第一話「日常と残り香」

第一話「日常と残り香」1

「行ってきます!」

「気をつけるのよ」

 店の奥で今日もケーキを焼いているお母さんに声をかけ、私はドアを開けた。

 ちゃりん、とドアに合わせて鈴が鳴る。

 レンガが敷きつめられた地面を強く踏んで、私は駆けだした。

 今日は珍しく風が強くないので、制服のフードは被らない。道に落ちたレンガを飛び越えるためにはねた拍子にケープが揺れた。お気に入りの赤いピンがおでこに触れる。私の黒髪は油断をするといつも簡単に寝ぐせがついてしまう。

薄い胸にはお祖母ちゃんから受け継いだお守りがぶら下がっている。片手で収まるくらいの白い長方形の巾着のようなものだ。その中にある白い布の中にはお祖母ちゃんの時代にあったと言う植物の種が入っているはず、そう言われている。

 思い切り息を吸い込む。長い冬が終わって、森から漂う春の匂いがようやく街を包み込みはじめていた。吐く息は白くないし、スカートからのぞく膝ももう寒くない。

 街の北にある家から、まずは中心の教会へ真っ直ぐ向かう。高い塔がそびえる教会は、街のどこからでも見ることができる。

 都会から離れた、乾いた大地の真ん中にぽつんと造られた小さなこの街が私の生まれ育った街だ。

 整った円形で、周囲を大きな塀に囲まれている。

 街の外の南西にうっそうとした森があり、南東には今は使われていない鉱山がある。

「いよう、ニーナ」

 通り道で出会った男の子に声をかけられる。

「おはようユーリ、また夜更かし?」

 目の下にクマを作っている彼は、私の幼馴染のユーリだ。

 小さい街だから、同じ歳の子どもたちは大体幼馴染といってもいいのだろうけれど、家が近所のため小さい頃は二人でよく遊んでいた。

「ちょっとな」

 赤色の短い髪をぽりぽりとかく。フードの上には彼のトレードマークともいえる赤いフレームのゴーグルが乗っていた。風が吹くと街の外から細かな砂が入り込んでくるので、私たちの薄茶色の制服には最初からフードがついている。ユーリはそのフードよりも、直接目を保護するゴーグルを愛用していた。

 二人は並んで塔を目指す。

「また調子が悪いんだとさ、あの大時計」

 ユーリは視線で塔に備え付けられた時計を指す。一定時間ごとにチャイムを鳴らしてくれる、街のシンボルでもある大きな時計だ。

「ええと、やっぱりあの?」

「そう、みんな残り香だって言ってる」

『残り香』

 大人たちはそう言っている。

 正確には『魔法の残り香』と呼ばれるものだ。

「あーあ、魔法が使えたらきっと素敵なのに」

 私は独り言を言う。

 昔々、私のお母さんもお父さんも生まれていない時代、この世界には『魔法』と呼ばれるものがあった。魔法は魔法石と呼ばれる特別な石と複雑な模様でもって、色々な役割を果たしてくれていた。街灯の明かりをつけ、馬よりも大きな力でものを動かし、遠くと連絡を取ることができたという。

それがあるときを境にその魔法石が採れなくなって、そしてしばらくして残った魔法石にも徐々に魔法がかからなくなってしまった。どうしてそんなことになってしまったのか大人たちは考えたけれど、結局答えは見つからなくて魔法は世界から姿を消してしまった。

 魔法が使えない。

 それがどんなに大変だったのか、私たちにはもうわからない。

しかし、魔法の効果が完全に消えたわけじゃなかった。

 かつて魔法で動いていたものが思い出したように動きだしたり、誤作動を起こしたりしてしまうことがときどきあって、それを大人たちは『魔法の残り香』と呼んでいる。

 魔法がなくなってしまった今、残り香にはどうしようもできないので、それで起こったことはみんな諦めてしまっている。特にこの街ではその残り香と思われる出来事がたびたび起こっていた。街の外のことはあまり知らないけど、この街はとりわけ多いということを大人達から聞いた。

 街の中心部の教会まで辿りついて時計を見上げる。街の大半の建物と同様にレンガで造られた教会は、至るところに模様が刻みこまれている。魔法がまだ使えた頃は、時計自体も魔法で動いていたらしい。

 横に立っていたユーリは時計に向かって手を振る。時計のそばの窓から黒い影が手を振り返した。

「また放課後手伝いに行かなくちゃ」

「師匠?」

「そう」

 ユーリが師匠と呼ぶ人が時計を直しているのだ。

 魔法が急速にすたれてしまい大人たちは戸惑ったものの、そのままでいても生活がままならないので、彼らは魔法が登場するよりも前にあった技術を復元して生活を立て直そうとした。

 魔法に全く頼らない世界へ。

 そのために、人々がようやく行動を開始し、定着し始めだした。その先陣を切っているのが機械技師だ。

「機械技師かあ」

「ニーナは家を継ぐんだろ?」

「うん、そのつもりだけど」

 ユーリの問いかけに曖昧に首を縦に振る。

 私の家は主にケーキを作るスイーツショップだ。この街が出来てから、代々同じ場所でお店を出している。だから一人娘の私が店を継ぐのは当たり前だと思っているし、私も放課後は手伝いをしている。

 私とユーリはもう十二歳だ。

 次の冬が来てこの一年が終われば、私たちは学校を卒業してそれぞれの進むべき道を選ばなければいけない。街から離れて都会にある大きな学校に進んでもいいし、誰かのところへ弟子入りをしてもいい。私やユーリや他のクラスメイトも、この一年は自分の人生を決めるとても貴重な一年になるのだ。

「ねえ、ユーリは『外』に行きたい?」

「いいや、どうだろ。師匠もいるし、でも本格的に勉強するなら外に行かないといけないし」

『外』は、街のみんなが使っている言葉で都会のことを指す。小さいながらも街は不自由なく完結しているので、生活するだけなら外へ行く必要があまりないし、都会へ行くには馬車を使っても数日かかってしまうのだ。

 私たちにとっても外は特別な意味を持つ。それはいろんなものがある魅力的な都会だからということではない。外へ行ってしまった年上の先輩たちはほとんどが外で働くようになってしまって、もう街に戻る人は少ない。だから、『外へ行く』とは『街へは戻らない』を意味することでもある。

 それは仕方のないことだとも私は思う。

 この街は街の南東にある鉱山で魔法石を採り、それを加工するために造られたと言われている街だからだ。魔法石が採れなくなって、魔法にも価値がなくなってしまった今、ここでずっと生活をしていた人はともかく、新しく発展することはもちろんなく、ゆっくりと衰退していくだろう街に残りたくないのも仕方ないと思う。

 私たちは街の中央から右へ曲がり、学校へと向かう。学校は、街の南西にある三階建の建物だ。教室二つで同じ歳の子どもたちが入りきってしまう。都会に比べたらとても小さな学校だろう。

 街の隅にあるので、校舎裏の校庭の向こうには高い壁がある。学校より壁は背が高い。街ができたときからこの高さでぐるっと一周していると授業で習った。何のため、どうしてこんな高さにしたかは、もうわからないらしい。大人は外の砂嵐から街を守るためだと考えている人が多い。

 レンガ造りの校舎を入って、教室に入る。

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