第15話 2-7 総力戦と兵站、それに秘事

ー 吉崎視点 ー

 実は、陸海軍とも航空機は消耗品であるということがあまり認識されていない。

 特に、戦争の場合は人も武器も消耗品なのだが、伝統的に日本の軍隊はロジスティック兵站というものを余り重視していないのだ。


 日露戦争で近代戦闘とは金がかかるものだということを十分に知ったはずなのに、陸海軍とも「喉元過ぎれば暑さを忘れ」ているのだ。

 日露戦争で日本軍が野戦砲を一発撃つと、ロシア軍からは数十発が打ち返されたという逸話がある。


 当時の陸軍では、野砲一つについて砲弾二百発と消費数が予め決められていた。

 限りある予算なのだからやむを得ないという事情もあるのだが、金持ち国と喧嘩をする場合、沢山の弾薬を持っていなければそもそも喧嘩はできないのだ。


 とどのつまり日露戦争で何度か行われた会戦では大砲の弾薬が最前線で大いに不足したのだった。

 当時弾薬の製造は大阪がメインであったが、砲一門に付き砲弾二百と決められていたら、多少の予備は製造するだろうけれど、製造ラインもその数に応じたものでしかないから直ちに増産する体制にはならない。


 そもそもが日本の場合は家内工業に若干毛の生えた程度の生産システムだから、どれほど頑張っても生産数に限界があったのは当然のことである。

 戦いの最中に砲弾が足りなくなったからと言って、急に要求されても既存の製造ラインで造れる限度しか作れないのだった。


 ところが最前線では年間に使用すべき砲弾を一日で消費する羽目になり、至急弾薬を送れと催促することになる。

 ところが作っているのが大阪としても、そこから戦地の最前線まで運ぶのにどれほどの手間暇が必要かを兵站に携わっていない者は全く考えていない。


 大阪から船に積んで大陸の最寄りの港に揚げ、そこから戦地まで運ぶのに物凄い人手と労力がかかる。

 兵站線が伸びるに従って、徐々に無駄が多くなり、また途切れやすくなるのである。


 最前線の指揮官は発注すれば届くものと考えているかもしれないが、輜重隊しちょうたいが元々貧弱な日本陸軍にあってはそもそも無理が生じてしまうことになる。

 日本のように狭い国土に慣れた者は大陸の広大さに圧倒されるが、同時にその中に攻め込むには膨大な物量の武器と弾薬それに兵隊が必要なのである。


 日清・日露の両戦争では学べたことも多いが、学べなかったこともある。

 局地戦で簡単に勝ってしまって、相手が左程の戦闘をしないうちに降伏したために、中国は簡単に相手にできるものと臆断したことである。


 何となれば日清戦争では一定の戦果をあげれば相手が謝ってきたからだ。

 一方、ロシアはそれなりに手強かったし、薄氷を踏む思いで何とか停戦交渉にこぎつけたが、実のところ日本に余裕は無かった。


 しかしながら、大国ロシアに勝利したことが独り歩きし、戦えばで勝てると慢心したことである。

 帝国陸軍はドイツのように一国を丸のみにするような戦い方はなかなかできない。


 地域ごとに徐々に浸食して行くやり方しか取れなかったのだ。

 無論謀略によって植民地化するようなことはしてきたが、そもそも中国全土、或いはソ連全土を占領できるなどとは彼らも考えていないのだ。


 日本の守りを固めるためにできるだけ相手領内に自分の陣地を増やす程度のことしか考えていなかったのだ。

 その為に局地戦で勝利して講和を結ぶというやり方しか知らなかったと言える。


 第二次大戦では総力を挙げた持久戦であったのだが、開戦前にそのことを見抜けた者は左程多くは無い。

 名将と言われた山元やまもと磯六いそろくにしても、開戦劈頭かいせんへきとうで相手に打撃を与えれば講和に持って行けるという安易な考えであって、壮大な持久戦になるとは考えていなかった。


 いや、持久戦になれば勝てないとはわかっていたのだろう。

 だから拙速を好んだ。


 それまでの日本と外国の戦闘が持久戦に至らずとも勝利できたからである。

 それは海軍の艦隊決戦を標榜ひょうぼうした作戦計画にも強く表れている。


 米国との戦争になれば米国艦隊が日本近海に押し寄せて来るが、その前に色々な方法で相手戦力を漸減ぜんげんさせ、最後は艦隊決戦で雌雄を決し、主力艦を沈めてしまえば米国に勝てると安易に考えているのだ。

 支那事変でも太平洋戦争でも同じだが、相手が消耗など気にせずに持久戦に入るという発想そのものが無かった。


 海軍では主力戦闘艦を撃破すれば勝利と考えていたし、陸軍では相手の拠点を奪えば相手は泣き付いて講和に応じると考えていた。

 拠点を奪っても相手が奥地へと逃げ込み、頑強に抵抗するとは考えてはいなかったので大陸の泥沼の消耗戦に巻き込まれたし、初戦で大艦隊を葬ったから太平洋ではもう艦隊決戦は無いと考えていたのに、膨大な生産力に物を言わせ復活してきた米軍に歯が立たなかったのだ。


 因みに日米の戦争で開戦劈頭へきとうに戦った相手は、ある意味で二線級の武器しか持たず、訓練も不十分な僻地の軍隊であったのだ。

 ところが復活した米軍は訓練を積み、日本軍の弱点を研究し、なおも新兵器を続々と投入して来る化け物であったので、最前線では一気に人員と機材の消耗が増えた。


 こうした消耗戦を考えていなかった海軍は、特に対応ができなかった。

 そもそも武器製造に必要な資源を海外に頼っていては、軍艦も軍用機も満足には造れないのだ。


 帝国海軍の場合、戦艦にしろ、空母にしろ、4年以上の歳月をかけて作るのであり、米国のように複数の造船所で一斉に作り始め、週に一隻とか、月に一隻とかのペースで巨大戦闘艦を生み出せるはずもない。

 とどのつまり、生産ができなくなれば最前線に兵器を送れなくなるわけだ。


 その前に、資源輸送に欠かせない輸送船を大量に沈められては、海外植民地の物資でさえ国内に届かない。

 日本の乏しい工業力で工夫を凝らしてゼロ戦を作っても、馬力を上げ、防御力を増した米国戦闘機に敗れるのは当然の結果であった。


 この負のスパイラルを止めるには、ロジスティックの改善と、最前線に送る航空機の戦闘力と防御力を高めて、生還率を上げるしか方法が無いのである。

 陸海軍ともにその辺の意識改革は必要なのだが、それについては徐々にやれるところから進めて行くしかないのが現状だ。


 ウチの製作所では先進の技術でできるだけ丈夫で長持ちするものを産み出すつもりではいるが、実際に戦闘に使いだしたら、1年でかなりの部品を交換しなければならないだろうと予想している。

 それだけ金もかかるわけだが、依田隆弘の時間線で生まれた十二試艦戦ゼロ戦の場合、昭和15年当時で一機当たり15万円ほどだったようだ。


 今回、四菱が十二試艦戦試作機にどれだけの値をつけるかは知らないが、開発費用も含めるとやはり15万円を下回ることは無いのじゃないかな。

 一方で我が社のルー101とその後の劣化版艦戦は、一機五千円でも良いのだが、余り下げると他社が困るだろうから、高くても二万円前後として計上する予定だ。


 200機を納品しても400万円ぐらいだな。

 航空用燃料も安く納入してやっているから、海軍さんは随分と助かっているはずだが、その浮いた分を無駄な大艦巨砲につぎ込んだりするなよ。


 造るんなら空母を造れよ。

 次期空母は確か「翔鶴」と「瑞鶴」のはずだが、お値段は当初予算で確か8000万円ほどだったはず。


 私ならそれよりも性能の良い空母を2000万円程度で作ってやるぞ。

 まぁ、造船所を作ってからの話ではあるんだが・・・。


 ◇◇◇◇


 航空機というのは、実のところ、一朝一夕で造れるものじゃない。

 単純に考えても、エンジン、機体、フラップやラダーなどの可動部、離着陸時におけるタイヤとそれを支える脚部、操縦席の計器及び操縦装置、無線装置、航法装置等々、様々な分野の工作物の集合体なのだ。


 翼の形だって空力学上の理想的な形状が必ずしもベストとは限らないから風洞実験等で確認して形状を決めたりする。

 しかもそれが航空機の速力によっても変化する代物だ。


 航空機の製造会社が十社あれば十通りの解があり得る。

 私は前々世で材料工学の研究者だったけれど、空力学についてもかなりの知識があり、半ば道楽で知り合いのエアレース参加機体の製造を手伝ったことがある。


 その為に、小型飛行機を含めて様々な航空機のフォルムを知っている。

 単純な話、見て美しいものは大体空力学上での検証でも良い結果をもたらしている。


 何となく、こいつは格好が悪いと思った奴は、ほぼ例外なく結果が伴わないんだ。

 従って、見た目恰好良く造ることは、ある意味で非常に大事である。


 その上で、空力学上の大事なポイントを押さえておけば、航空機はきれいに飛ぶ。

 ジェット機になると音速越えの問題などプロペラ機には無い問題も出てきて、幾分力任せの部分があるけれど、それでも無理なく動くにはフォルムが大事なのだ。


 ◇◇◇◇


 話は変わるが、私には墓場まで持って行かねばならぬ秘密が増えた。

 近江このえ首相の死因は就寝中の心不全とされているが、実はそうではない。


 私がはえ程の大きさの虫型ゴーレムを使って、近江邸の寝所に潜り込ませ、肌に触れると体内に浸透して死に至らせる致死性の毒ガスをゴーレムから吹きかけさせたのだ。

 これにより近江富美麿氏は亡くなった。


 近江元首相は優柔不断であり、陸軍等の恫喝にすぐ怯えるために何をしてもちぐはぐとなり中途半端になってしまうので止むを得ず強制的に排除したのだ。

 前世のブラレシオにおいても、相応に年を取ってから、本当に役に立たない宰相や貴族などは人知れず葬ってきたが、まさかこの世界でも同じようなことをする羽目になるとは正直思っていなかった。


 しかしながら、中国大陸の泥沼にこれ以上はまってはならない限界にまで達していたのである。

 これ以上踏み込めば恐らく元には戻れない。


 特に、現状の陸軍統制派の主塊ともなり得る陸軍大臣の存在と、浮ついていて一貫性のない近江首相の組み合わせは最悪であり、更には一月の近江談話の発表からみてこのまま放置しては日中紛争の悪化しか残らないと判断した故の緊急避難的措置であった。

 そもそもが、支那事変の不拡大方針を唱えながら、一方では全く外交交渉の妨げにしかならない勝手な政治演説しか行わない統治者がどこにいる。


 政治家なら言行一致を厳守しろと強く言いたいものだ。

 人の命が重いことは重々知っているけれど、このまま放置すれば戦費という経済負担が増し、大陸で多くの命が消えることになる。


 それが日本人であれ、中国人であれ人の命の重さに軽重は無い。

 増してその泥沼に踏み込むことが、日米の開戦につながり、ひいては日本の焦土化につながるとすれば何をか言わんやである。


 止められるかどうかは全くの不明の状況ではあったが、なけなしのダイスを振った大きな掛けであった。

 幸いにして良い方向に出目でめは向いてはくれたが、歴史の歯車が大きく掛け違った以上、これから先は依田隆弘の記憶にある歴史とは明らかに異なる道を踏み出すことになる。


 可能な限り、陰働きで私にできることをしつつ、日本を守りたいと願う私である。

 更に、皇居の天皇陛下の寝所にもゴーレムを放った。


 こいつは催眠性の魔法陣と闇魔法を仕込んであり、後任を東功爾宮ひがしくにのみや愛彦なるひこ王にするよう働きかけたのだった。

 どちらも私の目が届かないところでの犯行なので、ある意味で準備が大変だった。


 ハトや雀を使って、寝所の位置を特定し、フクロウを使って夜にも位置を確認させるところから始め、蠅ゴーレムの持ち込みにはティムした雀を使った。

 天皇陛下の寝所には二匹の虫型ゴーレムをあらかじめ配置、陛下の居場所を確認した上、そのすぐそばで魔法陣を発動させたのだ。


 どちらも作戦終了後は鳥に持ち帰ってもらっている。

 近くであればこのような闇からの支配も割にし易いんだが、乱用すると被対象者が精神障害を起こしやすくなるので、できるだけ避けたい手法ではある。


 ゾルゲに関する匿名のタレコミも私だが、あれはソ連に対するけん制だ。

 ソ連の東方戦力をできれば割かせたくないので、早めに潰したのである。


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 11月3日、字句の一部修正を行いました。

  By @Sakura-shougen


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