第49話 4ー6 イー557号 ②

 私は、蓮台寺れんだいじ孝之たかゆき海軍少佐だ。

 昭和17年9月10日米国の宣戦布告により帝国と米国が戦争状態に入った。


 私の乗艦するイー557号は、宿毛の秘密基地に戻っていたが、同日午前三時には、緊急出動で戦時配備についた。

 今回の出撃におけるイー557号の役割は、日本近海に潜む米軍潜水艦のあぶり出しと殲滅である。


 日米開戦の報と同時に、広域哨戒体制も非常時の警戒3にまで引き上げられている。

 このために日本近海を警戒している飛行船型無人偵察機等からの情報が、俺の艦に居ながらにしてわかるようになっている。


 尤も、電波は海中を伝わりにくいんで、流石に水深500メートルに潜航して航行しているイ号には伝わらない。

 で、俺の艦が打ち出した海上ドローンが受けた情報を海中でも使える分子間波動通信に変換して送る分どうしても伝達が遅くなるんだが、10分程度の遅れは実戦に影響はない。

 

 俺のイ号は、日米戦争勃発時のせい一号計画通りに僚艦とともに、豊後水道に向かう。

 昨日時点で領海内及び接続水域に侵入しているような米国潜水艦は居ないが、土佐清水の略南方50海里付近で遊弋ゆうよくしている潜水艦の存在は把握されており、本部から俺の艦へに指示はその不審船への対応だ。


 この時間は明け方前なので、潜水艦ならば十中八九は海上で移動しているはずだ。

 付近航行船舶の安全のためにも早急にこいつを排除しなければならん。


 俺は、宿毛の秘密基地を出るとすぐに進路225度、深度500で最大速度を令した。

 取り敢えずの目的地は、足摺岬の略南方50海里付近海上である。


 少なくとも敵潜水艦と思われる不審船が飛行船型無人偵察機によって把握されているからだ。

 沖ノ島の東側を抜けて行くコースで目的地まではおよそ71海里、俺の艦では概ね1時間半ほどで到達できる。


 海上をのんびり航行している奴なら、宇佐あたりから出撃した哨戒機に先を越されるかもしれん。

 まあ、それでもダメもとで急行するしかない。


 1時間後、俺の艦は、速力を20ノットにまで落として航行中だったが、レーダー映像は残念ながら消えていた。

然しながら、間もなく、パッシブソナーが30海里先の不審船の音紋を捉えた。

 すぐに照合結果が出て、米国籍潜水艦の16-ヘセ118と判明した。


 米国籍潜水艦については艦番号や艦名は不詳でも発見年(昭和)と発見番号で区分けされている。

 「ヘ」は、米国隻を表し、「セ」は潜水艦を表す。


 因みに艦種で言えば戦艦は「タ」、巡洋艦は「チ」、駆逐艦は「コ」、水雷艇は「ラ」などと区分けされている。

 国籍では、ソ連が「ロ」、英国が「エ」、中華民国が「カ」、タイ王国が「タ」、豪州が「オ」になっているが、艦名がわかっているものについては艦名も表示される。


 奴さんは潜望鏡深度まで潜行しているのでレーダーにはかからないが、俺の艦のパッシブソナーで丸裸だ。

 敵は水深10m前後を速力4ノットで警戒しながら北上している模様だ。


 今までは敵潜が居るのがわかっていても、領海内に入るまでは忍の一字だった(但し、接続水域内に入った時点で航空機が警告のための爆雷投下を行ってはいた)が、日米が戦争状態に入ったこれからは何の遠慮もいらない。

 すぐさま敵潜に向けて進路を変更、速力は8ノットに落として静穏モードとした。


 二時間後、敵潜を射程距離に捕らえたので、一式短魚雷を発射した。

 一式短魚雷は、速力55ノットで目標とした物体に猛進する。


 こいつは相手の音紋をめがけて突っ走るし、仮に音紋が途切れてもアクティブソナーで相手を捉えて放さない自動追尾魚雷なんだ。

 しかも普通の魚雷は海面近くを移動するが、こいつは昇降舵も制御するから海中にも潜って行く。


 一応500mまでの深度で使えるから、それ以上に潜れる奴には使えないが、世界中探してもイ―500型潜水艦の「碧鯱そうこ」以外にはそんな性能を有する潜水艦は存在しないはず。

 従って、魚雷を発射した時点で奴は終わりだ。


 次第に接近するスクリュー音を聞きながら不審に思っているだろう。

 何せこれまでは潜航中の潜水艦に当てる魚雷は無かったからな。


 潜航中の潜水艦を沈めるのは爆雷と相場が決まっていた。

 だが戦争は変わるんだよ。


 気の毒だが、驚きながら死んでくれ。

 10分後、ウチのソナーで爆発音を感知した。


 これまでの高性能爆薬に換算すると1トン分の破壊力を有する魚雷だ。

 推進軸付近で爆発すれば、艦体の半分ほどが大きなダメージを食らう。


 急速浮上もできずに沈み始めるはずだ。

 ソナー手が、5分後に報告してくれた。


「敵艦は沈没、圧壊深度に達して、圧壊した模様です。

 掃討完了です。」


「よし、では最寄りに不審船が居ないかどうか確認してくれ、情報が無ければこのまま24時間この海域で哨戒を継続する。」


 残念ながら、これ以外に周辺海域に不審船は居ないようだった。

 その後司令部から次の命令が下されるまで俺の艦は足摺の南方海域で哨戒を続行した。


 他の僚艦たちも日本近海あるいは台湾及びフィリピン近海で警戒に当たっているだろう。

 取り敢えず俺の艦はひとつの役目を果たした。


 その1日後、俺の艦はフィリピン海域に派遣され、次いで蘭印周辺の海域まで進出することになった。

 開戦から二週間で上げた戦果は、敵潜が二隻だけだったが、後で確認すると潜水艦二隻撃沈の成果を上げたのは俺の艦とイー571の二隻だけだったようだ。


 まぁな、航空機も出撃していて浮上中にやられた敵潜もあったようだから、碧鯱だけが活躍できる場面ではなかったのは確かだ。

 吉崎航空機製のレーダーを搭載した96中攻が対潜水艦作戦では大いに活躍したと後で聞いたよ。


 96中攻は旧式と言われて出番がほとんどなくなっていたんだが、思わぬところで復活したようだ。

 性能は良くないんだが、潜水艦に特化すれば活躍できる場面はあるんだろうな。


 どうやら爆弾や魚雷を爆雷に換えて搭載しているらしい。

 但し、その爆雷も吉崎航空機製だし、遠出しても無事に基地に帰投できる特殊装置も吉崎航空機製品らしいから、四菱にしろ、仲嶋にしろ、吉崎航空機製作所には足を向けては寝られないだろうなぁ。


 ◇◇◇◇


 米国太平洋艦隊司令部がフィリピン向けの救援部隊を出港させた頃、大日本帝国軍はフィリピン攻略を陸軍の上陸作戦に委ね、連合艦隊を太平洋の島嶼に向けて動かしていた。

 その一方で、海軍は吉崎社長の提言を受け入れ、日本列島の東方海域に哨戒の目を向け、同時に中道造船所製造の新型イ―500型潜水艦「碧鯱」16隻を二隻ずつ太平洋に分散配置し、敵襲に備えさせたのである。


 「北緯45度、東経160度」を起点として、東経160度線上の「北緯35度」、「北緯25度」、「北緯15度」、「北緯5度」、「南緯5度」、「南緯15度」、「南緯25度」に張り付ける一方で、戦時特別予算で更に24隻のイー500型潜水艦を発注したのだった。

 イ―500型潜水艦は、静粛性に優れ、水中最大速力が40ノットを超える上に、攻撃力も非常に高いことから、この時点では海軍の主力秘密兵器となっていたのである。


 このイ―500型潜水艦は、吉崎重工中道造船所建造の機動部隊付護衛潜水艦とは別に、昭和16年に8隻を建造し、翌年には更に24隻を建造していたのだった。

 東の守りについては、常時、飛行船型無人偵察機8機を当てて空域と海域の両方を監視しているほか、必要に応じて双発の早期警戒機(レー331)「連梟れんきょう」をも出動させる体制となっている。


 そんな中で、開戦に伴って、帝国海軍が目をつけたのは米国の信託統治領であるグアム島であり、ウェーク島であった。

 特にグアム島は、マリアナ諸島に属する島であり、太平洋において唯一フィリピンへの回廊ともなる要衝であった。


 そうしてグアム島の駐留米軍も開戦前に増員が為されるとともに、要塞化が進められていることは分かっていた。

 サイパン、テニアンでは、開戦と同時にグアム島からの攻撃機の飛来も予想されて厳戒態勢をとっていたのだが、米軍戦力の大半はフィリピンに流れていたために、グアム守備隊には、サイパン、テニアンの大日本帝国の信託統治領に攻撃を仕掛けるだけの余力はなかった。


 また開戦劈頭へきとう、海軍はイ―500型潜水艦16隻を、フィリピンを含む南洋海域に振り向け、潜水艦狩りを実施していた。

 このため、1942年9月10日~13日にかけて、日本、台湾及びフィリピン近海で稼働中の米国籍潜水艦18隻が撃沈されたほか、スービック海軍基地所属の潜水艦13隻が空爆により破壊されていた。


 戦前には太平洋西部海域には36隻もの潜水艦が配備されていたにも関わらず、開戦から5日後、太平洋西部海域に残っている米国籍潜水艦は僅かに5隻だけになっていた。

 その残存勢力もポートモレスビーに寄港していたのだが、オーストラリア政府からの通告により48時間以内に退去しなければならなくなったのである。


 燃料と食料の補給のみを終えて、5隻の潜水艦はポートモレスビーを出港、ハワイに向けて帰投することになった。

 最寄りにはグアムぐらいしか帰るべき基地が無いのであり、フィリピンがほぼ落ちた以上グアムも危ない。


 ハワイの太平洋艦隊司令部は、これ以上の戦力を失うことを恐れてハワイに直接戻るよう指示をしていたのだった。

 一方で、救援部隊と物資を乗せた艦隊は、フィリピンからの通信が途絶した時点で、行き場を失った。


 1942年9月16日の段階では、ハワイから千マイル西の海域にまで進出していたが、グアムでさえも二千マイルほど彼方にあったのだ。

 このまま進んでは日本軍のただなかに入ることになる。


 既にフィリピンの空軍は壊滅状態であり、グアムに残る戦力は左程多くは無い。

 仮に日本海軍の主力がグアムを襲ったなら、グアムはたないだろう。


 そんな最悪の状況にやきもきしている間に、太平洋艦隊司令部から作戦の中止と撤退の指示が来た。

 明らかに劣勢な海軍兵力で立ち向かうのは不利と考えたようだ。


 此処は仕切り直して大艦隊による侵攻を考えなければならなかったのだ。

 その為に壊滅寸前のフィリピンと劣勢な兵力のグアムは見捨てられた。


 グアムの守備隊には、可能な範囲で抵抗し、援軍なき場合は指揮官の判断で降伏も可との命令を送ったのだった。


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