金のかかる女

あべせい

金のかかる女

 


 タクシーに乗り込んだ男性、運転手に、

「オイ、西赤塚までやってくれ」

 運転手、振り返って、

「西赤塚は何丁目ですか?」

「近くまで行ったら、言う、イう、う、ウゥゥゥ……」

 男性、酒臭い息を吐きながら、目を閉じた。

 しばらくして、前方に「高速入口」の標識が見える。

「お客さん、高速、使っていいですか?」

 返事はない。

 運転者、バックミラーで客を覗き、

「いいンですね。乗りますよ。あとから、ダメだ、はナシですよ……」

 タクシー、高速の料金所を通過して、走る。

 お客、突然、ガバッと目を覚ます。

「オイ、ここはどこだ!」

「首都高速5号線です……」

「なんでこんなところを走っている!」

「お客さんの、ご返事がありませんでしたから」

「だれが料金を払った!」

「私が立て替えました」

「オイ、おれが立て替えろと言ったか?」

 運転手、困ったようすで、

「……ご返事はありませんでした……」

「そうだろう。当然だ。おれは、高速は嫌いだ。言うわけがない」

 運転手、力なく、

「降りますか」

「おれが頼んで高速を走らせているンじゃない。あんたは……(フロントに立ててある乗務証を見て)山名士朗……。あんたの自前だ。そうだな」

「私の判断ミスです。請求はいたしません」

「殊勝な心がけだ。気に入った。あんたの払いなら、このまま行けるところまで行けばいい」

「高速はお嫌いなンでしょう?」

「お嫌いだが、このほうが、信号がなくて、速い。行けるところまで、行けェー!」

「お客さん、行けるところ、って、西赤塚じゃないンですか?」

「そ、そうだ。西赤塚だ。西赤塚だが、いまは……(腕時計を見て)午後9時10分前か。きょうは時間があるから、キミのいいように走ってくれていい。任せるゥー」

「お客さん、メーターが上がるのはありがたいですが、きょうはもうあがろうかと思っていたところに、ご指名いただいたものですから。できるだけ早く西赤塚に行きたいと思っています」

「なら、仕方ない。個人タクシーだから、仕事終わりも個人の自由ってことか」

「すいません。勝手、言って……」

 山名、ミラーに向かってペコリと頭を下げる。

「キミ、なかなか態度がいい。模範運転手だな」

 山名、謙遜して、

「そんなことはありません」

「この前、乗ったタクシーの運転手はひどかった」

「はァ……、お客さん、西赤塚のどのあたりでしょうか。高速を降りる都合がありますので……」

「(外を見て)あァ、次で降りて……」

 タクシーは首都高から一般道へ。

「お客さん、西赤塚のどのあたりでしょうか?」

「そこ、そこに自動販売機が向かい合わせに2列に並んでいる……」

 タクシー、止まる。

「その間を入った奥が玄関だ。ちょっと、待っていてくれ。細かい持ち合わせがないから、家内から財布を借りてくる」

 客、降りようとする。

「お客さん!」

「なッ?」

 客、あげかけた腰をおろす。

「お客さん、ご冗談は困ります。その自動販売機の間を入っても、家はありません。通りぬけて、奥の細い道に出るだけです」

「よく知っているンだな」

「運転手仲間で有名なンです。よく、ここでカゴ抜けをやられるものですから」

 お客、苦笑いして、

「キミを試したンだ。ここじゃない。その坂道をあがってくれ。すぐだ」

 タクシーが急坂を登ると、墓地の入口。

 山名、辺りを見渡しながら、

「どちらですか?」

「もうちょっとやってくれ。そうだな。人があまりいないところがいい……」

「エッ」

 急ブレーキを踏む。タクシー、大きく揺れて停止。

「オイ、危ないじゃないか。模範運転手といったのは、取り消しだ!」

 山名、怒りがこみあげる。

「お客さん、人気のないところ、って、ここでもけっこう人通りが少ないです。いったい、どこなンですか!」

「人に聞かれたら困る話なンだよ」

 山名、決然と、

「交番に行きます」

「ウソだろう。キミが交番に行けるはずがない」

 山名、怪訝に、

「どうしてですか。次の角を曲がって、少し行けば、西赤塚の交番です」

 お客、冷静に、

「わからないかな。キミは交番に行けない、って言っているンだよ」

 山名、ミラーを見て、客の顔をじっと覗く。

「あなた、いったいどなたですか?」

「まだ、わからないのか。指名されたとき、気がつきそうなもンだが……」

「『池袋から西赤塚まで、山名さんご指名』って、午後8時過ぎに携帯に電話が入りましたから、受けたンです。西赤塚なら家に近いし、そのときは池袋でメシを食っていたから。池袋から反対方向なら、お断りしていました」

「あんたは、池袋の定食屋でよくメシを食っているな」

「なんで知っているンですか」

「ほかにもいろいろ知っているよ。ここから近い光が丘に大切な女がいて、その女のために、夜昼かまわず働いている」

 山名、顔色が変わる。

「お客さん、降りてください。いや、降りろ!」

「客を降ろす? こんなところで? それでもいいけど、おれはこのまま交番に行って、『山名タクシーは事業者乗務証が山名士朗になっているが、別人が運転している。これは違法じゃないのか』って、言うよ」

 山名、慌てる。

「ま、待ってくれ!」

 山名、運転席から降りると、後部座席のドアの前で深々と頭を下げる。

「お客さん、これには深いわけがあります」

「こんな大それたことをやるンだ。事情はいろいろあるだろう。とにかく、こんなところじゃ、話はできない。あんたの家に行こうじゃないか。西赤塚の近くと言ったな」

「わかりました」

 山名は観念したように運転席に戻り、車を走らせる。


「この喫茶店があんたの家か?」

「私の家です。カウンター席が5席、2人掛けのテーブル席が2つきりの小さな店ですが。もっとも、いまは開店休業中です」

 山名、サイフォンをセットしてコーヒーをたてる。

「寝起きは?」

「2階でしています」

「だいたいは合っている」

「どういうことですか」

「言ってやろう。この流行らない店はあんたの所有かも知れないが、いまは入院しているあんたの弟の士朗が、個人タクシーをあんたに貸す代わりに、あんたから取り上げている。実際には士朗の奥さん、摩子さんが、朝のパートから帰ってきてから、午前11時から夕方まで営業している。そうだったな」

 山名、驚愕。

「あなた、弟の士朗に頼まれたンですか!」

「鈍い男だな。だから、女房に逃げられるンだ。いや、逃げられたのは、浮気のせいか。山名賛吉」

 賛吉、ハッとして、

「あなた、女房のお兄さん。結婚式に一度会ったきりの……」

「もう13年も昔になる」

「その後、行方知れずになったと女房が言っていた伊象(いぞう)さん……」

「ようやく、辿りついたか」

「どうして。私に、何の用ですか」

「まだわからないのか。おれは1週間前、タイから帰ってきたばかりだ。そうして、妹に会ったら、あんたのことをいろいろ聞かされた」

「娘マミの親権ですか」

「それもある。あんた、光が丘に女がいるのに、妹に復縁を迫っているだろう」

「迫ってはいません。お願いしているだけです」

「同じだ。一度いやになった男とは、二度と一緒になろうとは思わない。これは、女の生理だ。光が丘で、我慢しろ」

「でも、光が丘は金がかかるンです。一生懸命、1日16時間、働いていても、追ッつかない……」

「当たり前だ。浮気相手のほかに、妹と娘の生活費を稼ぐンだからな。しかし、弟の個人タクシーを使って稼ぐのは犯罪だろッ」

「弟は3年も入院していて、運転できないンです。おれと顔も声もよく似ているし、名前だって、下が違うだけ……」

「それだけか、ドロボウの理屈は?」

 賛吉、何も言えない。

「あんたのそういう性格が嫌いなンだ、妹は」

 賛吉、ぼそぼそと、

「性格じゃない。生き方だ……」

「ゴミの収集場所に行っては、使えそうな家電があると、無断で持って帰り、修理して使う」

「勿体ないじゃないですか」

「この店にきた会社員のお客からは、土日使わない定期券を借りて、平気で使っている」

「お返しは、していますよ。1人にコーヒー1杯だけど……」

「あんたは何もわかっちゃいない。この店だって、あんたが役所勤めがいやになって、ローンを組んでようやくできた。しかし、店は妹に任せきり、あんたは金にもならない家紋や表札を作っていた。もっとも、店は妹のおかげで繁盛したが、妹が娘を連れて実家に帰り、あんたが仕方なく店を切り盛りするようになってからは、客足は途絶えた。妹はあれでも、高校時代はミスキャンパスに選ばれた美人だったから、妹の美貌目当てに来ていたサラリーマンが多かった、だろう?」

「あいつは、客あしらいがうまいンです。見かけによらず」

「あんたがヘタ過ぎるンだ。その証拠に、士朗の奥さんの摩子さんが店に立ってから、客足が戻ってきたというじゃないか。彼女は朝のパートをやめて、この店に専念したいと言っている」

「ホントですか」

 賛吉、考え込む。

「この店なら、小さいが、うまくやれば、月50万は堅い」

「何を考えているンですか」

「あんた。このままじゃ、捕まるよ。マミの親権は勿論とれない。あんただけならいい、士朗も名義貸しした同じ穴のムジナとして、捕まる。すると、どうなる? 摩子さんは犯罪者の妻になる。そんなことをしちゃいけない」

 伊象、顔が険しい。

 賛吉、頭の隅で何かが弾ける。

「伊象さん、あなた、どうしてタイからお帰りになったンですか?」

「大きなお世話だろうが」

「士朗が危ないと聞いたからじゃないですか」

 伊象、内心ギクッとなるが、

「おれだって、山名家と無縁ではないから、お見舞いくらいしなけりゃと前々から思っていた」

「それだけですか?」

「なンだ。ほかに何があるというンだ」

「摩子さんですよ。おれの結婚式の日のことを思い出したンです。あの日、士朗が、控え室にいたおれに、『一緒に来たはずの摩子がいなくなった』って、こっそり言ってきた。で、挙式の時刻にはまだ時間があったので、2人で式場を探したンです。すると、広ォい庭園の木の陰に摩子さんの姿が見えたので、呼びかけた。そうしたら、摩子さんの慌てた姿と同時に、木の陰からすばやく立ち去った男がいました。男の顔は見えなかったけれど、士朗はなんとも言えない哀しい顔をしていました。おれは士朗に『どうした?』聞きました。でも、士朗はなんでもないと言うだけ。しかし、おれがしつこく、『顔は見えなかったが、いま逃げた男に心当たりがあるンじゃないのか?』と問い詰めました。すると、士朗は哀しそうな声で、『あれは摩子のお兄さんだよ』と言いましたが、あとで考えると、摩子さんにお兄さんがいるなンて聞いたことがない」

「あんたは余計なことはよく覚えているンだな」

「あのとき木陰から逃げた男は、摩子さんのお兄さんじゃなくて、私の女房の兄さん、つまりあなただったンじゃないのか。いまはそう考えています」

 伊象、苦々しい顔で、

「妄想は、その程度にしておけ」

 賛吉、勢い込んで、

「あなたは以前から、摩子さんのことを知っていたンでしょう。それが、妹の結婚式で偶然、再会した……」

 伊象、仕方なく語りだす。

「おれは元々、妹の結婚式に出るつもりはなかった。当時、やばいことをやっていたから、外を出歩くのはまずかったンだ。しかし、妹から、士朗の家の家族写真を見せられたことがあって、そこに摩子が写っていた。聞けば、士朗の奥さんだと言う。彼女は、大学時代、おれと同じ証券クラブにいたクラブ仲間だ。おれがキャンパスで見初めて、強引にクラブに入るように勧誘したンだ」

「あなたは、摩子さんが士朗と結婚する前から、彼女と関係があった……」

「おれは卒業して証券会社に就職したが、摩子は銀行に入った。しかし、その銀行がよくなかった。上司のセクハラやパワハラに遭って、摩子はウツになった。おれはその頃、仕事がおもしろくて、彼女の相談にのってやれなかった。彼女は銀行をやめ、大学の女ともだちの母親がやっていた小さなクラブで働くようになった。おれはすでに別に女ができ、彼女との関係は自然消滅していた。そのあとだ。摩子がタクシー運転手だった士朗と知り合い、結婚したのは……」

「弟の士朗は、お客として乗せた摩子さんに一目惚れしたと聞いています。猛アタックして、彼女のハートを射止めたと……」

「摩子は押しに弱いから。仕方ない……」

「伊象さん、女房の話じゃ、あなたは大金を持って国外逃亡したンでしょ」

「他人はそう言うだろう。証券会社の顧客から、儲けの2割をやるから、極秘の情報を流せと言われ、会社の利益より客の利益を優先して仕事をした。ところが、手仕舞い(株式売買の終了)になって、その客は2割なンて約束をした覚えがないと言い出した。そんな約束は、証券マンには許されないことを承知しているンだ、客は。しかし、理はおれのほうにある」

「私が結婚して、まもなく。そうですね」

「あァ」

「それで今頃、帰国したのは、なぜですか? 逃亡する必要がなくなったンですか?」

「Ⅰ億円を持ち逃げしたお客が亡くなったからだ」

「それだけですか?」

「だから、さっきも言っただろう。士朗の容体がよくないと聞いたから、お別れを言いたくなったからだ。士朗は義理とはいえ弟だ。粗略にはできない」

「まァいいでしょう。でも、不思議ですね。あなたはタイにいて日本の事情がよくわかりましたね。あなたにだれか知らせてくれる人間がいたと考えるのがふつうです。摩子さんが知らせていた」

「いまはネットで、日本の新聞を読むことが出来る時代だ」

「それはおかしい。株の顧客が著名人なら、その死亡記事くらいは新聞で読むことができるでしょうが、肝炎で入院している士朗の詳しい病状まで、知ることはできない」

 伊象、厳しい表情で、

「本当のことを言ってやろう。士朗だ。タイにいたおれに手紙で知らせてきた」

「どうして?」

「あんたの結婚式の日、士朗は、おれが摩子と再会したことに不審を覚え、摩子を問い詰めたらしい。それでおれのことを知ると、妹を通じておれがタイに逃げたことを知った。士朗は当初、おれが持っていた金に興味があった。おれに金の無心をしてきたから。おれは、合計で2千万円ほど士朗に融通した。士朗が入院した3年前から、毎年5百万づつ送っている」

「私はこれまで不思議に思っていたンです。そんなに蓄えはないはずなのに、摩子さんのパート代だけで、士朗の入院費や生活費が賄えるはずがないですから」

 伊象、疲れたようすで、

「そんな話はいいじゃないか」

「よくはないです。伊象さん、あなた、士朗の亡き後、摩子さんと一緒になりたくて……」

「そんなことは考えちゃいない。いないが……」

「摩子さんは、いまこの上で(天井を指差し)休んでいますよ。呼んで、確かめますか?」

 伊象、感情を昂ぶらせ、

「きさま、士朗はまだ生きているンだぞ!」

「しかし、それが弟の希望だったら。士朗はタイにいたあなたに、もうあとがないから摩子さんをお願いすると知らせてきたンじゃないですか?」

「摩子の気持ちはどうなる。彼女はあれでプライドが高いンだ」

 そのとき、階段のきしむ音が。

「伊象さん。お帰りなさい」

 摩子がネグリジェ姿で階段を降りてくる。

 伊象、その妖しい容姿に目を奪われる。

 摩子、伊象を見据え、

「伊象さん、いま病院から電話があったの」

 伊象、摩子の心の変化に気づく。

「士朗が亡くなった」

 賛吉、肩から重荷が降りたような表情で、

「摩子さん……」

 伊象、優しく摩子に、

「摩子、おまえ、おれと一緒になるか?」

 摩子、首を横に振り、

「いいえ……」

 伊象、いぶかり、

「どうしてだ!」

「賛吉さんが言った、光が丘の女というのは私のこと。伊象さん、あなたにはもうお金がないでしょ。だから、帰ってきた。違っている?」

                 (了)

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金のかかる女 あべせい @abesei

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