第二章 覚醒 ~ 死者と生者の想い
第9話 2ー1 覚醒
私は
国から国有地を払下げてもらい、4千m級の平行滑走路二本を有する航空機製造工場と同管理事務所の社屋を造った。
中央省庁との連携もしなければならないので、東京丸の内に連絡事務所を置いている。
但し、この事務所は本当の連絡用であるので所帯は小さい。
取り敢えずは、私以外に、女性事務員が3名、男性事務員が4名の8名体制でスタートし、いずれ10名前後にはするつもりだ。
私は、1893年(明治26年)生まれであり、19歳で応召されて、海軍で3年間の軍歴を持っている。
私が覚醒したのは1936年(昭和11年)のことであり、私が43歳の折だ。
当時の私は、郷里の広島にあって、家業の瀬戸物屋を営んでいた。
親から受け継いだ店であり、両親は早くに亡くなっていたが、商売の方は、まぁまぁ、うまく行っていた方だろう。
忘れもしない3月17日、私は蔵で
その
その音で自分が
私は、前世の記憶を二つも呼び覚ましていたのだった。
一つは、異世界ブラレシオで史上最高の錬金術師としてその名を馳せたシャルン・ドゥ・ボアルの生涯の記憶。
今一つは、この時代よりもはるか未来である2038年に生きていた若き科学者
依田隆弘は、京大を卒業した秀才であり、材料工学の探究者でもあった。
彼は京大付属研究所に勤務しており、率先して様々な研究に携わっていた。
その
その依田が、夜遅くに研究所から帰宅しようと大学を出たところで、歩道に居ながら交通事故に遭った。
彼はあっけなく2038年の日本から消え去った(享年36歳)。
しかしながら、その魂は輪廻転生とでも言うのか、異世界であるブラレシオで新生児の魂と結びつき、シャルン・ドゥ・ボアルとして転生したのだった。
彼はブラレシオ世界でも高名な錬金術師の家系に生まれ、なおかつ、前世の記憶を引き継いでいたために成長するに従って、旧来の錬金術を新たな高みにまで引き上げたのである。
彼が天寿を全うして107歳で
そうして1936年(昭和11年)3月17日午後3時過ぎ、私は、大変な頭痛と一緒に依田隆弘及びシャルン・ドゥ・ボアルとして生きた存在の記憶全てを引き継いだのである。
困ったことに依田隆弘のオタク知識により、今後の日本の
このままでは、いずれ日本の国土がB29の爆撃で焦土と化し、国民全てが極貧の生活に陥る。
特に、太平洋戦争末期には、広島、長崎に相次いで原爆が投下され、吉崎博司としてこれまで生きて来た思い出の数々が、知己の人々の多くの命が、全て失われてしまうのだ。
日本という国が戦争に負けてしまう。
国は無くならないものの、国家としては一旦死に絶え、大国の
ファシズムが必ずしも良いとは思わないが、そこに住む人々の心根、生活、生き方の全てが異国人の手により否定され、かき乱されるのはとても耐えられないことだ。
何とかしたいのだが、既に支那事変は始まっており、5年前の1932年(昭和7年)3月1日には満州帝国が発足していた。
支那事変というか日中戦争というか、中国大陸への侵攻は今現在も進行しており、この時点で何の権限も持たぬ私が少々動いたところで、時代の
若し、私が、異世界の錬金術師ではなく、大魔法師であったのであれば、戦闘に際して、広域殲滅魔法を発動すること等によって、局地的な戦闘に勝利できるかもしれないし、依田隆弘の歴史オタクの記憶をもとに重要な転換点での戦闘に大魔法で干渉できれば、或いは日本が勝利し、有利な条件で講和に至ることもあり得るかもしれないが、残念なことに私のほとんどの能力は錬金術に特化している。
正直なところ、物造りは色々できても、個別の戦闘能力はからっきしダメなのだ。
錬金術師の戦いでは、自分の身体を使って行う戦闘というのはそもそもあり得ないのである。
魔道具を使って
従って、他人に戦ってもらうために武器を作るか、陰に回っての謀略戦に徹するかが主な方策になってしまうのだ。
相手の情報を集め、相手の弱点を突くような戦い方を人に勧め、或いは魔道具を使って陰から支援するしかない。
私なりに色々と考慮した上で、戦争がどうしても避けられないのであれば、帝国の軍備を強化して戦争に負けないようにしようと思い切ることにした。
無論、究極の武器を生み出して相手の国を殲滅するという方法も無いわけではないが、それは極めて危ない方法でもある。
一歩間違えば、自らがその武器で滅ぼされることになりかねない。
依田隆弘の記憶では、9年後ぐらいに生み出されるであろう原子爆弾なんぞはその典型だろう。
取り敢えずの脅しには使えても、核保有国同士が実際に使えば人類の破滅が待っている。
特に多数の国が保有するようになってしまえば、その脅しさえも余り効かなくなる代物だ。
私は数ある方策の中で「
1937年(昭和12年)頃の航空機の性能はさほど進化していないものだ。
その為に十二試艦戦が計画され、その二年後には後世にも有名な四菱のゼロ戦が生まれたわけである。
ゼロ戦は確かに優れた航空機ではあろうが、海軍が要求する速力と航続能力それに空中戦能力を高めるために、機体重量を削りに削って、防弾機能をも削った。
その為に、最終的には、機体もパイロットも失うことになったのである。
パイロットはある意味で職人である。
その職人が弟子を育てないうちに大空に散っては後が続かない。
元々、日本は資源の乏しい国である上に、昔ながらの職人が手作りで機体を、そしてエンジンを作っているのだから、そんなに生産数を増やせるわけもない。
最初に造った品がずっと使えれば良いが、そうでなければいずれ枯渇する。
そうしてそれは人的資源にも言える。
航空兵は、特に身体能力と動体視力に勝る者を選抜して育成された。
その方法が誤りとは言えないが、やはり大量生産には向かないのだ。
パイロットは、赤ん坊が生まれるようには簡単に生まれない。
むしろ死んだら後が無いのだ。
ひよっこばかりのパイロットと防弾性能の劣った低速機体では、戦争後半に出現するであろう高性能の米軍戦闘機や爆撃機に全く敵わなくなるのだ。
ここはどうあっても、過剰なほどの防弾設備を施してベテランになるであろう搭乗員を守らねばならない。
その意味で私が開発したルー101は、四菱の十二試艦戦試作機A6M1とはそもそも開発志向が違っている。
私の場合、最初に防弾設備や安全設備を考え、次いでそれを快適に動かすエンジンと機体を考えて作り上げたのである。
四菱の場合は、海軍の要求に合わせるために、無茶なほど機体を軽くし、同時に無理やり性能を上げようとした。
その無理が祟って、防弾設備の乏しい機体で、高速時の操縦性に著しい不具合を生じさせ、なおかつ機体にも無理がかかることになってしまったし、その後の再三の改造にも関わらず左程に性能も上げられなかったのである。
第一次大戦では、複葉機や三葉機が戦場を駆け回り、制空権を巡って銃や機銃で騎士さながらの戦いを繰り広げてはいたが効率は余り良くなかった。
また、レンガや小型の爆弾を手で投下するなどの戦法もあり、欧米列強は盛んに航空機の開発に手を染めていた。
その努力の甲斐あって、1934年から1935年頃にかけて、英独などでは急速に高速機が開発されるようになっている。
英国におけるマーリン・スピットファイア、独国のMe109などは、いずれも毎時550Kmを超える高速機を生み出して行き、記録を出すための特別機ではあるが700キロを超える速度も出せるようになって行く。
大日本帝国においても、第一次大戦中の1915年には
このため四菱、仲嶋、河崎などの軍需産業を中心に、新型航空機が日本でも続々と開発され、英米との競争が生まれるが、如何せん、日本の重工業は基盤がしっかりしておらず、また資源の大半を外国からの輸入に頼っている以上、どうしても列強諸国、
日本の生産力を1とすれば、米国の生産力は間違いなく20倍ほどにもなるだろう。
近来の総力戦では、国力の違いがそのまま勝敗の結果をもたらすことになる。
日本では職人芸によって良いものを生み出すこともできるが、この発展途上の時期においては規格化した品物を大量生産するための基盤が弱いと言える。
これから日本の航空機産業は急速に伸びて来るだろうが、生憎と日本では基盤産業が脆弱なことと、航空機の生産及びその運用に必要な資源が乏しいことは大きなネックとなるだろう。
単純に考えれば、燃料となる石油が無ければ戦争だって継続できない。
戦争に必要な金属、食料、弾薬等の全てが不足することがわかっているにもかかわらず、短期決戦の勝敗に全てを掛けて、捨て身で戦争に突入して行く帝国の軍人は、ある意味で狂気の集団とも言えるが、彼らも国のメンツをかけて行動しており、国粋派の右翼など応援団も付いていることから公的には迂闊に非難もできない情勢下にある。
端的な話、他国から無理を言われて引っ込む体質ならば、他国との戦争は絶対に起きなかっただろう。
理不尽な他国の要求に対して反抗するから戦いが起きるのだ。
但し、こちらが理不尽な要求をする場合もあり得るのだが・・・。
必ずしも支那事変の中国の場合がそうだとは言わないが、かなり日本が不条理な条件を突き付けていたのは確かであり、互いの主張が
日米関係とても同じことだ。
依田隆弘の生きた時間線における日米開戦直前における米国首脳の狙いが
逃げ場を失って追い詰められたら、止むを得ないから「
まぁ、そのこと自体が米国の狙いであったことは否定できないが、私一人が頑張っても国際情勢はさほど変わりそうには無いものの、少なくとも日本本土が空襲で焦土と化さないように防空体制を固めることぐらいは何とかできそうな気がする。
後は、国の舵取りをする政治家と軍人の考え方次第だろうが、その中でも特に危ない連中については、可能な間引きを行うつもりでもいる。
政治の中枢にいる彼らが
私的感情の所為か、何となくイメージ的に陸軍さんは好かん感じだから、どちらかと言えば海軍さんを立てるようにしたいとは思っている。
私の徴兵先も海軍さんだったしね。
やはり、この時期に私が前世の知識を
そもそも有り得べき未来を変えても良いのかどうかすら私にはわからないけれど、少なくとも私が生きている時間線は、依田隆弘が生きていた時間線とは少し違うような気もするのだ。
転生やら覚醒が実際にあるのであれば、今世は依田隆弘の生きていた世界とは異なる平行世界なのではないかと思っているのだ。
そもそも、昭和の初期に錬金術を使える人物がいたなどという話は、依田の記憶にも一切出て来ない。
従って、これからの私の足跡の一つ一つが歴史上の転換点になるのではないかと思っている。
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