第一話「日常と残り香」3

 放課後になりクラスメイトは散り散りになって帰っていった。

 彼らはユーリのように来年からの自分を決めるために誰かのもとに修行へ行ったり、リリーのように外へ行くために図書館で勉強したりしているのだろう。

 私は家に帰って手伝いをするだけだし、この時間に帰ってもあまりすることはない。夕食後に明日の準備をするくらいだ。

何をするでもなく誰もいない学校をふらふらと歩く。しんと静まり返った校舎をコツコツと足音を立てながら一人きりの世界を満喫する。

この時間が私は心の底から好きだった。誰にも邪魔されず、何も考えず、曲がりくねった平均台を歩くようなイメージで、そろりそろりと歩を進めていく。

あと一年。

 あと一年で、この学校ともお別れだ。何年も走り回った校庭も、ずっと使っていた教室も、卒業後に来たとしても、もう私のものじゃない。きっと、もう会うこともないクラスメイトだっているだろう。そう思うと、胸がきゅう、と押しつけられる気がした。それを見てみないふりで、私はぐねぐね自由に歩いていく。

 ササっと、何かが足元を駆けていく音がした。

 あれ、なんだろう?

 目の前を一心不乱に走っていく灰色の姿を目で追いかける。

 ネズミ?

 小さな体で、ネズミが走り去っていった。

 ガサササ。

 また後ろから音がして振り返る。今度は二匹がこちらへ向かってくる。腰をかがめて、タイミングよく通り抜けようとした一匹のしっぽを掴んで持ち上げる。

「チューチュー」

 妙に嘘っぽい鳴き声でそれが何なのかわかった。

 生き物のネズミに見えるけれど、よく見ると体中がつぎはぎでできている。触り心地も本物のネズミよりだいぶ堅い。金属ではなく、木でできているみたいだった。カラカラと体の中で、回転する音が聞こえた。

「これ、機械ネズミだ」

 昔魔法がまだ現役だった頃に流行ったネズミ型のおもちゃだ。本物みたいに動いて持ち主の命令をきいたりできたらしい。魔法がない今はゼンマイでちょこちょこ歩き回るくらいしかできないはず。そのネズミが、まるで生きているみたいに何匹も動いている。

「残り香?」

 何かに影響されているのは、たぶん間違いない。

「どこかに行きたいの?」

 顔にネズミを近づけてみる。手足をばたつかせて、今すぐ降ろしてくれと言わんばかりだ。捕まえられなかったもう一匹は、廊下の向こう側に行ってしまっている。

「じゃあ、ごめんね」

 そっと、ネズミを廊下に置く。

 これ幸いとネズミは一目散に廊下を走っていく。他の二匹と同じ方向だ。私もネズミの後ろを距離を保ちながら追いかける。

 階段を下りて一階に降りる。思ったよりもはやくネズミは見失ってしまった。それでも迷うことはなかった。見失ったと思ったら、すぐさま他のところから違うネズミが現れてくるからだ。

「ここ……?」

校舎の隅の空き教室に一匹のネズミが入っていくのが見えた。慎重に、足音を立てないように近付く。

 この教室はもっと子どもがたくさんいた頃に使っていたもので、もう何年も使っていないはずだ。

 ドアが少しだけ空いている。淡い赤い光が漏れている。この教室に明りがつくとは思えないし、こんな光なんて見たことがない。

 どきどきしながら隙間からそっと覗き見る。

 ほこりっぽい部屋で、壁には使わなくなった机やイスがうず高く積み重ねられている。夕暮れの太陽とは向きが正反対なので窓からあまり光は入ってこない。

その教室の中央に人影があった。影は一人きりで床に座り込み、右の手のひらを上にして耳元に置いている。手には一匹のネズミが乗っていてチューチューと鳴いている。彼、そう白い衣服を身にまとった私と同じくらいの歳の少年は、そのネズミの声に耳を傾けているみたいだった。

「そう……そう……やっぱりか……」

 小声で、彼はネズミにあいづちを打つ。

 彼の周りには薄赤く発光した何匹ものネズミが群がっていた。その光で彼の肩まである銀色の髪がきれいに反射していた。

 彼の一匹のネズミが彼の耳元で話終わると、また別にネズミが彼の体を駆けあがり鳴き始めている。私には、そのネズミたちの言葉はわからないし、鳴き声の区別さえもちろんつかない。

 彼の横では茶色の猫が寝そべっていて、尻尾をゆらゆら揺らしていた。ネズミにはあまり興味はなさそうだった。

 まるでおとぎの国に紛れ込んでしまったみたいな光景だった。

「そう……時間がない……」

 彼はネズミと会話をしている。どこか宙をさまよっていて、とろんとした瞳だった。それに見とれていると、足元でキイキイと声が聞こえた。目線を落とすとネズミが私の足元に引っ掛かってしまって、教室に入れなくなっていたのだ。

 足を上げてネズミを中に入れてやる。

 と、

「チュー!」

 一際大きな声で、そのネズミが鳴いた。

 しまった!

 目を閉じて眠っていたかのように見えた猫が、かっと見開いて私をにらむ。

「フシャー!」

 猫が伸びをして私をいかくした。

「ガレット!」

 彼が叫ぶ。

 ガレットと呼ばれた猫が、ドアへ走り寄ってきた。

 私は急いで教室から離れて逃げ出す。

 背中に冷たい光を浴びている気がした。

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