夢のカケラ

ももも

第1話

「これ、異世界転生したって言うのかな」

 トラックにひかれて死んだはずの親友は、友引の日に夢に出てくるなりそう言った。



 俺たちは週刊少年ダッシュでつながった仲だった。

 そこそこの家庭に生まれた俺は、親にそこそこの大学に入ることを望まれていたけれど、世間の思うそこそこな大学に入学するには、俺にとってそこそこどころではない努力が必要で、俺の成績に愕然とした親に中学生になったとたん塾へ通わされることになった。

 いきたくないと反抗したが、他に具体的にやりたいことがなかった。「何もないのならとりあえず勉強しなさい」と説き伏せられイヤイヤ、当日を迎えた。

 にこやかな顔をした塾講師に「ここで待っていてね」と案内された教室に入ると、机がニ列五行に並んでおり、同じような年齢の子がまばらに座っていた。新参者にチラリと視線をよこす者もいたが、すぐ目をそらした。

 目立たぬよう教室の隅に行こうとして目に入ったのは、一番左後ろの机に座っていた男の子だった。

 メガネをかけていて、卒アルで最もノーベル賞をとれる人物と書かれそうな真面目な顔をしているのに、手にしているのは見覚えのある、あの分厚くてページの色がカラフルな週刊マンガ雑誌――週刊少年ダッシュだった。

 いや塾って勉強する場所じゃないの? なんでマンガ読んでいるのさ?

 俺のそんな視線に気づかないまま、彼は参考書のように熱心にダッシュを読んでいた。

 それが君だった。



「何が好きなの?」

 後ろから二番目の机に座り、読み終わったタイミングで声をかけると、その子は黒縁メガネを手のひらでクイッとあげた。

「ゾンビアーツ」

「あー今日、最終回だったやつ」

「アンケートをずっと送っていたぐらい大好きだったんだよね。人生の楽しみがひとつ減ってしまった」

「アンケート? えらくね?」

 週刊少年ダッシュはアンケート至上主義だ。

 本誌についているアンケートハガキに連載マンガ二十作品の中で面白かったタイトルを三つ書く項目があり、投票結果にもとづいて本誌の掲載順が決まる。人気があれば上位に掲載され、本誌の表紙を飾ったり、華やかなカラーページをもらえたりするけれど、逆にアンケートの結果が悪いままだと掲載順はどんどん下がっていき、最後には連載が打ち切りになって強制的に物語を終えなくてはならないこともある。アンケートは作者にとって生命線だ。けれど、ハガキに切手を貼って応募する手間をかける人は少なく、実際に送っている人は初めてみた。

「だって僕の好きという言葉が誰かに届くことで喜んでもらえたら嬉しいし、もっと好きだと言われるようがんばろうと思ってくれたらなおいいし、そうやってお互い好循環で回って僕の好きなものが世の中に増えていったら最高じゃないか。好きって言葉は言ったもの勝ちなんだ」

 君の顔は輝いていて本心からの言葉だと分かった。羨ましいと思った。恥ずかしいとかバカにされたらイヤだという気持ちが邪魔してしまい、今の俺はそんな風に素直な言葉が言えない。

「そういう君は何が好きなの?」

「俺?」

 話のきっかけを作ろうとして聞いたが、聞かれた場合のことは考えていなかった。子供っぽいとか、そんな感想しか言えないのかと思われたりしないだろうか。不安な気持ちになったけれど、ニコニコ顔で待っている君を見たら自然と言葉がでてきた。

「ヤマモトデイズ、かな。ストーリーも好きなんだけれど、それ以上にさ、平面なのに、こんなに奥行きのある背景描写ができるんだって毎回ド肝抜かれるところ、めっちゃ好き」

「分かる。あの観覧車のシーンとか、電車の戦闘シーンの見開きで、うおおって思わず叫んじゃった」

「あそこ、本当に最高だよな! 第一話の時はよくある話かなって読んでいたけれど、あの場面でうわああ、心からすみませんって思った!」

 それから塾講師が教室に来るまでの間、君と二人でダッシュの話でひたすら盛り上がった。俺にとって感想を言葉にして誰かに伝えるのは初めての体験で、一人では拾えなかった面白さを教えてもらったり、話しているうちに新たな発見を見つける楽しさがあった。感想戦という言葉があるのを後から知った。



 それから塾で君とダッシュ感想戦をするのが定例化した。

 毎週月曜日の発売当日はひたすらお互いの好きなシーンや展開を語り合って、ネットで見つけた感想で考察を深めて、金曜になっても出涸らしを擦り続けて再び月曜日を迎える一週間は、クラスメートと過ごすよりもずっと濃くて大切な時間だった。

 放課後カラオケに誘われ塾があるからと断った時に「真面目すぎてウケる」なんてからかわれても別によかった。君に会えることの方が何より大事だった。

「真斗がこの塾に来てくれて嬉しい。ダッシュの話でこんなに盛り上がれるの、真斗が初めてだ」

「俺も。もし一人だったら死んだ顔して塾に通っていたと思う」

 塾の帰り道、君と歩きながら話すのはやっぱりダッシュのことだった。俺の世界はダッシュと君でまわっていた。



 今日も君は一番左後ろの机でダッシュを読んでいた。指の位置からしてあと少しで読み終わるだろう。

 俺の定位置となった後ろからニ番目の机に座って、授業の準備をして待とうと通学カバンを開けたら、学校のノートが床に落ちてしまい、開かれたページに青ざめた。

「へー真斗って絵を描くんだ」

 あわてて隠したが、君は目ざとく見ていた。さっきまで読んでいたダッシュを脇によせ、机から乗り出し興味津々な顔をしていた。

「ただの落書きだよ」

「えーそんなレベルじゃないしめちゃめちゃ上手。ちらっと見ただけだし僕なんか棒人間しか描けないけれど、鉛筆だけでそこまで立体感とか濃淡をだせるの、すごいと思う」

 胸の奥が熱くなり、笑みを隠そうと唇をぎゅっと結び、頭をボリボリかく。

 君は自分がどう感じたかにすごく誠実で、お世辞なんて言わないやつだって知っているから、その言葉が心から嬉しかった。

「……描いて欲しいキャラのリクエストがあれば描くけれど」

「本当? じゃあノコギリマン描いて!」

 連載マンガの中でも屈指の人気を誇るキャラで何度も描いたことがあった。さらっと描けば君は大いに目を輝かせた。

「うますぎでしょう。これだけうまいんだから、マンガとか描いたこともあるの?」

「ない」

 口から咄嗟にでたウソだった。実は幼稚園の時から描いていた。白紙のノートに手書きでコマ割したマンガっぽいものを毎日描いて、小学生の頃はクラスメートのみんなに読んでもらっていた。続きが読みたいと隣のクラスの知らない子から言われるほど評判だったが、中学生になったら恥ずかしくなって人に見せることはやめていた。

 なにしろうまいやつはもう頭角が現れている。ネットにマンガをアップして大人顔負けの高評価を受けている子なんてザラにいる。

 どうしてそんなに柔らかい線が描けるんだろう。

 どうして一目見ただけで人の心をつかむ表情を描けるのだろう。

 どうやったら読んでよかったと思える物語をかけるのだろう。

 頭の中がどういう構造をしていたら、こんな緻密な背景が描けるんだろう。

 差はどこでついたのだろう。

 小学生の時にうっすら見えていた差はどんどん開いていき、中学生になったらもう埋められないほどになっていた。努力しても足掻いてもダメだと分かってしまう。

 己にしかない絶対に譲れないものがあればよかったけれど、そんなもの俺にはない。周囲を見るたびに何もない自分を突きつけられてしまい、好きだからという理由で描き続けられるほど俺の心は強くなかった。今では暇な授業の時にページの隅に絵を描く程度であった。

「真斗のマンガ、読んでみたいな。僕、絶対好きだと思う」

 だというのに君にそう言われたら満更でもなくて、ちょろいから久々に描くかという気になっていた。

 それから君に見せるつもりでこっそりマンガを描き始めた。45ページの読み切りの予定で下書きとなるネームは二週間ほどでできた。

 でもペン入れの段階になると思うような絵が描けない。

 こんな毎日がいつまでも続くと思っていたから、自分が納得できないものじゃないとダメだと描いてはボツを繰り返し、ようやく満足のいくレベルのものが描けて、いざ君に見せようとしたその日。

 君が交通事故で亡くなったと母親から聞いた時は、ただただ呆然とした。

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