第四章 日米戦争
第44話 4-1 欧州戦線と日米間の事情
欧州戦線の方はほとんど史実に近い形で動いていたが、米国の参戦が遅れているのでその分情勢が史実と多少違っているようだ。
1942年(昭和17年)に入っても、日本との戦争が起きていないから、米国もモンロー主義を排してドイツに宣戦布告をする切っ掛けが掴めないでいる。
でもどこをどうやったものか、昭和17年5月12日フランス沖で米国の貨客船がUボートに雷撃されて、米国籍の乗員乗客のほとんどが死亡する事件が発生した。
助かったのは若い女性が一人と幼い女の子、それに乗組員の一人だけだった。
近くにいた米国駆逐艦に救助された三人だが、いなくなった両親を求めて「パパとママは何処にいるの?」と泣き叫ぶ少女が写真付きで米国の報道に流された。
その写真付きの報道が流されたのは、事件発生後僅かに12時間後だった。
文字だけなら電報でも送れるし、この時代電送写真もあるけれど、新聞に掲載されたのは荒い目の電送写真ではなく普通の写真のネガを使っているようだった。
けれど写真は航空機でもなければ現場から運べないよね。
フランス沖から英国に渡り、そこから航空機で運ぶ手も無いわけじゃないけれど、米国の貨客船が沈んだのがフランスの最西端にあるブレストの南西沖25マイルだった。
仏系米国人が御里帰りでブレストに入港する予定が、時間待ちのために沖で漂泊中に雷撃されたのだそうだ。
現場から、最寄りの英国の港プリマスまで300キロ近くある。
駆逐艦が全速で走っても四時間から五時間はかかる距離だ。
また、プリマスに飛行場が在っても、ニューヨークまではおよそ5000キロの距離がある。
米国からアイスランドへ行き、別便に乗り換えて英国へ行くという二社共同の航空路線は1937年に開業したけれど、欧州戦線の拡大に伴い、この時期、航空路は閉鎖されているんだ。
この時代、飛行機で5000キロ以上も飛べるのは米軍のカタリナ飛行艇ぐらいしか無い筈だ。
カタリナ飛行艇は時速300キロ程度の速度なので、5000キロを飛ぶのに16時間以上かかるよね。
因みにB17爆撃機だと時速500キロぐらいは出るけれど、フェリーでも4800キロぐらいしか航続距離はないんだ。
だから私(吉崎)としては、何となくこの報道の欺瞞を感じるし、報道の手際の良さに謀略を感じたよ。
因みに魚雷を放った潜水艦は、米国籍駆逐艦二隻によりその日の内に沈没させられたみたいだ。
この記事がきっかけとなって、米国世論に対独戦の機運が盛り上がり、”Remember Annette's tragedy” の標語が叫ばれ、ルーズベルト大統領が議会にドイツへの報復戦を提唱、議会の大多数の賛成を得て遂に対独戦に踏み切ったのだ。
“Annette”というのは救助された女の子のことですよ。
まぁ、きっかけが何であれ、一旦戦争を始めればモンロー主義の制限は無くなるし、ロズベルト大統領の公約違反云々も無視される。
半年遅れで米軍の欧州戦線参戦が始まりました。
気になるのはこれが欺瞞であったとしたなら、日本も戦争を吹っ掛けられる可能性があるということなので、注意が必要ですよね。
それとなく私の知り合いの軍人さんには懸念を表明しておきましょう。
日米間はかなり冷え込んでいますが、貿易の方は比較的に堅調みたいです。
米国の軍需物資に関わる禁輸措置については、私の関連会社で国内生産ができるようになっているので、国内産業にほとんど影響を与えていないから、帝国の陸海軍も外務省も通商条約が破棄されたにもかかわらず慌てては居ません。
日米通商航海条約が破棄されても、日米貿易で取り敢えず動ける部分は動いているようですし、日本側で困る部分は余り無いようですね。
だから、外務省も拙速を控えているようで、日米通商問題に関する外交交渉は全く進展していません。
米国の石油企業には樺太石油を敵視している企業が多いのですけれど、一部の企業からは樺太原油の購入の話が非公式に来ています。
欧州参戦で、これまで以上に石油が必要となり、米国産の原油でも十分に足りるはずだけれど、樺太原油の方がかなり安いですからね。
商売人なら利を取るのでしょう。
まぁ、米国は日本に対して原油の輸出を禁止していますが、日本から原油を輸入することについては、禁止してはいないようです。
言葉の遊びかと思いたくもなるような話ですけれど、その辺の隙間を狙ったものでしょうね。
けれど、道理から言うと無茶な話ですよね。
中国問題が日中講和により片付いていますから米国政府の石油の輸出禁止の話は、そもそも自動車を巡る日米経済摩擦が最大の懸案事項となっているんです。
それが片付いていないのに、懸案となっていてもおかしくない石油が日本から逆輸出できるはずもありません。
非公式な申し入れに対しては、仮に輸入をしたいのなら米国政府の許可を取り付けるようにと相手に言ってあります。
もし向こうが許可を取り付けてきたら、こちらも帝国政府の輸出許可を取り付けてから売ることにしましょう。
此処は日米双方の政府の判断を挟まないと絶対に後で揉めることになります。
欧州戦線が米軍の参入で勢いづくと思われますので、ここらでようやく偵察衛星を配置することにしました。
維持経費が掛かりますので、本当はしたくないのですよ。
でも、米国が実質的にモンロー主義を外してしまったなら、太平洋にも火の粉が飛んでこないとは限らないんです。
奇襲を避けるためにも米軍の動きをしっかりと確認しておくべきでしょう。
もう一つ、これまでの監視体制に加えて飛行船8隻~16隻による太平洋防衛監視網体制を構築しましょう。
海軍さんにその推進を持ち掛けます。
採用が決まれば1か月も有れば、広域監視体制ができますので、その上で偵察衛星も使って米軍の動きを確認しておけば少なくとも奇襲は避けられると思います。
尤も、偵察衛星の存在は今のところ陸海軍にも知らせていません。
将来的には教えることもあるかも知れませんが、少なくともここ暫くは秘密にするつもりです。
懸念材料は北方のソ連にもありますけれど、ソ連は1941年6月以降、ドイツの侵攻に対応するのに精一杯で、極東に関わっている余裕がありません。
ソ連としては、むしろ極東方面からは手を抜きたいぐらいなのですけれど、大きなスパイ組織を構築していたゾルゲが摘発されてしまったので日本軍の動きが良くわからないで困っているのです。
当然のように満州の関東軍の動きは掴めているはずですけれど、関東軍はどちらかというと反ソ勢力の過激派集団ですから危ない話しか伝わらないはずです。
ノモンハン事変は確かに史実通りに発生しましたし、日本軍もソ連軍も大きな損害を被りました、
事件発生当時、軍にも内緒で適宜の時に高々度偵察機をノモンハン上空に配置しておきましたので、戦況はおおよそは承知していました。
大勢の兵士が亡くなっているのを見ると助けたくもなりますが、生憎とこの時点では何もできませんでした。
まぁ、義勇軍として我が社のパイロットと航空機を送り込むことで局所的な戦況を変えることならできたかもしれません。
特に帝国陸軍の九七式戦闘機が物量作戦に負けて出撃できなくなったころにウチのル―101辺りを何機か送り込んでやれば、ソ連の空軍は手も足も出なかったでしょうし、帝国陸軍も今少し善戦できたかもしれません。
ノモンハン事変は、帝国陸軍に重要な戦訓を残してくれたのです。
一方で、陸軍部内の北進論は陰りを見せて衰退しましたが、その一方でソ連に対する脅威度が上がりました。
ノモンハン事変の後の停戦交渉はありましたが、史実にあったような不可侵条約の締結には至りませんでした。
私がそうさせないよう東京で暗躍したからですけれど、ソ連との不可侵条約を結んで安心してもらっては困るのです。
ソ連は欧州での戦争が一段落したなら、必ず満州へ牙を向けますし、その時に日本が米国との戦争中ならば沿海州から朝鮮半島や北海道へ押し寄せて来るのは確実です。
絶対に警戒感を薄れさせてはならない危険な相手なのです。
いずれにせよ、米軍の欧州参戦に伴い、膨大な戦時国家予算が投入されますから米国内における武器開発が加速度的に進みます。
ルー101を始めとして我が社から提供している航空機でも、ここ二年ならば間違いなく優位を保てますけれど、昭和19年の半ば以降若しくは昭和20年以降については、こちらも新型機と新型兵器で備える必要がありそうです。
もう一つは原爆開発の懸念ですね。
出来れば今の段階で潰しておきたいところなんですが・・・。
仮に日米間で戦争が始まれば本当は真っ先に潰しておきたいところですよね。
少なくとも日本に原爆を落とされるのは真っ平御免です。
◇◇◇◇
米軍は、太平洋にも相応の兵力は置いていますが、主力は大西洋方面に向かっています。
ただし、太平洋方面に手を出していないだけに、欧州戦線の動きは速いようです。
開戦劈頭で航空母艦6隻を大西洋に張り付け、盛んに欧州沿岸部の空爆を繰り返しています。
但し、激烈なドイツとの航空戦で航空機は無傷では居られませんし、空母1隻は潜水艦の魚雷攻撃で撃沈され、3隻は空爆により中破して米国東岸に戻ってしまいました。
また、英軍の航空基地をベースに大型爆撃機を配備して盛んに爆撃を行っていますけれど、爆撃機の被害もかなり甚大なようです。
依田隆弘の知る時間線では、この時点では帝国に高速軍用機は無かったのですけれど、ドイツ等欧州戦域では航続距離の短い高速機が目白押しです。
それを迎撃に振り向けられると、さしもの空の要塞と呼ばれたB17も被害が甚大となり、ドイツがロンドンの空爆を諦めたように、米国もドイツ国内の要所爆撃を諦めざるを得ないようです。
特に史実と異なり、ソ連が極東から兵力を大量に割けない状況なのでスターリングラード攻防戦もソ連が非常に苦戦しているのです。
その分だけドイツが楽をしていますので、全体の戦況もやや変わろうというものですね。
米ソがドイツを物量で押し込むには、今少し時間が必要なようです。
緒戦で空爆戦略の失敗もあり、以後の米軍の侵攻作戦は航空戦を継続しながら地道な陸上戦闘が主体となったようです。
史実にあったように長い時間を掛けなければドイツを押し返すのは難しいようです。
米国政府の動きはどうかというと、日本に対する経済封鎖が一向に効果を上げないことにかなりイラついているようです。
その所為かどうか、樺太石油の周辺海域での潜水艦の暗躍が非常に多くなっているようです。
このために、海軍と協議した上で
常時四隻の拠点配備で米ソ潜水艦の動静を把握し、要すればソナーと対潜弾投射装置を搭載した改造駆逐艦に攻撃させるようにしています。
少なくとも接続水域では警告を与え、領海内に侵入すれば確実に撃沈することになっています。
1942年9月7日、警告にもかかわらず領海12海里内に侵入しようとした潜水艦をついに海軍の駆逐艦
釧路造船所は、1942年4月に樺太油田警護及び支援艦船の修理整備を主目的として作った造船所ですけれど、一部の兵器類も製造しているのです。
白露(1936年就役)も、釧路にてレーダーと最新ソナーそれに対潜弾投射装置を設置したばかりの駆逐艦でした。
ところが、どうもこの事件は米国の仕掛けた罠だったようです。
米国政府は、帝国政府が主張する領海12海里を認めておらず、公海上で米国潜水艦を攻撃してきたのは米国に対する宣戦布告に
流石にこんな無茶ぶりは予想していませんでした。
まぁ、ありていに言えば、潜水艦一隻を死地に送り込んで戦争の切っ掛けにしたということでしょうね。
一応、対米戦はそれなりに準備が進んでいますよ。
この時点では、航空母艦も三個機動部隊を建造していますし、機動部隊に随伴しない新型潜水艦32隻も宿毛湾に、8隻を樺太の野頃に送り込んでいます。
四菱と仲嶋には、房二型―甲及び乙エンジンの供給を始めているし、旋風(零戦一型艦上戦闘機)用の機体と一式戦(隼)の機体についても、セラカーボンを使ったものの供給を始めているんです。
パイロットを失うのは大問題なので既存の航空機でも防弾性を高めるための英断なのです。
但し、四菱と仲嶋の動きは、正直に言ってあまり宜しくありません。
精々十機程度を購入し、一生懸命にその秘密を探ろうとしている様だけれど、無駄なことなのです。
欧米列強でもできないことを、四菱や仲嶋がおいそれと出来るはずもないのです。
まぁ、好きにさせておきましょう。
自分の製造した航空機が落とされて困るのは四菱や仲嶋です。
そのことは航空戦が始まれば嫌というほどわかることになる。
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