第56話 4ー13 和平工作の動きと前線基地の整備

 太平洋海域に膠着状態で平穏が生じていることから、東京では一連の動きがあった。

 東功爾宮ひがしくにのみや首相が率先して和平工作に動き出したのだ。


 この背景には、吉崎が闇魔法で首相以下の閣僚を軽く洗脳したことが大きな原因でもある。

 吉崎自身は、この段階での和平は、単なる休戦程度にしかならないだろうという見込みはしているが、無駄に命が奪われるのは吉崎の望むところでは無いので一応の和平交渉を促したのだ。


 もう一つ、和平の手を差し伸べたにもかかわらず、米国がこれを拒否するならば、米国本土攻撃の大義名分が立つというものである。

 特に、その前提として、和平交渉中に米国がまさに推し進めているマンハッタン計画の放棄を匂わせることが大きな狙いでもある。


 対戦中の米国との直接のパイプは無いが、英国大使館等が日本国内にあり、また、英国にも日本大使館があるのでメインは、そちらを使った。

 在外公館への指令暗号は、従来型のものを使ったが、これは敢えて米国に聴取されても良いと考えてのことだった。


 英国の日本大使館には既に、バースト通信装置が配分されており、外務省においても本当の機密事項についてはそちらで指示を出している。

 但し、英米において帝国の外交通信の暗号解読を行っているという事実を帝国側が知っていることを相手に気づかれないようにするために、ある程度秘密を漏らしても構わない事象に限って従来の暗号通信も使用しているのである。


 因みに日本と英国との通商については、地中海が戦場となっていて対独戦における中立国であろうと航行自体が危険なことから、かなりの遠回りになっているが、吉崎重工中道造船所が建造した吉崎海運の高速貨物船欧亜丸(2万トン)が喜望峰周りで英国との直接交易を行っている。

 無論、間にシンガポールやインドなどの英国植民地を経由して、英国本土との間を往復するのだが、欧亜丸は高速であり、毎時27海里の巡航速力で英国へ向かうことができるのだった。


 台湾の高雄、フィリピンのマニラ、シンガポール、インドのチェンナイに寄港し、喜望峰経由で英国のリバプールへ向かうのであるが、往路の荷役を含めて横浜からリバプールまで40日足らずで走破することができる。

 1943年9月、この欧亜丸に外務省の外交官が乗船して、外交行李こおりとして直接駐英日本大使館に届けたのがバースト通信装置である。


 大日本帝国政府としては、これ以上の戦火拡大は望まないものであり、占領地は現状のまま和平としたい意向であった。

 英国の外務省を通じて米国への意向打診を行ったのだが、生憎と米国政府はけんもほろろの対応で、和平交渉の兆しはなかったのである。


 それでも首相は、天皇陛下の意向を受け、その後も可能な限りの努力を傾注した。

 中立国のカナダ、オーストラリア、スイス、スエーデン、アイスランド政府等にも働きかけて交渉を試みたが、米国政府は日本が講和を申し入れてきたことを奇貨きかとして、日本が軍事的または予算的に困窮こんきゅうしているものと誤断したのだった。


 そのために敢えて講和の話には乗らなかった。

 米国政府は、帝国側に対して有効な攻め手が無いにも関わらず、未だに米国優位の考えを放棄しなかったのである。


 そこには、工業生産力において二桁の違いがある東洋の小国に負けてなるものかという大国のプライドが大いに働いていたのだが、米国にとってはこれが大きな過ちであったでろう。

 かくして大日本帝国の戦略空軍が動き出すことになったのである。


 和平工作がならないのであれば、次の一手は米国本土の爆撃である。

 然しながら、一方で、無差別爆撃の汚名を被ることにもなりかねないので、慎重を期す必要があった。


 それ故に、最後の英国を挟んでの交渉の中で、マンハッタン計画の情報についてちらつかせ、和平に応じない場合は、当該計画を米国が放棄するまで叩くことになるがよろしいかと尋ねさせた。

 英国政府のほとんどが知らない計画だっただけに英国の外務省は怪訝に思ったが、英国宰相チャーチルはマンハッタン計画の一部を知っていた。


 従って、万が一をおもんぱかって、ロズベルト大統領に一抹の懸念を電話で表明したのだった。

 大西洋の海底電線を利用する国際電話は各国諜報機関等により盗聴される恐れも多分にあったのだが、チャーチルとロズベルトは暗号を使っていくつかの会話ができるようにしていた。


 ロズベルトは、日本が米国の最重要機密であるマンハッタン計画の名前を知っていることに非常に驚いたが、一方で、それがジャップの恐れていることかと納得もし、逆に計画の推進を促したのだった。

 ロズベルトは、日本の学者に核爆弾の理論は分かっていても、日本にはウラン鉱石もそれを濃縮する技術もないことをよく知っていた。


 従って、仮に日本がどこかからウラン鉱石を手に入れたとしても、実際の爆弾を手にできるのは米国よりも数年後になると、科学担当の側近からも聞いていたのだった。

 ロズベルト大統領に日米の戦争をこの時点で中断する理由は何も無かった。


 尤も、一旦は停戦に応じて、爆弾が出来上がってから再度戦を仕掛けるということも一応考えはしたのだが、再度の戦争をふっかける工作の無駄を悟り、大きな被害の出ない限りは戦争を継続することにしたのである。

 このロズベルトの決断を受けて米国側からは、和平工作に関して何の譲歩も得られなかったことから、私(吉崎)は、米国本土攻撃を1944年の春と決定したのである。


 このために、1944年2月まで前進基地となるであろうウェーク島とアッツ島に大型航空基地の建設が秘密裏に行われることになった。

 アリューシャン列島にあるアッツ島は、夏場でも最低気温は氷点下に達することがある厳しい気候の場所である。


 従って、アッツ島に配備する航空機については、必ず耐寒装備を備えることが必要である。

 また、アッツ島の近海は、周年を通じて天候模様が悪く、霧が多発するので非常に航空機の運用が難しい地域でもある。


 新型爆撃機はレーダーや暗視装置などを備え付けていることから、航空管制とうや滑走路等に所要の装備機器を備えれば、離発着に左程の問題は生じないはずだが、それでも横風が強い等の悪天候の際は、離着陸もできないことが当然にあり得る。

 そのためアッツの代替空港として、幌筵ほろむしる島をも整備させているところではある。


 幌筵島は、寒冷の地ではあるが、夏場の最低気温は氷点下にはならないので、アッツ島に比べると少し温暖かも知れない。

 建設工事は吉崎建設が請け負い、特殊工作機械を多用して短期間に滑走路と掩体壕えんたいごう等を建設したのである。


 アッツ島には、急遽仮設の港湾施設も作り上げていた。

 問題は、航空燃料であるが、吉崎海運のタンカーが秘密裏に大量の航空燃料をウェーク島とアッツ島の地下タンクに運び込む手はずになっている。


 燃料タンクというのは地上に置くと非常に目立つことになるので、地下設備にしたわけである。

 米国の監視の目を避けるために前線基地での設備の大部分は地下に建設することが多いのだ。


 尤も、防空警戒と対潜警戒を怠ってはいないから、米軍はこうした動きをほとんど察知できずにいた。

 英国等の半同盟国からの情報により、芸国側も日本軍が何らかの作戦を太平洋方面で発動することは知り得たものの、その詳細は知りえなかったのだった。


 米国のマンハッタン計画を叩き潰すことにより、広島及び長崎に原爆が投下されることは無いだろうと思うが、いずれかの国で原爆開発が進めば、日本の都市が標的になりうる。

 従って、原爆開発そのものについて大いなる警鐘を鳴らしておきたい吉崎だった。


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