第7話 キスとバズと負けず嫌い。

 百合配信——つまり、"恋人みたいなことをする"のだと、約束をした。

 忘れてない。

 けど。


 口元に差し出されたチョコレート。

 それを受け取ることは、なんだかとても破廉恥なことな気がした。


 赤と白のチョコレートの色を選んで用意したことに、他意はなかったはずなのに。

 零奈が、「わたしたちの色」だと強調して言ったから。


 今。

 真っ白な、零奈が。白い、一粒を差し出すことに。

 何か意味を感じとってしまったのは――、



 ――――私の、考えすぎ?



 ドルオタ時代の深読み癖が、悪い作用をしていて、恥ずかしい。


 それに、あーんを昼間のように拒否しようにも、ここはカメラの前の衆目。

 逃げ場はなし。

 ……逃げたってきっと、零奈はいいようにフォローしてくれるのだろうけど。


 それは、なんだか。

 負けたような気・・・・・・・がするから嫌だ・・・・・・・


 私は及び腰のまま、零奈の差し出したホワイトチョコレートに近付いて。

 かり、と歯で引っ掛けた。


「だめです。それじゃあ食べられません。もっと奥まで、来てください」


 窘める。零奈の指は、チョコレートを摘まんだまま、離してくれない。

 細い見た目に反して指の力が強いのは、部屋の隅にある大きな箱型アップライトピアノのおかげだろうか。


 覚悟を決める。

 恥を少しでも忘れるために、目を瞑って、勢いをつけて、ぱくついた。


 口の中に入れた瞬間、舌にチョコレートの甘みが伝わる。指の熱でコーティングが溶けたんだろう。

 けどその中に、何か、チョコレートじゃない、少ししょっぱい味が混ざって……。


「ひゃうぁ……!?」


 零奈のか細い悲鳴に目を開ける。

 勢い余って、指を舐めてしまったのだと気付く。

 あああ、私の下手くそ……!


 動揺した零奈は、ぱっと指を離した。

 ココアバターの甘味を私の口に残して、零奈が逃げる。

 その時に、零奈の華奢な身体は机の縁にぶつかった。


「あっ」


 ぐらりと揺れる机の、ガラスの天板。

 撮影用のスマホが、倒れそうになる。


「駄目……!」


 私は思わず、手を伸ばした。

 スマホがこのままの角度で倒れれば、カメラは広い部屋の全貌を映してしまう。


 零奈は言っていた。

『部屋を映したくない』と。

 親に望まれて、自分が望んで選んだわけじゃないこんな部屋に住んでいると知れたら、きっと嫌われるからと。

 正直それは考えすぎの、被害妄想ネガティブだと思う。オタクはそんなに陰湿じゃない。

 だけど。


 嫌われたくない。

 好かれたい。

 それが、アイドルわたしたちにとって切実な願いであることを、知ってるから。


 ――恐怖の理由を取り除くのは、当たり前。


 瞬間にそう考えて身体が動く。

 二人分を画面に映すためにスマホを置いた、距離は遠い。

 届かない手を必死で伸ばした。

 零奈が映したくないものを映さないように。


 そして、ぎりぎりで倒れるスマホを支えられた、とほっとしたのもつかの間。

 勢い付いた身体は止まらなくて。

 ふに、と柔らかい感触にぶつかる。



「……ぇ?」


「っ……」



 声にならない声をお互いに上げてしまったのが、よくなかった。

 湿った熱い何かが、すれ違うように互いの唇を、撫でた。

 その何かが、舌であることを理解したのは。

 甘い、甘ったるい、ホワイトチョコレートが名残る口の中にほんのりと、苺のような香りが混ざったからだ。

 零奈の食べた、赤い、苺のチョコレートの味。



 キスに味がするなんて嘘だと思っていた。

 でも、今。

 私たちは、取り返しのつかない失敗の味を知った。




「……さいてーですね、せんぱい。どう責任を取ってくれるつもりですか?」



 ◇




 配信を止めた後。零奈の挑発に反射的に食ってかかったけれど。

 次第に、現実味が追いついて。

 私は床にへなへなと崩れる。


「なんてことを……」


 軽率に、百合営業に乗ったことを後悔する。

 いや、軽率なつもりはなかった。大真面目だった。だけどやけくそでもあった。

 こんなことになる危険性を、ちっとも考えていなかった。


 青ざめる私とは、対称的に。何故か愉悦の表情でソファ上で足を組む零奈。


「女同士のキスなんてノーカン、って言い訳してもいいんですよ?」

「女同士だろうとキスはキスだよ!?」

「あら真面目」


 だって。

 私のような無名の新人の、唇の価値はゼロだとしても。

 零奈のような美少女の、現役アイドルの、キスの価値はどれくらい?

 責任なんて取れない。


 配信は止めたとはいえ、インターネットの海は全世界に繋がっている。

 アーカイブ動画は下げるにしても、零奈の親御さんになんて思われるだろう?


 ああ、元を言えば百合営業を持ちかけた零奈のせいだと、詰ってしまったけど、

 他責はよくなかった。

 元を辿れば零奈のせいでも、零奈がスマホを倒してしまったのは私が勢い余って舐めたせいで、キスは私が手を伸ばした時に勢い余ったせい――、



「――——私のせいだ!」



 頭を抱えた私に、零奈は平然と言い繕った。


「はぁ、落ち着いてください。責任云々は冗談です。アイドルになる時点で、キスはいずれ仕事で消費する覚悟をしていますから」


「うう、だとしてもだよ。やらかした。完っ全に、配信事故だ。コラボ初回からこの様、なんて。私たち、お先真っ暗じゃない……?」


 零奈は、至極冷静に宣う。


「大丈夫ですって。たかが新人アイドルの事故キス程度でスキャンダルにはなり得ませんよ」


 けれど。

 ――その想定は、すぐに覆されてしまった。


 私のスマホから、通知音バイブレーションが鳴り続けている。

 そのことに、少し落ち着いてから気が付いて。

 画面を開いて、私はまた青ざめた。



「ねえ、零奈。どうしよう。私たち、バズってる……」



 零奈は、私のスマホを覗き込んで眉をひそめた。


「……あら。スクリーンショットを切り抜かれて拡散されてますね。問題のキスシーン」


 皮肉なことに、倒れるスマホは私がしっかり支えたせいで、カメラ映りはばっちり。

 ああっ、白目とか剥いてなくてよかった! と、まだマシなシーンであることを喜んでみるけど。


 どうして??

 この程度で話題になり得ないんじゃ、なかったの?



「ウチはファンの民度が高いから、たいして拡散しないと思ってたんですけど……。難しい時期ですから、視聴者の中に悪趣味な野次馬が紛れ込んでたんでしょうか」



 ――実のところ、エストワはそれなりに知名度のあるグループだ。


 マイナーな地下アイドルから、一気にメジャーな地上アイドルになって、一瞬テレビに映ったこともある。

 だけど、不動のセンターである一番の人気メンバーが一人辞めて。

 その代わり二人も新メンバーを入れると発表した時に、界隈では少し荒れたという。

 だから私たちは、良くも悪くも少し、注目されているのだ。


「それにしても、速度が早すぎます……」


 零奈は訝しみながら自分のスマホを取り出して、検索。

 溜息を吐く。


「……なるほど、震源地はあの人・・・ですか」


 そう言って、差し出した画面には。

 あるSNSのアカウントが映っていた。


 まず目に入るのは名前よりも何よりも、アイコン。

 そこに映る、金髪の美少女。

 小さなアイコン画像ですら、彼女はキラキラと光って見えた。


 永久天音のアカウント・・・・・・・・・・だ。


 エストワの元センター。

 アイドルを卒業した後、大手音楽事務所に電撃移籍し、今はソロアーティストとして活動をしている。

 ついこの間、アイドルならば誰もが憧れる武道館のステージでコンサートを果たした、今最も輝くアーティストで。


 エストワわたしたちが良くも悪くも、注目されている原因を作った人。


 彼女の、最新の投稿は。

 私たちの流出したスクリーンショットを、引用したものだ。


『わたしの後輩たち!』


 文面はただ一言、それだけ。

 それだけで既に、何十万ものフォロワーに見られている。

 私と零奈の写真が。


「……天音の事務所は何やってんだか」


 零奈は溜息を吐いた。

 元メンバーとはいえ、今は別事務所の人間。そこは、私たちの所属する事務所よりルールが厳しくて、勝手な行動は許されてないはずだ。

 ……もっとも、勝手に百合配信して炎上した私たちが言えることではないけど。


「想定外ですが、拡散されてしまったわけです。怪我の功名ですね。埋もれるよりは燃えた方がまだいいでしょう」


 零奈は、くす、と愉快そうに笑みを溢した。



「これでもう、後戻りはできませんね、せんぱい。……いえ、あかね?」



 いや。燃えるよりは埋もれた方がマシでしょ。

 私のアイドル生命、終わった……。


 と、思ったけど。

 その絶望は長続きしなかった。

 別の感情が沸いてきて、すごく冷静になる。

 頭も頬も唇まで、冷えていく。




「……なんか、悔しいね」



「え?」



 このアカウントの持ち主、永久天音は推しだ。

 今でも好きだ。憧れだ。

 だけど、推しに言及されて嬉しいとかはちっとも思わない。

 それとこれとは話が別。


 ……別に、怒ってるわけでもないよ。

 私たちのミスが広まったのは、私たちのせい。

 そして拡散されてしまったことそのものに怒るのは、人前に出る仕事をしようとした時点で、筋違いだと思うから。


 ただ、悔しいのは。


「……私たちの配信、100人も見てなかった。なのに」


 天音の投稿のインプレッションはもう、100万を越えている。


「単純計算でも、100万人が見たんだよね。これだけを」


 たった一言で

 ほんの一瞬で。


 私たちの、キスだけを。



「なんだか、悔しくない?」



 私たちは、駆け出しでも無名でもアイドルだ。

 歌と踊りとステージで魅せるのが仕事で、配信も、今の時代は仕事のうち。

 そして何よりも、たくさんの人に見られるのが仕事だと心得ている、つもり。

 だけど。


「こんなの、ただの事故だよ。私たちはアイドルとして、まだ何も魅せてない。たくさんの人に見られても、こんな見られ方じゃ、全然、嬉しくならない」


 通知は鳴り続けている。

 画面の中で無機質に増え続ける数字を、見つめる。



「私は、自分の力で、100万人に見られたかった」



 零奈は目を丸くした。薄笑いを消して溢す。


「……茜って、その性格で頭おかしいくらい負けず嫌いですね」


 別にこれは、勝ち負けの話ではないと思うけど……。

 アイドルになるまで、オーディションにたくさん落ちたから。

 負けるのは、確かに嫌いになったかもしれない。



 零奈は、ふっと微笑む。

 いつもの、挑発的な笑みで言う。


「わたしだって、このまま、一瞬だけの騒ぎで終わらすつもりはありませんよ。利用できるものはなんだって利用しましょう。大先輩の知名度も、事故も、ファンもアンチも私たちに興味のないその他大勢も」


 私は頷く。


「そうだね。作戦を練ろう。これからの。今度こそ本当に私たちのこと、見てもらうために」


 そして私は、騒動中に入っていた留守番電話に折り返しの連絡をするため、SNSを閉じる。留守番電話は、私たちの事務所からだ。



「まずはマネージャーさんに、一緒に怒られてからね」


 零奈は、この騒ぎが始まって初めて、嫌そうな顔をした。


「うげ~」


 アイドルがそんな声出しちゃいけません。めっ。





 ◆◆





 茜がマネージャーの雪と連絡を取っている間。

「飲み物を取ってきます」と、零奈は立ち上がる。

 捨てられる前の子犬が縋るように、茜は零奈を見上げた。


「……逃げちゃうの?」

「怒られる前に水分補給は必要でしょう?」


 名残惜しい素振りは見せない。

 そのまま室内の、零奈はアイランドキッチンへ。

 キッチンに備え付けられた、浄水器付きの蛇口から二人分のコップに水を灌いだ。


 くぴり、お先にひと口。渇ききった喉に水を流し込む。


(冷たい……)


 いつも飲んでいる水のはずなのに。

 異様に。


 零奈は、磨き抜かれた流し台に映り込んだ自分の頬が、赤いことに気付いて。

 水が冷たく感じるのは、自分の肌が熱いからだと知った。


 キスで口紅リップのとれた唇を、なぞる。


「……お化粧直し、しませんと」


 白粉パウダーをはたいて。

 茜色に染まった自分に、気付かれないように。

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ぼっちな私たちが百合配信をしたら、バズった。〜私たちのライブを100万人が見てる〜 さちはら一紗 @sachihara

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