第7話 話を聞いてくれた人
私は、この言葉にわっと泣き出した。
なんで泣き出したのか分からない。
でも、私はリオンの前でずっとずっと泣いていた。
後から考えたら、リオンはさぞ困っただろう。
先輩の娼夫?たちが、めんどくさそうと評したのは、さすがだった。
私はめんどくさい、お金にならない女だったのだ。
リオンは、一生懸命背中を撫でてくれて、話を聞いてくれた。
ずっと黙っていたのだけど、私は悲しかった。
両親は私にとって、この結婚が最善なのだと言い続けていたし、いい子でいるよう強要し続けていて、私自身も納得したつもりだった。
どんな目に遭っても、自分さえ我慢していれば、言葉にさえ出さなかったら、私の悲しみなんか全部なかったことになる。
これまで、私の話を聞いてくれる人は、誰もいなかった。
「ご、ごめんなさい、リオン」
私は言った。私のつまらない話、何の価値もない話は時間の無駄。
怒涛のように話しまくったにしても、私は自分の名前も言わなかったし、特定されるような場所の名前も言わなかった。
娼館の男には何も言えない。
だから、彼は話を聞いても、返事のしようがなかった。
リオンは、黙って背中を撫でてくれただけだった。
それで十分だった。
「だから、申し訳ないけれど、私はここに七日七晩、入り浸りになってないといけないの」
「長いな」
「娼館の男にゾッコンになって、離婚されるの」
リオンは黙った。
怒ってくれているらしい。
「あんた、いくつだ?」
「……言えないわ」
「そうだな。でも、とてもまだ若いな。俺とやる?」
私は体が震えてきた。
「い、いえ!」
断れば怒られる。だけど、嫌だ。
ちょっと彼は半目になった。
「俺、そんなに魅力ない?」
「そ、そう言う意味では……」
そう言われても、私には男性の魅力がわからないので、褒めようもなくて、とても困った。
「とてもきれいな顔をしていると思います」
「うん。これで客の機嫌を取れればナンバーワンも夢じゃないって言われたんだけど」
そう言われれば、普通の娼館の男はきっともっとお世辞たらたらなんだろうな。
「ねえ、それなら、チェスでもする?」
「え?」
「ここに引き留めればお金になる。カードでも、チェスでも、とにかくここで時間を潰させれば、それはそれで金になる。ゲーム物は悪くない。時間がかかるし、良い勝負で、僅差で負けて気分良くさせることもできるから。それが仕事の男もいる」
私はあわてて断った。
このリオンはいい。
根はきっと優しい人だ。
少なくとも、そう見える。
でも、別な男性は怖い。カード担当の男がどんな人だかわからないもの。
「おとなしくここにいますから、どうぞお仕事のために、ここから出て行ってくださって結構です」
私は下から二番目の安い値段の男を当てがうように言われていたらしい。
つまり、それだけしか払いませんと制限付きだった。
だから、私のために時間をかけると、もっと高い他の女の気に入られるチャンスを逃すことになる。
「こんなに愛想が悪かったら、気に入られないんだよ。だけど、俺もチェスなら出来るから」
なぜ、こんなところでチェスなんかやっているのだろう。
娘が不義の疑いで離縁されたら、両親は怒るだろう。
怒りの矛先は、私に向かうと思うけど、今回ばかりは、私を叱ってもどうにもならない。なぜなら、全部、夫の企みだからだ。
夫の目的は、愛人との結婚。
わざわざ見た目は派手でも、おとなしい、両親に言いなりの私を娶り、家に閉じ込め、さらに夫本人が恥を忍んで自分の妻は娼館通いしていると噂を広げる。
本来そんなことになったら、恥なはずの夫が言うのだから、誰もが信じるだろう。
自分は悪くない。悪いのは、そんな場所に行く女だ。
これでリチャードは被害者になって妻を離縁する。世間は夫に同情的だ。
再婚だし、事情が事情なので、再婚相手が少々格下でも、世間から非難されずに正式に結婚することができる。
私はそのために選ばれた被害者だったのだ。
「チェックメイト!」
リオンが言って、私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 途中までは良い手だったじゃない。何考えてたの?」
私は狭い娼館の部屋で、リオンに向かって宣言した。
「私、帰る」
「えっ? 帰るってどこへ?」
「実家よ」
「でも、実家は……君の話によると、君の味方なんかしてくれないだろう」
「でも、ダメ。今回ばかりは、両親の名誉も一緒に悪くなるわ! そこのところをわかってもらわないと!」
「君を切り捨てて、それで終わりかもしれないよ?」
「まだ、結婚してそう経っていないわ! 育て方を間違えたと非難されると脅すのよ」
リオンは首を傾げた。
「君の両親のタイプは俺でもわかる。バカバカしい名誉だとか、そんな自分の理想を子どもに押し付けて干渉するタイプだよね。自分の理想通りでない限り、子どもは幸せではないと思ってる。子どもを愛しているだけにタチが悪い。反論を聞いてくれない」
「そうかもしれないけど、私の両親には愛はないわ。私が死んでも、理想通りでなかったのだから、仕方ないと言って、特に悲しまないと思う」
「わかるよ、マダム」
マダムという言葉には、すごく違和感があった。
私はマダムに、まだ、慣れていない。
「俺も似たような境遇だからね。親はもう死んだけど」
私はリオンをよく見た。
リオンがちょっと赤くなった。
彼は、私と何の違和感もなく話していた。
娼館で働くような人間は、いろいろな階層から来ていると聞いたことがある。でも、大抵は、ろくなもんじゃないと。
しかし、リオンはチェスをやり込んでいたし、かなりの腕前だった。
話ぶりから、本もよく読んでいたし、教養があることがわかる。
没落貴族の子弟が、何かの間違いでこんな所で働いているのかしら。
私はぼんやり考えた。
「それにしても、君の旦那様は、本当に離縁を考えているのかな? 相手の身分にもよると思うよ? 初夜の時には、お飾りの妻でいろと言ったんだよね?」
私はうなずいた。
「だけど、今度は娼館通いをしているとは何事だと言ってきた」
「ルシンダから教えられたって」
「そのルシンダって、誰なんだ。君の旦那様に嘘を教えてるんじゃないか?」
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