」

 今や夜の明かりはガス灯が主になっている。昔のように魔法による安全な明りはどこでも手に入らないのだ。

「誰も使っていなかったから、まだ効力が残っていたみたいね」

 しばらくその優しい明りを見つめていた。単に熱くないというだけではない。私はカルミナの銀色の髪を思い出していた。

「これね……」

 本をリリーが開く。革づくりの表紙は長年読まれてきたのかつるつると光っていて、それでいて大分誰も触っていなかったのかカビ臭かった。

「なんて書いてあるの?」

 流れるように書かれている表紙の文字は、私が知っている言葉とは違うものだった。

「えっとね、『技術化される魔法における魔法使いの役割について』と書かれているわ。中は、誰かの書いた日誌、というか日記みたいね」

「まほう、つかい?」

 聞き慣れない言葉だ。

「ええ、そう書いているわ。私にもよくわからないけれど。でもね、これ……」

 そう言って、リリーはゆっくりとページをめくる。

「私にも、全部は読めないけれど、日付順に書かれているみたい。とりあえず、今読めるところだけ、なぞってみるわね」

 指を紙にはわせ、読み上げる。


『これほどまでに多くの魔法使いが一堂に会したことは歴史上例を見ないだろう。非常に個人主義であるがゆえに成り立ってきた我々だが、我々はその個人主義のため存続の危機にひんしている。これから、我々は我々自身の行く末を決めなくてはならない。緩やかな消滅か、彼らとの共存か、だ。どちらにしても、決断は重くなるだろう』


『多くの魔法使いの合意を得ることはできたが、問題は依然として山積している。計画はまだ始まったばかりだ。慎重に彼らと話し合い、進めて行こうと思う。我々の力が、平和的に広く一般に普及することを切に望む』


『どこまでを再現することができるのか、いまだ実験途上だが、おおよそ三割程度までは小規模の鉱石で足りることがわかった。解析班は引き続き、紋様の作成とあわせて調整に当たることとする』


『例の街の計画は順調に進んでいる。いずれ魔法都市としての礎となるだろう。そして、流浪の我々の初めての故郷となってくれるに違いない。息子のためにも、定住の地が必要だ』


『諸問題について、一番大きなものは、鉱石の埋蔵量に限度がある、という点だろう。発展の程度によっては、二百年で枯渇してしまう可能性がある。もっとも、我々魔法使いの総数さえ減らなければ、鉱石の再利用も可能であるからあまり問題視しない方が良いのかもしれない。これは彼らには隠しておくべきだろうか。場合によっては我々の立場を危うくしかねない』


『不安材料であったいくつかの問題について、顕在化してきたようだ。やはり鉱石の埋蔵量と回復方法は切り札として取っておく必要がある。我々も人間であるということも、彼らも、そして我々も深く考えなくてはいけない。魔法使いは、魔法が使える、ただの人間である』


 いくつかを読み終えて、リリーが長い息をつく。

「これって、どういうことなんだろう。魔法使いって……」

「そうね、きっと、こういうことだわ。魔法使いと呼ばれる人たちがいて、彼らが使っていた魔法を、鉱石、つまり私たちが呼ぶ魔法石ね、それで誰でも使えるようにした、っていうことじゃないかしら」

「うん……」

 そして、書いた本人は魔法使いのはずだ。

 地下室の湿度のせいか、じっとりと汗で手が濡れるのを感じた。

 私は、魔法使い、という響きとカルミナを自然と重ね合わせていた。

「魔法使いは、人なの?」

「わからないわ。少なくとも、これを書いた魔法使いはそう思っているみたいね。でも正直なところ、話に聞く魔法を当たり前のように使えるなんて、実感ないわ」

「私も……」

 私たちは、魔法石の時代の魔法ですらもはやおとぎ話のようなものなのだ。それを人々が使っていたということも、書かれたものや大人たちの思い出話の中でしか知らない。

「わっ」

 本の終わりからするりと光る紙切れが落ち、ふわふわと舞い、私の前に止まった。

「しおり?」

 空中を漂うその紙を羽毛のように優しく両手で包む。

 長方形の紙は文字とも模様ともいえない緑色の線の繋がりを浮かび上がらせて、そして静かに暗くなりただの紙になっていった。

 ぼう然とする二人の前で、本が呼吸をしているような気がした。

 私たちは閉館近くまで粘り、図書館が明りをつけなくてはいけなくなりそうになってから、司書さんの目を盗んで地下室から脱出した。

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