第23話 3-5 原油めっけ

ー 吉崎視点 ー

 関係省庁から正式な試掘許可が下りたのは9月6日のことでした。

 通常ならば、こんなに早く申請が通ることはありませんが、やはり油田があるかも知れないという政府と軍部の願望がお役所仕事を早めさせたのでしょう。


 無論関係者には、厳重な緘口令を敷いています。

 列強諸国、就中なかんずくソ連が知ると何をしてくるかわかりません。


 この情報は大事なので、前広に陸軍にも知らせています。

 一方で、吉崎重工中道造船所と名前を付けた造船所では、大きな乾ドックの一つで、掘削リグの二号機及び三号機を製造中です。


 未だ試掘成功の知らせはありませんが、樺太の西方域に油田があることは依田の知識でわかっているのです。

 二の矢、三の矢を放てる準備をしておくことが必要でしょう。


 油送船の建造も予定には入っていますが、来年4月稼働を目指して、それまでに1万トンクラスのタンカー2隻を取り敢えず建造予定です。

 出来上がったなら取り敢えず陸奥湾辺りで待機させる予定にしています。


 試掘の結果が判るのは、年明けになりますが、冬場のサハリン海域は結氷しますので船舶は簡単には動けません。

 従って、五千トン前後の砕氷船二隻を優先して建造中ですが、来春に間に合うかどうか微妙なところです。


 ◇◇◇◇


 そうそう、昨年夏場に、金谷工場の敷地に従業員宿舎を新たに建設しました。

 それまでの寮はそのまま残しますけれど、妻帯者若しくは希望する者は宿舎を借りられるようにしたのです。


 ところが、現状で航空機製作所の従業員は千名を超えています。

 そのために夏場に作った世帯用宿舎500戸では不足する事態が生じました。


 結婚ラッシュが続いているとか?

 いえいえ、実は、購買所が拡大し、前々世の大型スーパーマーケット並みの広さのお店になっており、販売している品数も非常に多くなっていることに原因があります。


 購買所自体が従業員を10名も雇って商売をしていますので、工場の従業員にとっては、とても便利になったのですね。

 元々ウチの場合、女性は別としても、男性は40歳超えの者が主体ですから、男性の6割近くは妻帯者なのです。


 辺鄙な浜金谷ながら、工場周辺は活気がありますし、商店もあれば、医者(産業医として二名を確保)も居ます。

 下手なところに妻子を住まわせるよりは良いだろうということで、家族を呼ぶ人が多いのだとか。


 まぁ、宿舎の充実した設備を見たら、他には住みたいとは思わないでしょうね。

 そんなわけで、公団住宅ならぬ5階建て40戸のRC造りの宿舎を、新たに20棟作りました。


 勿論エレベータ付きですよ。

 一気に800戸も増えたので、独身寮4棟、二戸連平屋建て宿舎250棟を合わせて、1250戸分の世帯用宿舎と400人分の独身又は単身赴任者寮が確保されました。


 来年まではこれで大丈夫とは思うけれど、状況を見て5階建て宿舎を徐々に増やして行きましょう。

 宿舎用地はちょうど滑走路の用地よりも低い地域にあり、航空機の飛行には支障のない場所です。


 念のため高さ制限は一応この宿舎用地でも5階までにしています。

 うーん、金谷村の分散した集落よりも明らかにキラセの金谷工場の方が人口密度も高いよね。


 因みに吉崎重工中道造船所にも当然のことながら多数の宿舎を作っています。

 こちらもド田舎ですからね、従業員の福利厚生施設と宿舎の近代化を推し進めているんです。


 ◇◇◇◇


 1941年(昭和16年)1月17日、ついに第一号リグが油田を掘り当てました。

 実はこれより3か月前の1940年11月に米国はついに日米通商航海条約の破棄を宣言しました。


 このために、破棄宣告の半年後1941年5月からは、日米の間で交易はできても何の保証も無いという状況になってしまいました。

 当然のことながら、米国は、表向き安全保障上の政策として帝国に対する石油とくず鉄の禁輸を事前に周知してきました。


 正に帝国は瀬戸際に立たされたわけでしたが、原油採掘成功の報告はすっかり意気消沈していた政府を甦らせましたし、米国撃つべしと血気に流行っていた海軍にも驚くほどの鎮静効果がありました。

 少なくとも、ハワイ奇襲作戦は取り敢えず避けられそうな雰囲気です。


 因みに樺太の油田ですが、掘削のドリルは実に200キロ以上も北東方向に伸びているようです。

 つまりは野頃の略北東200キロ先の海底から原油を掘り出したということです。


 普通の掘削用ドリルではこんなに早くは掘り進めませんが、私が作った魔道具のドリルは1時間に80mほども掘り進めるんです。

 恐らく従来方式のドリルであれば1時間に5mから7mも進めば上等でしょう。


 経済水域200カイリ時代ならともかく、領海三海里が常識のこの時代、公海の海底にある物は誰のものでもありません。

 従って資源開発は早い者勝ちなんです。


 ですが冬のオホーツクは厳しい気候の上に流氷があって船舶の航行は難しいんです。

 ここは焦って動かずに春を待つことにしました。


 因みに原油の性状はあかつき丸の船上で分析調査を実施、当時最大の油田であったバクー油田の原油に比べ、軽質油分が多いとの結果も出ています。

 今回の樺太原油の場合、ナフサ約18%、灯油約16%、軽油約26%、重油約40%との分析結果です。


 海軍さんが必要とするのはナフサから精製できるガソリンの内、航空用ガソリン(これについては金谷工場で当面の必要量は手当て済み)と、後必要なのは少量の軽油と大量の重油になりますが、原油から分留される重油分は潤滑油の原料にもなりますし、アスファルトも含まれます。

 従って、実際の燃料油として使用できる重油は、原油量の20%から25%前後になるはずです。


 国内的な問題としては、この時代の製油所は、東京湾を中心に日産5万バレル(≒7850㎘)以下の原油処理能力しか持っていません。

 輸入価格が高いことと、石油消費量が左程無かったこと、主として米国原油を購入していたものの価格変動が結構激しいので大量の精油設備を設けられなかったこと、更には米国側の石油業界が石油製品の輸出を望んで原油の輸出を恣意的に抑えていたことが原因かも知れませんね。


 一方で、石油精製能力は、現状でも倍近い能力があるようですので、ある程度の対応は既存企業でも可能かもしれません。

 但し、技術的には欧米と比べて立ち遅れていますので、航空ガソリンや潤滑油の製造などについては明らかに外国製品の方が優れている現状があります。


 因みに米国のこの当時の原油産出量は日産で300万バレル(47.7万㎘)未満です。

 一方で日本の国内原油生産量は日産0,52万バレルでしかなく、米国の570分の1にしか過ぎません。


 樺太での油井は当面一つだけですので、日産で仮に1万バレル(≒1590㎘)とすると、年間約365万バレル(≒58万㎘)に相当することになりますが、そのうち重油分は12万トン前後ですので、これらの産出量に見合う精製能力があれば、ある程度は海軍も一息つけるのだろうと思われます。

 また、今後二年の間にはリグの数が増えて原油の増産が可能になることになりますので、1万トンタンカーが6隻程度でピストン輸送をすることにでもなれば、東京湾等での既存製油所のキャパシティーを超える可能性もあります。


 この時期、商工省を中心に石油業界のカルテルを形成し外資系会社のボイコットが盛んに行われつつありました。

 そんな中での「原油みっけ」の極秘情報は、絶対に秘匿しなければならないにもかかわらず、とある商工省事務官が国内の特定石油業者に情報を漏らしたことが原因で、あっという間に国内外に知られて新聞にまで掲載されてしまいました。


 私が、極秘情報と念押しして関係各省に伝えた意味合いが全く無くなってしまったのです。

 その情報が伝わるや、海軍は、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻を直ちに多来加湾に派遣し、陸軍は樺太部隊の増派を早急に手配してくれました。


 幸いにして、ソ連の動きは遅く、案じていたようなソ連軍の侵攻等は何も生じなかったのですが、くだんの事務官は懲戒免職の上、機密漏洩の罪で海軍刑務所に収容されています。

 この一件で、商工省事務次官がわざわざ金谷工場を訪れ、私と面談しに来ました。


 訪問の用件は、吉崎石油の代表取締役としての私に対して商工省の失態のお詫びをすることと、今後の石油増産の見込みを聞きたかったようでしたので、飽くまで機密事項ですよとしながらわかる範囲で答えてあげました。

 樺太油田の埋蔵量は当面1億から10億㎘程度と推定されること。


 未だ本格生産を始めていないことから詳細は別として、現状のリグでは日産で4000~12000バレル程度の生産は見込めると思われること。

 更には、順次新たなリグを投入して油井を増やすことから、ここ二年ほどの間に生産量は日産で2万から6万バレルが予想されること。


 今後5年ほどの間に、油井は24本にまで増やす予定があり、その場合、生産量は最低でも日産10万バレル(最大では30万バレル)を超えるものとみられること。

 そのレベルの産出量になると、重油生産は年間で100万トンを超えるものと推測されるから、その段階では海軍さんの燃料については先ず心配ないであろうこと。


 現状において国内産の石油製品は欧米に比べて、品質が劣っているとみられることから、吉崎石油がこれから造る製油所は、特に潤滑油や航空燃料の品質確保を目標とすることなどを説明した。

 但し、現状の国際情勢に鑑みて、対外的には生産量がさほど多くないように見せかける必要があり、当面は、概ね三分の一から二分の一程度の生産量に抑制することも伝えました。


 特に、対米交渉の戦略上、当面は敢えて低い産出量に抑えることを原則とすることを説明しておきました。

 特に軍人さんは石油の確保ができたとなると対外的にも強く出る可能性があり、他の原材料が必ずしも確保できていない現状では控えめにして置くことが望ましいのです。


 自前の石油があるということは、戦略的な意味合いで非常に重要なので詳細な情報は外国には教えない方が色々有利に働くのです。

 少なくともウチは海軍の要請もあって、海軍の燃料確保のために中規模石油精製施設(日産5万バレル)を野頃に一か所、網走に一か所、大規模製油施設(日産10万バレル)を札幌近郊の小樽若しくは大浜近辺に建設したい旨を伝えました。


 石油産業に金を出すのは商工省ではありません。

 商工省は、石油業界を管理監督はしているものの、石油生産能力と精製能力は全く無いお役所なのです。


 次官が多少の注文を付けて来ても、こちらは無茶を跳ね返せるだけのバックボーンを持っているのです。

 陸軍だって国有化にするなどという無茶は、言わないと思うのです。


 仮にそんなことを言うなら私は全てから手を引く。

 勝手にしろと言って放り出すしかない。

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