第41話 3ー23 イー557号 ①

 私は、蓮台寺れんだいじ孝之たかゆき海軍少佐だ。

 最新鋭のイ号潜水艦557号の艦長を拝命している。


 同期の中ではハンモックナンバーから上位グループに入っていると思っていたのに、いきなりドンガメの艦長に配置換えされたから、正直なところだいぶん落ち込んでいたのだったが、今では左遷ではなかったと知って安堵しているところだ。

 これまでのイ号潜水艦なら多分間違いなく左遷に近い配置だったに違いない。


 足は遅いし、狭いし、生活環境は間違いなく最悪だったはずだ。

 だが、このイ―500型潜水艦は違う。


 海中での最大速力は40ノットを超える怪物だ。

 おまけに従来の海大型のイ号などと比べると、排水量が約二倍近くにまで大きくなっている。


 それにもかかわらず最大搭載人員は60名で、俺の557号の場合は現在48名が乗り組んでいる。

 最小必要乗員は40名だから、別に定員不足というわけじゃないんだぞ。


 少なくとも40名の乗員がいれば、この潜水艦は十分に本領を発揮できるんだ。

 昭和9年の第二次補充計画で建造されたイー7号は、昭和12年3月31日に竣工しており、組み立て式の水上機を搭載できる大型潜水艦だが、こいつの乗員は100名にも上る。


 イー7号で全長109m余、水中排水量3580トン余なんだが、俺のイー557号は全長100mほど、水中排水量は5000トンほどになる。

 悪いが、軍機なんでこれ以上の詳細な数字は軍関係者であっても言えないことになっている。


 大正12年竣工の巡潜1型は、長さが98m足らず、水中排水量が2800トン足らずだから、俺のイー557は同じぐらいの長さでありながら巡潜1型潜水艦の倍ほどの排水量であるわけだ。

 また、昭和5年に竣工した海大型潜水艦(定員58名)だと最大幅が8m足らずの2300トンしかないから間違いなく倍以上の排水量だな。


 中は確かに広いぜ。

 俺もたまたまイー2号を見学したことがあるが、イー2号の場合、外回りの最大幅が9m余りと俺のイー557号の10mとでは、1mぐらい違うだけなんだが、内部は天と地ほども違うな。

 艦長室はもちろん個室になっているんだが、航海長(副長)、機関長、砲雷長、通信長の四人も個室、士官と下士官連中は二人部屋、その他兵員が四人部屋となっている。


 巡潜型や海大型のように通路にも寝台があるような代物とはモノが違う。

 一番驚いたのは、いつでも入れる風呂があることだった。


 流石に俺専用というわけには行かず、士官用と兵員用の共用風呂が二つなんだが、水上艦と同様に風呂に入れるのはすごいと思う。

 しかも艦は潜ったままで水上に浮上することは滅多にない。


 四国の宿毛湾にある秘密基地でシミュレーションを繰り返し、四国沖での実践訓練を行ってから、初任務についたのが昭和17年1月のことだった。

 行く先は、パナマ運河のバルボア港沖合だ。


 いきなりの遠洋航海だが、宿毛湾からだとおよそ9500海里ほどある。

 平均速力15ノットで片道26日、20ノットだと20日ほどで到達できる。


 実は40ノット以上で水中をつっ走ることはできるんだが、その場合結構な音を外部に出すことになる。

 大きい音とは言っても、従来型のイ号なんぞとは比べ物にならないほど静粛なんだがな。


 それでも潜水艦は隠密潜航が第一なので音を出さないことが望ましい。

 イー500型潜水艦は超極秘兵器だから、仮想敵国に情報を与えるわけには行かないので、周辺50海里に船がいる場合は、戦闘時でもない限り、静穏モードでの運航が義務付けられているんだ。


 静穏モードは毎時8ノット強。

 この速力であれば、ほとんど水上艦に察知されないようだ。


 現実に最新鋭のソナーを装備した帝国海軍の駆逐艦に探させたが、静穏モードで移動中の俺たちは低深度でも駆逐艦に見つからなかった。

 ビンガーと言って、駆逐艦などが水中でアクティブな音を出して反射音を拾う場合でも1海里ほど離れると艦体表面に張り付けてある特殊素材で反射音が小さくなるようだから、非常に発見は難しくなるようだ。


 さらには、水深500m以上にまで潜ると、水温変化による境界層が存在し、潜水艦の姿を音で拾うのは非常に難しくなるそうだ。

 それでも、潜水艦が大きな音を立てて航走すれば水上艦に気づかれる可能性はいつでもあるわけではある。


 いずれにしろ、行きは平均速力20ノット程度で水深千mを航行し、バルボア港近辺に到達すれば、海底に着底してひたすら動かないで潜伏しつつ、外国艦船の音紋解析を行うことが主任務である。

 音紋の採取対象は主に米国艦船なんだが、それ以外の船であっても情報を収集することになっている。


 行動中は一切の電波を出さないことになっている。

 現地到着から一か月間は潜伏調査を続行し、その後四国の宿毛基地に帰投する予定なので、概ね3か月の航海となる予定である。


 このため食糧庫は3か月分の食糧で一杯だ。

 人は1日に概ね3キロの食糧を食べるそうだ。


 余裕をみて百日分として300キロ、48名分で15トン近くの食糧が必要になる。

 三か月もつ生野菜なんぞはないんだが、吉崎食品が軍用の携帯食料としていろんな加工食品を提供してくれている。


 その中に野菜や肉などバランスよく配分されたものがあって、賞味期限が三年だそうだ。

 賞味期限というのは美味しく食べられる期間のことであって、それ以後は食べられないということではないようだ。


 いずれにしろ仮に賞味期限が過ぎた食糧については本艦の在庫から抹消して、処分することになっている。

 因みに主計員の話では、人の胃袋に収まっても軍律上の問題は無いということらしい。


 そうして、俺のイー577号はその携帯食料を大量に保管している。

 水は、飲料水とその他の生活用水が別になっている。


 飲料水以外の生活用水については、艦内で海水から真水を作っているんで使用量に制限がないんだ。

 長期行動の場合、大型軍艦でも一日洗面器一杯の水とかの量的規制があるんだが、うちではその必要がないわけで、だから毎日風呂に入れるんだ。


 飲料水としては、20トンのタンク容量で三か月程度は十分にしのげる。

 巡潜型にしろ、海大型にしろ、1万海里を超える航続距離のために、燃料だけで200トン~800トンとかなりの容量を食うんだが、うちの艦ではそれがない。


 燃料がほとんど不要なんだ。

 俺も未だに理屈はよくわかってはいないんだが、簡単に言うと水を燃やしてエネルギーを得ているらしい。


 何をバカなことをと言われるかもしれないが、実際に水の中の遊離水素を酸素と反応させて熱エネルギーを得ているんだ。

 水素と酸素が反応して水を作るが、その際に熱量も発生する。


 重油ボイラーのような高熱を発するわけじゃないんだが、水の中の反応が促進されるとその反応エネルギーを効率的に外に取り出して、動力源としているらしい。

 この際に熱量というよりはエネルギー輻射をとりだしているんだが、その辺の理屈は俺にはよくわからん。


 海軍の重要機密だから簡単に教えてはくれないと思うが、どうしても必要になればウチの機関長に聞くしかないな。

 いずれにせよ、最初の始動時に若干の電気が必要となるために、非常用発電機があり、その燃料が1トンほどあるものの、化石燃料はそれだけだ。


 その分居住区画が広くなり、また魚雷室がでかくなっているかもしれないな。

 海大型で14本、巡潜型で20本程度の魚雷を持っているが、イー557号は48本の新型短魚雷を搭載している。


 つまりは長期にわたる派遣戦闘に耐えられる武装も持っているというわけである。

 尤も、他の潜水艦と違って砲や機銃は搭載していないから、対空攻撃能力はゼロだ。


 ウチの魚雷は相手の音を感知して追尾する追尾型魚雷なんで、攻撃可能距離にある限り百発百中だろう。

 魚雷の性能は、雷速55ノットで最大射程が12キロ、昭和10年にできた95式魚雷(直径53センチ、長さ7.1m)よりも小型(直径34センチ、長さ3,2m)であるにもかかわらず破壊力はその三倍ほどもあると言われている。

 

今のところ実戦がないので詳細は不明だが、軽巡程度なら一撃で行動不能にできる破壊力があるらしい。

因みに556号はサンディエゴ沖、555号はロサンゼルス沖、554号はサンフランシスコ沖、553号はシアトル・バンクーバー沖、532号はウラジオストック沖、531号はシンガポール沖、 558号はフィリピンのスービック沖周辺で任務遂行中だ。


559から566号までの艦は宿毛の基地で待機訓練中であり、必要に応じて別途出動することになっている。

また、この2月には8隻、さらに3月にも8隻が増えて、イー500型新型潜水艦は32隻体制になることが情報として知らされている。


 おそらくは、既存の旧式潜水艦は徐々に廃棄されることになるだろう。

イ号、ロ号合わせると全部で80隻余りにもなるが、使えないドンガメを置いていても役には立たない。


そうして潜水艦の役割がより明確になった。

通商破壊を主任務とし、従として敵軍艦の破壊任務にあたることとなっている。


むろん現状で戦争中の敵国はないのだが、昨年11月に日米通商友好条約の破棄宣告が米国によってなされたので、一番の仮想敵国はアメリカだな。

ソ連も危ない国ではあるのだが、ウラジオストックにある艦隊は左程強大ではない。


 海軍力では米国に次いで英国が大きいが、英国は大西洋が主であって、従としてインド洋が守備範囲だ。

今のところ、英国との間で戦闘が起きる可能性は少ないと見られているが、米国が宣戦布告してきた場合、英国及び英連邦諸国がどう動くかについては不明だ。


 豪州、ニュージーランド、蘭印、仏印については、オーストラリア海軍が、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦5隻を擁しているが、駆逐艦は英国の中古船であり、左程の戦力にはならない。

ニュージーランドはさらに弱小で、過去においても英国の旧式巡洋艦ぐらいしかめぼしい艦が無かったが、現状の戦闘艦は英海軍所属のものがたまに寄港するだけである。


 蘭印及び仏印ともに本国がドイツに降伏したことから、海軍力は無いに等しい。

 これまでの訓練において、16隻のイー500型潜水艦が交代で豪州方面と南太平洋方面に赴いて、音紋解析を行っているために、豪州及びニュージーランド方面についての調査がほとんど不要になっているのも事実だ。


 音紋解析の方法はいたって簡単である。

 静穏モードで航行中、もしくは静止中に、付近海域を通過する船舶の音紋(スクリュー音)を採取し、当該音紋の発出艦船の同定を行うのが仕事なのだ。


 音紋はパッシブソナーで採取可能だが、その音源の船がどのような船であるかを同定するのが一番面倒とも言える。

 海面近くまで浮上して潜望鏡で確認するという手法もあるが、こちらが発見される可能性もあることから原則的にはしないことになっている。


 漂流物に偽装したシュノーケルに映像撮影装置を組み込み、撮影写真から分析するのがメインだ。

 シュノーケルについてはできる限り収容することになっているが、発見される恐れのある場合は切り捨てて海没させても良いことになっている。


 これらの手法については吉崎重工中道造船所監修の潜水艦運用マニュアルに事細かに記載してあり、その中に潜水艦の戦術・戦略まで記載してあるのである。

 誰が作ったのかは定かではないが、軍人以外の者が監修したものとは思えないほど優れた書籍であり、俺は愛読書にしている。


 大局的見地から潜水艦に最も適した用法は通商破壊だと俺も思う。

 この艦であれば護衛の艦が多少ついていても一緒に叩き潰せるだけの戦力があると思っている。


 単純な話、補給路が断たれれば前線の兵士は困るわけだから、護衛に軍艦を割かなければならない。

 護衛をつけてですら補給がままならないとなれば戦線の維持ができなくなるわけだ。


 この557号一隻が一度の出撃で、間違いなく40隻以上の輸送船を行動不能にできる。

 そうして、それが引き起こす影響は測り知れないだろう。


 物的損失、人的損失その両方で痛手を負えば、如何に強大な米国であろうと二の足を踏むことになる。

 その理屈に俺は感銘を受けた。


 俺も前任は砲術士官だったからよくわかるが、大砲屋はとかく戦艦同士の殴り合いを戦争の真骨頂とみている。

 まぁ、それで決着がつけばそれもかまわないが、生憎と米国の生産力は凄まじい。


 ご丁寧にも、そのことがマニュアルに記載されているんだ。

 帝国では呉、長崎、横須賀あたりの海軍工廠で軍艦を建造するだけだが、米国の造船所は一度に20か所以上の造船所で軍艦を建造できるらしい。


 この1942年末からは3か月から4か月に1隻の割合で大型の正規空母が出来上がるらしく、軽空母は月に一隻の割合で竣工することになるらしい。

 一方のわが帝国では、一つの工廠で3年から4年かかって、ようやく1隻だ。


 単純に言うと、帝国では正規空母は4年で3隻しか作れないが、米国では4年間で少なくとも16隻の正規空母が作れ、なおかつ軽空母も50隻近くが作れるということになる。

 すさまじい工業力と生産力だと思うが、資源豊かな国だからできることであって、帝国が真似できるものではないだろう。


 従って、日米間で戦争になった場合は、ひたすら通商破壊を行って敵軍の戦線縮小を狙い、封じ込めることが肝要であるとしている。

 このマニュアルでは帝国が米国に侵攻することなどは想定さえもしていない。


 ある意味で勝てない相手と喧嘩をするので、負けないように戦う方法を記しているようであり、軍人としては消極的と言わざるを得ないが、正直言ってこの分析は妥当であると思うのだ。

 序の口や序二段に上がったばかりの褌担ぎふんどしかつぎの小僧が大横綱に挑むみたいなものだ。


 体力的に負けているのだから、負けないようにせめて脇に食らいつくぐらいしか手がないのだ。

 脇につかれると横綱であろうと攻め手があまりない。


 いずれ体力差で負けるかもしれないが、少なくとも稽古以外で、横綱と正面から戦う愚かさは捨てたほうがいい。

 勝負事は勝ってなんぼの世界であるのだから。

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