第30話 わがままと情熱。
誉を見送り、零奈はマンションに向かって茜と夜道を歩く。
「それで。逆立ち炎上の方は通常運転なのでいいとして。天音とキスは、あり得ないので。事情を説明してくれます?」
冷静になれば、裏に嫉妬している場合じゃない事情があることは、零奈にもわかる。
「えっとね。天音に会って、喧嘩売られた」
「なぜそうなるんです」
「それは天音が無茶苦茶だから……」
「ファンには優しいはずでは!?」
「もうファンじゃないって言っちゃったから〜!」
まあ成功したアイドルなんて大体どこかおかしい。これは母を参照した零奈の持論である。だから、気まぐれに新人に喧嘩をふっかけてくることも、あり得なくはないのか……。
だが。天音から持ちかけられた勝負の内容を聞いて、零奈は青ざめた。
エストワの代表曲『君と金星エスケープ』を、同時にカバーして、その曲が新生エストワのものとなるか天音のものとなるか、世論を巡る勝負。
「いや、勝てるわけないじゃないですか! 天音って作曲者ですし、パート的にも天音のソロ曲みたいなものじゃないですかっ!」
「あはは。でも負けるわけにはいかないじゃん?」
茜は、態度はいつも通りふにゃふにゃと気弱そうなのに、しっかりとした語調で言う。
「だからさ、零奈。力を貸して」
気負いなくさらりと、迷いも含みも何もなく、零奈を真っ直ぐに見つめて。
「この勝負には、零奈が
「わたしが必要……」
そう言われたのは、初めてだった。
いや、正確には初めてではなかったかもしれない。大人は、お世辞ならばいくらでも零奈に言っただろう。でも覚えてない。
ファンは心から言ってくれただろう。だけど受け取ったのはアイドルとしての自分だ。
だから、零奈自身としてちゃんと受け取れたのは、初めてだ。
その言葉がたとえ、考えなしだったとしてもいいと思った。
茜が、都合の良いお世辞を吐けるほど器用じゃないことを、零奈はもう知っていたから。
──昔のグループでは、零奈はずっとあまりものだった。
十歳でオーディションに受かるためのかわいさだけは持ち合わせていたけど。
歌もダンスもトークも下手で、才能が何もなかった。
でも、見た目だけは目立つからステージでは浮いて。少しの下手さが、少しじゃなく際立ってしまう。
アイドルなりたての零奈は、ずっと自分が、いない方がいい異物だと思っていた。
ファンは零奈の未熟を許してくれたけれど。努力を、認めてくれたけれど。
成果の出ないがんばりに、なんの意味があるのだろう?
だから努力した。何年もかけて、下手ではなくなった。
だけどそこで、零奈の情熱は枯れた。
(わたしは、もう自分のためにはがんばれない)
悪あがきは追い詰められているからできる。だけど。
歌を、踊りを、メンバーに貢献することを、ファンに愛を還元することを、そういう真っ当な『アイドル』を、もう慣れや小手先や義務感でしかできない。
(でも、あなたのためなら、もう少しがんばってみたっていい)
何も知らないくせに欲しい言葉をくれる、純粋で人たらしで真っ直ぐな茜のためなら。
「仕方ありませんね」
零奈は茜に、ふてぶてしく笑って答えた。
マンションのエントランスを通過して、エレベーターへ。
「それでせんぱい。わたしが必要というなら、流石に何か考えはあるんでしょうね? 考えなしでも驚きませんけど」
「わたし、普段何も考えてないと思われてる……!? そうだけど! あるよ、考えは一応」
「そのために逆立ちしたんだもん」と、茜は言ったけど。
零奈にはちょっと何言ってるのかわからなかった。
「だから今から、社長にわがままを言いに行く」
茜は「天音の件あったから、社長に少し話そうって言われてるんだよね。時間も時間だから、リモートでいいって言われてるけど」と補足。
そうでなかったら、今、零奈の部屋を目指してエレベーターには乗ってないな、納得する。
零奈の部屋で、配信前に少し打ち合わせをする気なのだろう。それはいいけど。
「わがままって、大丈夫ですか? 新人が社長相手にそんなこと」
黒江の娘という交渉材料がある零奈はまだしも、大人が茜の話をまともに聞いてくれるだろうか。
「えー?」
零奈の疑惑をわかってないように、茜は笑った。
「だって社長、あの天音のプロデュースしてたんだよ? 大丈夫だよ。きっと、アイドルのわがままには慣れてるよ」
自分のわがままを聞いてくれることを、少しも疑ってない調子だった。
零奈はふと、思う。
ああ、茜は零奈の知ってるトップアイドルたちと同じだし、双子の妹の誉とも、同じなのだ。
気弱で、純粋で、素直で、なのに頭がおかしいくらいに負けず嫌いで。
無自覚に超・自分勝手。
周りを振り回すことを少しも悪いと思っていない人種なのだ。
ふてぶてしそうに振る舞っているだけの自分とは、器が違うな、と思って。
零奈は口元を緩める。
「せんぱい、サイテーですね」
「え、なにが!?」
「性格が」
「そんなことないでしょ!?」
エレベーターが到着音を鳴らす。
おろおろとしている茜を横目に、にま、と微笑みながら零奈は先に扉から出る。
「でも嫌いじゃないです」
零奈は、アイドルが好きだ。恋愛的な意味で。
どうしてそうなのかは、ずっとわからなかった。
だけど、多分きっと、こういうことだったのだ。
──アイドルという、世界一かわいくて、美しくて、傍若無人な人種が好きだって意味。
慌てて追いかけてくる茜を、微笑ましく振り返りながら、思う。
この茜が、裏にとびきりの傲慢を無自覚に秘めていることに、一体何人が気付いているだろう?
自分だけであればいいな、と思った。誉は似ているが故に気付けていないかもしれない、零奈が一人目の可能性は充分にあるな、と思った。
悪くない。
(ああわたしって、女の趣味、サイアクかも!)
◇◇
夜の事務所で。
マネージャー雪は、甘利社長に話を聞いていた。
「アイドルの才能、ですか?」
「うん。そういう話を、久遠が宵待にしていたらしくてね。雪も聞いたことあるでしょ」
甘利は黒いゴシックロリータで真っ黒なコーヒーを啜る。
「裏表がアイドルの才能とかどうって話でしたっけ? 私にはよくわかりませんでした」
「何が才能かは、人によって考えが違うからね」
「社長はどうお考えで?」
コーヒーカップを手に持ったまま、座った椅子をくるりと回す。
窓からは眠らない街の夜景が、雑多に光を放っていた。
「私は、アイドルの才能は〝情熱〟だと思う。……歴が長いとどうしても、情熱が枯れることもあるから。才能が枯れたように見えることも、あるのだろうね。白夜みたいに」
「……私には、零奈さんは才能溢れてるように見えますけど」
「ふふ。雪はいいマネージャーだね」
甘利は考える。
白夜零奈は、自己評価が低い。
あの恵まれた見た目があってさえアイドルとして凡庸だと言われ続ければ、そうもなろう。
でも、彼女が
動画配信は誰もがやれば必ず伸びるというものではない。
初動に不運か幸運かのバズがあったとはいえ、きちんと数字を伸ばすには戦略と地道な継続が必要だ。
それは、ライブなどのリアルイベントは得意だがインターネットには強くない甘利プロの力ではなく、ほとんど零奈の独力だ。
零奈には情熱という才能が枯れてさえ、くすぶり続ける執念があった。
(……本当に、なかったのは運だけ)
いや、母親への反抗心で大手を蹴って地下アイドルから成り上がる茨の道を選んできた以上、必然の不運か。
「情熱は新人の特権だからね。歴の長い白夜にはもうないかもしれない。だけど、
枯れたなら、焚べてやればいいだけだ。
情熱しかまだ持たない新人を、茜を、隣に置いて。
「雪の言うことは正しい」
そもそも、名を上げるどころか生き残るのも難しいアイドル業界を、アイドル戦国時代と呼ばれ続けて長いこの時代を、無名でも七年生き延びてきた子が、無才なはずがないのだ。
そう言っても、大人を信用できずに育った零奈には響かなかったけれど。
「十代なんて、まだまだ見込みがあるに決まってるじゃないか。まだ進化を残してる。大人がアイドルのがんばりに負けないようにちゃんと売り込めば、きっとトップアイドルになれるよ。
そう言って、甘利はパソコンのリモート会議の画面を点けた。
零奈の部屋を背景に、茜と零奈の姿が映る。
『社長……! あの、わがままを言ってもいいですか』
『せんぱい! まずは挨拶でしょう! お疲れ様です社長あほあほの茜がすみません』
『あ、おおお疲れ様です。違うんです、接続前に挨拶しちゃっただけで、してないわけではなくて……!』
──世に送り出したいトップアイドルの器は、二人。
画面越し。茜の隣で、零奈の瞳がきらきらと輝き始めていることに気が付いて。
甘利は静かに微笑んだ。
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