第二話「魔法と図書館」3
昼休みにユーリと一緒に校庭の桜まで向かった。クラスメイトと下級生が数人遠巻きに桜を囲んでいる。一本しかない桜は壁に沿うように植えられていた。二人で手をつないでも周りきれない太い幹で、学校が建てられたときからあると言われている。季節通りならそろそろ桜の花が咲き始める頃合いだった。
それが今年は違っていた。近づくとどんなに異質かはっきりとしてくる。
薄赤い、透き通ったようなピンク色の花びらがちらほらと見えるはずだけど、そこに咲いていたのは目の覚めるような青い花だった。
「花が、青い」
近寄ってみて、形は桜の花びらそのものであることがわかる。
ただ、信じられないような色をしているのだ。
それ以外には特におかしそうなところは見えなかった。病気になっているとも思えなかった。
「これも、魔法の残り香?」
「さあ」
私の疑問に、ユーリはぼそりと返した。
「でも、残り香って、機械だけなんじゃないの?」
「そう聞いてるけど、まあ、なんでもありなんじゃねえの? 魔法ならさ」
元々魔法を知らないから、魔法なのだから、で納得してしまいそうになる。
「あ、リリー」
ぼんやりと桜を眺めていたリリーを見つける。彼女は胸でかばんを抱えていた。私の方をちらっと見て、また桜を見上げる。
青い桜は確かに不思議な光景だったけれど、それ以外に異変もないようだし、見続けても面白くないので周りにいた子どもたちは次々と離れていってしまった。
あとに残されたのは、私とユーリ、リリー、そして、カルミナだった。
カルミナは、子どもたちと会話をすることなく、リリーと同じように桜を見上げていた。
その顔は、どこかしら、そうなって当然、というような雰囲気を漂わせていた。
「よう、カルミナ」
彼に声をかけたのはユーリだ。
ゆっくりとカルミナはユーリに退屈そうに向き直す。
「そういえば、カルミナはどこから来たんだ?」
ユーリの質問に、彼は小さく首を振っただけだった。
質問の意味がわからなかった、というのではなく、答えたくない、という意思表示に思えた。ユーリも、別に興味があったわけではないようなので、その質問は空に消えていってしまった。
「まあ、どこでもいいけどな。こういうの、そっちでもあったか?」
「いいや」
カルミナが返事をする。
「もう、魔法の時代は終わった。どこでもそういう認識だ。その影響下にある、ここでは『残り香』と言ったっけ、それもほとんど見られない」
その答えに、少し離れたところにいたリリーが近寄ってきて、話しかける。
「どこでも?」
こくん、と彼がうなずいた。
「僕は、いくつかの街に行ったことがあるから。みんな、もう魔法のことは忘れてしまったか、記憶の中にあるだけみたいだった」
「そう」
「それにしては、ずいぶん驚かないんだな。普通、桜がこんな色をしていたら驚くどころの話じゃないと思うんだけど」
「いや、驚いているよ。僕はこんなになるのを初めて見た」
「こんなに? じゃあ、似たようなものはあるんだな?」
「ああ、いや、うん、小さい頃に、どこかで見たことがあるような気がする。桜だったかどうかは、ちょっと覚えていないけれど」
「なあ、カルミナ、お前、何なんだ?」
ユーリがカルミナに突っかかる。
「何なんだ、とは?」
困惑しているのか、どうしていいかわからない顔で彼が私たちを観返す。
「なんだか気になるんだよ。こんな街に、どうしてやってきた? 親の仕事の都合? なら親は何をしている? そもそも誰かと来たのか?」
質問攻めのユーリにカルミナは答えを窮しているようだった。
「ちょっと、そんな言い方しなくても」
「いいや、彼の言う通りだと思う。僕の親は学者で、世界中を渡り歩いているんだ。あとからこの街には駆け付ける予定で、僕だけが先に来たんだ」
「本当か?」
「そうじゃなければ、僕みたいな子どもには何もできないよ」
彼は、妙な口ぶりで、言いにくそうに『子ども』と言った。
「ふーん、ま、いいけどな」
納得していないユーリは大きく息を吐いた。
「ところで」
逆に話を進めたのはカルミナの方だった。
「君たちは、魔法を見たことがある?」
三人は顔を合わせて、そして全員が首を横に振った。
「魔法なんて、そんな昔のこと、この街の子どもでも見たことがない」
ユーリが代表して答える。
私は昨日のカルミナの姿を思い出していた。
あれは魔法というものではないのだろうか。この場で彼に聞いてみても良いけれど、ユーリとリリーの前でその質問はしてはいけないような気がした。
カルミナが私を見つめているような気持ちになった。
もしかしたら、昨日あそこにいたのが私だと知っているのだろうか。
「あ、猫」
リリーが桜の木に登っていた猫に気がつく。
胸から言葉が飛び出してしまいそうになるのを我慢して、両手で口を抑える。
「どうした、ニーナ」
「ううん、何でもない」
あれは、カルミナと一緒に教室にいた猫だ。枝から枝へ軽々と移っていく茶色の猫は、一度尻尾をぴんと張らせて、跳ねてカルミナの前に着地した。
「お前の猫か?」
「うん、彼はガレット。僕の古くからの友達」
私と同じ年齢のはずのカルミナの『古くから』という言葉が引っかかる。
ガレットと呼ばれた猫は伸びをしていた。
「かわいい。触っても良い?」
「彼が良ければ」
リリーがしゃがんで、左手でかばんを抑えつつ、右手でガレットの背中をなでる。ガレットが気持ちよさそうに目を閉じていた。
「ガレットは気に入ったみたいだ」
私はいつガレットがこちらを向いて、昨日のように駆けだしてくるかと思うと気が気でなかった。幸い、ガレットはリリーになでられるのに夢中で、私のことなんて気にしていないようだった。
「ガレットが人を気に入るのは珍しいんだ」
「嬉しい」
ほめられたリリーは素直に喜んでいるようだった。
「近しい匂いを感じたのかな。それとも、かばんの中身に美味しいものでも入っていると思っているのかな」
冗談のような言葉に、なぜかリリーははっとして、急に立ち上がる。
名残惜しそうに、ガレットがリリーの足元に鼻先を押しつけていた。
「リリー?」
カルミナがリリーを見つめている。
「わ、わたし、もう行かなくちゃ」
慌ててスカートを直して、リリーは小走りで去っていってしまった。
「ニーナ、俺たちも戻ろうぜ」
「え、あ、うん」
「じゃあ、また」
カルミナが手を振る。
その場を離れかけているユーリの背中を見つつ、まだ立ち去るそぶりがないカルミナに思い切って聞く。
「ねえ、カルミナ。あなたは、魔法を見たことがある?」
私の問いかけに、彼はどちらとも取れる複雑な表情をしていた、ように思えた。
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