第31話 3ー13 黒木武夫中佐 その四

 小笠原の秘密の仮基地については、まぁ、男所帯の海軍だから、色街と適当な飲み屋があれば、それなりに対応できるんだろうなと俺も思うよ。

 但し、母島への人の出入りについては、かなり制限をしなければならないかもしれないな。


 母島の基地設備はブンカーが主体で、一部の港湾設備や飛行場を除いては、そのほとんどが地下にある。

 驚くなかれ全長800m、奥行き500mで六階層からなる地下施設には、周回する地下鉄すらも走っている。


 こいつは排気ガスを出さない電気モーターで動くから、地下施設でも使えるんだ。

 兵員の宿舎もこの地下施設にある。


 共用スペースを含めた兵員一人当たりの平均面積が15畳ほどになる施設で、取り敢えず6000人分(約15万平米)が用意されているそうだ。

 因みにこの施設全体を3千万円で海軍に買い取ってもらうか、若しくは月々百万円で賃貸にするそうである。


 海軍で徴用もあり得るんだが、こいつはかなりの資産だから流石に無償で徴用ってわけにはいかないだろうなと俺も思うぜ。

 元々南方の島なので暖房の必要はほとんど無いんだが、この大規模地下基地は空調の冷房が完備しているんだ。


 俺の勤務先や宿舎よりも余程住みやすい環境だと思うよ。

 二番艦までは俺も試運転に立ち会ったが、軽巡の三番艦、四番艦の公試運転には別の者を行かせて俺は立ち会わなかった。


 全く同じものを見ても感動が湧かないし、吉崎重工中道造船所の技術力は超一級品だ。

 間違いなど起こるはずもないと思えるようになった所為せいでもある。


 そうして6月23日には、護衛潜水艦の一番艦が竣工した。

 その為に俺は再度吉崎重工中道造船所からの出航に際して、乗員兼張り番要員の24名と共に乗り組んだ。


 出港は例によって夜中の零時であった。

 吉崎社長は機密保持に関しては徹底している。


 新造艦を吉崎重工中道造船所で建造していると知られないこと、新造艦のシルエットすらできるだけ見せないことに徹底しているから、人目を避けているんだ。

 外部の者でも、海軍の予算を見れば新造艦などについての計画概要はわかる。


 予算上、海防艦の建造がわかっているし、実験潜水艦の建造もわかっている。

 だがどこで造っているのか性能はどんなものなのかは全て秘匿されているのだ。


 空母1隻に、軽巡4隻と、潜水艦8隻で8000万円の予算計上はかなり安いから、別な口実でごまかしがきくのである。

 因みに1938年(昭和13年)の700トン型海防艦の建造費は300万円前後であるから、500万円の海防艦でもさほど目立たないのだ。


 潜水艦の場合は本来もっと値が張るものだ。

 河崎重工が造る従来型の伊号潜水艦でも2000万円近くの建造費用が掛かると聞いている。


 それが8隻で4000万円は絶対に安すぎだろうと思うが俺が口を出すところではないな。

 海軍では、新型戦艦の三番艦の予算を流用し、実験潜水艦として2千万円、新型海防艦4隻分として2千万円、更に新型装備費として4千万円の8千万円を計上したようだ。


 無論、その全部が虚構であるが、大蔵省を巻き込んでの秘密予算だ。

 そもそもが新型の弩級戦艦ですら、経年予算を偽っているし、建造過程で建造費が増えるなどは日常茶飯事なのだ。


 初年度予算と続く三か年の関連予算は膨大な額になるが、それを公表しては戦艦の大きさや装備が対外的に知られてしまう。

 従って機密事項として封印しているのだ。


 陸海軍を問わず、軍機とはかなりこのようなものが多い。

 従って、表面上出てくる数値を読むだけでは駄目で、より深読みする必要がある。


 例えば、米国が建造した二隻の空母、レキシントンとサラトガは、3万3千トンと公表されているが、恐らくは最低でも1割増しの3万6千トン、場合によっては2割増しの4万トンではないかと見られているのだ。

 赤城だって公称は2万8千トンだが、実質3万トンは優に超えているし、改装すれば4万トンになるだろうと言われているぐらいだ。


 とにもかくにも夜間に人目を忍んで出港した潜水艦だが、灯火管制を敷いて、沖に出るとすぐに潜航した。

 水中排水量が四千トンというのは伊達じゃない。


 潜水艦の艦内は狭く暗いというイメージがまず覆されたよ。

 照明が明るいし、通路が広い上に割り当てられた部屋も広いんだ。


 俺は副長室に割り当てられたが、完全な個室だぜ。

 潜水艦の個室なんてものは艦長ぐらいしか与えられんと思ったが、この潜水艦では各科長クラスは個室になるらしい。


 士官及び下士官は二人部屋、それ以下は四人部屋だそうだ。

 潜水艦では真水の搭載が難しいから風呂なんかないと思っていたが、この艦は風呂などの雑用水については無制限に使用できるそうだ。


 何でも海水から真水を造っているので飲用には向かないが、風呂や洗濯は問題が無いらしい。

 但し、風呂や洗濯については洗剤の泡が出るから、特殊な機器を通して排水しなければならんらしい。


 因みに物は試しと俺も風呂に入ってみたが至極普通の風呂だったな。

 というよりも風呂の温度を一定温度に保つ電熱機械とか、四六時中、浴槽内の湯を浄化する機械とかがついているから、海軍の大浴場よりは余程快適だった。


 まぁ、艦の性能とはちょっと話がずれたが、小笠原母島の西方にある演習海域に潜航しながら向かう途中、海中速力で44.8ノットを出しやがったぜ。

 時速に直すと80キロを超える速度だ。


 俺が持っている単車で80キロを出すと、未舗装の山道では絶対に命の危険を感じる速度だ。

 全長100mほどの鋼鉄のクジラが、その速度を出して海中を突き進んでるんだぜ。


 浅海面なら絶対に大波が盛り上がっているだろうな。

 因みに潜航深度は120mだった。


 潜水艦というものは確かに海に潜るのが商売だが、流石に120mも潜って突っ走るとは思っていなかった。

 伊号潜水艦は90mが一応の潜航限度としているが、120mまではぎりぎり潜れるとは聞いている。


 だが、こいつは何の制限も無く120mにまで一気に潜ったし、深度計は1200mまでついていやがった。

 500mのラインでオレンジ色がついていたからこれは何だと聞いたら、この深度まで魚雷が発射できると答えが返ってきた。


 俺は、魚雷とは海面近くを走って行くものと思っていたんだが、常識を変えねばならんらしい。

 もしかするとこの潜水艦は真下から水上艦を狙い撃ちにできるのかもしれん。


 演習海域に到着するとすぐにその潜航深度の試運転が開始された。

 驚くべきことに確かに500mを超える深海に達していたぜ。


 今回の公試運転では500mまでと決められていたそうだが、ドックから派遣された艦長代理からは最大潜航深度は千mを超えるのではないかと言われたよ。

 まぁな、千mを超えて何をすると云われても俺には思いつかん。


 搭載魚雷を発射できる安全深度が500mに設定されているそうなので、まぁ、500mまで潜れることが確認されたら後は必要が無いというわけだ。

 残りは旋回性能、制動性能、静粛性能などあらかじめ定められた試験運転を終え、次いで搭載武器等の試運転に入った。


 そもそも操縦室なるものがやたらとでかくて、ドックの技師等3名に12名の運航要員候補と俺を含む検査官三名が立ち会っても狭さを感じさせない。

 ドック側の運航要員は交代者を含めて8名だけだ。


 運転手宜しく一人がモニターと呼ばれる画面の前に座り、自動車のハンドルのような舵輪を握っている。

 そいつを左に曲げると左に回頭するし、右に曲げれば右に回頭する。


 そうして押し込めば潜航するし、引けば浮上するようだ。

 無論完全に海面に浮上するには別の手順と操作が必要らしいが、緊急浮上なんかはボタン一つでできるらしい。


 つまりは、運転だけなら一人でもできるという優れモノなのだ。

 そうして目に見える視覚情報がすごい。


 海中の金属の塊である潜水艦に居ながらにして周囲の状況がんだ。

 出港直後に潜航した際に、海底地形がしっかりと見えたぜ。


 こいつの機能はウチの水路部に教えたら絶対に飛びつくぞ。

 だって海面下100mの海底にあった沈船の映像が色付きで浮き出たからな。


 理屈は良くわからんが、構造材等の違いにより表示色を変えているらしく、海底の岩盤、泥、砂、鉄、木材の類が色分けされているらしい。

 だから古い半分木造の沈船がわかったのだ。


 おまけに軽巡と同様に音響探査装置が搭載されているから半径50キロ以内の音が読み取れる。

 人間の耳に聞き取れないような音でも解析できるらしく、ザトウクジラの海中での鳴き声ってのを初めて聞いたぜ。


 おまけにその方位や位置、それに個体数までわかるんだからもう何とも言えんよな。

 当然のことながら海上を航行中の船の識別も可能だ。


 但し、いろいろな音のデータ(音紋)を集めないと正確な分析にならんそうだ。

 乗組員の訓練は、この音紋を収集することから始めなければならないようだ。


 もう一つ大事なことがある。

 潜水艦というのは数時間も潜航を続けたら普通は浮上しなければならんはずだが、こいつはその必要が無いらしい。


 10月21日の零時に出港して間もなく潜航し、40ノットを超える速力で海中を突っ走りながら、半日かかって母島西方240海里の海域に到達、そこで公試運転を始めて概ね8時間、今現在は夜の8時過ぎだが、その間一度も浮上していないんだ。

 その中で仮眠し、風呂に入り三度の食事をして今に至っている。


 この試験海域は、一番通行船の少ない場所として選ばれているらしい。

 そうしてどうやっているかは知らんが、現在位置から50海里以内に船等が接近した場合は母島の基地若しくは金谷の事務所から連絡が来るらしい。


 何らかの監視体制を持っているらしいということはわかったがそれについては教えてくれなかった。

 聞きたければ大将(ドックの人間は、吉崎社長のことを親しみを込めて大将と呼んでいる)に聞いて下さいと言われている。


 ウーン、なんだか軍の機密じゃなくって造船所や航空機製作所の機密が多いってのはどうなんだ?

 まぁな、海軍のお偉いさんに対して吉崎社長が「外務省の公電と海軍の暗号が一部バレている可能性がある。」と言い出してから、海軍の首脳も機密にはかなり配慮するようになったらしいんだが・・・。


 民間人に指摘されるまで気づかないというのはどうなんだろうね。

 いずれにしろ魚雷まで含めて護衛潜水艦一号艦の性能試験は、6月25日未明には終了した。


 俺は同僚の坂田と一緒に母島の飛行場から輸送機に乗って横須賀に戻った。

 流石に二日もかかると次の二号艦の公試運転には立ち会えない。


 俺の場合、次の立ち合いの予定は、四号艦それに七号艦の予定だ。

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