仮に隣の席の女子がエルフだったら ~二人きりになると引っ込み思案な水瀬さんが甘えてくる~

堂道廻

第1話 ひぐらしとエルフ

 ひぐらしが鳴いていた。


 夕焼けに染まる校舎の屋上、俺の前にセーラー服を着た金髪のエルフが立っている。

 絶世で絶賛で、超絶で空絶で、人の域を超えた美しさを誇る可憐なエルフ、俺のクラスメイトで隣の席の少女。


 向かい合う彼女は眼鏡を外した。宝石みたいな翡翠色の瞳が俺を捉える。その瞳からいつもの大人しい雰囲気が消え去り、凛とした佇まいに様変わりする。


「ねぇ、ハルくん」


 澄んだ声で彼女が俺の名を呼んだ。

 普段よりも幾分口調が柔らかい。いつものおどおどしている感じがまるでない。

 なにより彼女が俺のことを〝ハルくん〟と呼ぶのはこれが初めてだ。まるで別人のように思えてしまう。


「ひょっとして私のこと、視えている?」


 小首を傾げた彼女の質問の意味が、俺にはすぐに理解できた。


 それが俺を屋上に呼び出した理由であり、俺がこの学校に転校してきた日からずっと抱えていた違和感、それが彼女の存在なのだ。


 彼女に対するクラスメイトの評価は総じて『地味っ娘』だ。誰もが彼女のことをどこのクラスにもひとりはいる引っ込み思案の文系少女として認識している。

 だけど、そんなはずがない。あるはずがない。

 だって目の前の彼女はとても綺麗で、なによりエルフなのだから。


「見えているの? 見えていないの? どっち?」


 確信めいた声で問いかける彼女の様子から俺は察した。


 おそらく彼女は俺が〝気付いていることに気付いている〟。

 

 なにが?

 そう問い返すこともできる。

 けれど、隠したところで仕様がない。

 だって俺はずっと〝答え〟が知りたかった。


「視えてるよ」だから答えた。


 みんなが視えている水瀬さんはまやかしで、俺が見ていた彼女こそ彼女の本当の姿。 

 俺だけが間違っていたのではなく、俺だけが正しかったのだ。

 俺だけが教室にエルフがいることに気付いている。

 

「水瀬さん、キミはエルフなの?」


「うん、そうだよ」


 微笑んだ水瀬さんは、長くとがった両耳の先端を指先でつまんでみせた。 

 いつもと調子が違い過ぎて戸惑う俺に彼女は再び問う。


「いつから気付いていたの?」


「最初から、隣の席のキミを見たときから気付いていた」


 やっぱりそうだったんだ、と彼女は小さく零した。


「みんなには本当のキミが見えていないんだね?」


「うん、そういう幻惑が私には掛かっているから」


「そういう幻惑って?」


「姿を変える魔法だよ。クラスのみんなには違う姿が見えているの、地味で大人しい目立たない少女に」


 魔法――。

 とても変な気分だ。いきなり魔法だとか言われてもどう反応していいのか分からない。だけど、エルフがいれば魔法が存在してもおかしくない。受け入れるしかない。


「でも、どうして僕にだけキミの本当の姿が見えるの?」


「それは分からない」


 首を振った水瀬さんは足を踏み出して近づけてきた。

 眼の前で立ち止まり、顔を近づけて俺を見つめる彼女の瞳に自分の顔がはっきりと映り込む。


「ハルくんの眼が特別なのかな?」


「特別……」


「うん、きっと、ハルくんの眼に秘密があるんだと思う」


「水瀬さん、もう一度確認させてほしい。キミは本当に本物のエルフなんだね」


 こくりと迷いなく彼女はうなずいた。


 どうしてこの世界にエルフがいるのか、なぜ姿を隠す必要があるのか、高校に通っているにはなぜなのか、様々な疑問が頭に浮かぶ。

 確かにそれも重要なことなんだ。

 だけどそんなことよりも、そんなことと割り切れてしまうほど、好奇心を凌駕するひとつの欲求に駆られていた。


 ――彼女に触れたい。


 だってエルフが目の前にいるんだ。手を伸ばせば触れられる距離にいる。理屈や理由なんてどうでもいい。エルフに触れられる機会なんて普通に生きていれば百パーセントありえない。この先だってあるかどうか分からない。

 エルフと出会えたこと事態が奇跡なのだ。


 目の前の奇跡に俺は触れたい。


「耳、触ってもいいかな?」


「え?」


 唐突な要求に一瞬、静寂が生まれる。

 彼女は若干驚いた表情をしながら「……いいよ」と言ってはにかんだ。


 ごくりと唾を呑み込んだ俺はピンと伸びたエルフの耳に両手を近づけていく。震える指先が尖った耳の先端に触れた瞬間、「んっ……」と彼女が喘ぎ、俺はパッと指を離した。


「ご、ごめん……」


「大丈夫……、ちょっとくすぐったかった」


「もう一回、いい?」


 そう告げると、水瀬さんは恥ずかしそうにうなずいた。


 再び両手を上げてエルフの耳に触れる。今度はちゃんとつまんで指先で軽く撫でていく。水瀬さんはくすぐったさに耐えるようにギュッと目を瞑った。


 エルフの耳の先端から付け根に向かって指を動かして触れる。張りがあって、なんだか少し熱い。


 ――これがエルフの耳、感触は普通の人間と同じだけど俺は本物のエルフに触れているんだ。


「も、もういい?」


「あ、うん、ありがとう」


「どういたしまして。ねぇ、ハルくん、このことは内緒にしてほしいの。私たちだけの秘密」


「もちろん内緒にするよ。なにか事情があるんだろうけど、今は聞かない」


「ありがとう」


「っていっても誰も信じないだろうけどね」


「うん、あとそれからね。ハルくんが私の正体を知った以上、このまま帰す訳にはいかないの」


「え……」


 まさかこの展開は始末されるパータン? 屋上から突き落とされる!? それとも魔法で記憶を消されるのか!!


 夕陽を遮る俺の影に彼女は音もなく入っていた。エルフの姿が薄闇に隠れた直後、俺は彼女と唇を重ねていた。


「――ッ!?」


 えっと、いま……キスされたのか?

 気付いたときにはもう離れていた。あまりにも突然で一瞬だったから、なにが起こったのか分からない。

 でも確かに彼女の柔らかい唇の感触が残っている。


「み、水瀬さん……」


「今ね、ハルくんに呪……、魔法を掛けました」


 そう告げて彼女は両手を後ろで組んだ。


「ちょ、ちょっと待って……いま呪いって言おうとしなかった!?」


「言ってないよ。呪いなんてやだなぁ~」


 水瀬さんは微苦笑する。

 どうやら俺の聞き間違いだったようだが、呪いだろうと魔法だろうと効果が気になってしまう。


「ちなみに魔法ってどんな魔法?」


 クスリと彼女は微笑んで人差し指を唇に当てる。


「今はまだ内緒、ちゃんと秘密を守れたら教えてあげる」


 それから彼女はいじけるように少しうつむいた。


「あのね……、ひとつお願いがあるんだけど」


「なに?」


 再び目の前に来た彼女は俺の顔を上目遣いで見上げる。瞳を潤ませ、すこし声を震わせながらこう言った。


「抱きしめてほしいの……」


 吸い込まれそうな彼女の瞳が揺れる。


「えっと……、ど、どうして?」


「お願い……、何も言わずにそのままギュッて抱きしめて」


 断る理由はない。それどころか俺は彼女を欲している。

 だから言われるがまま俺は彼女の背中に腕を回して引き寄せた。力を込めてギュッと抱くと彼女は身を委ねて俺の胸に顔を埋めて、俺の背中に両手を回す。


 彼女の身体は華奢でとても柔らかかった。

 俺の腕の中にエルフがいるという事実に、エルフの少女を抱きしめているという現実に、今まで経験したことのない多幸感に包まれている。


 しばらくの間、何も言わず互いの熱を感じながら俺たちは抱き合った。

 

 次第に周囲の音や匂いが消え去っていくに連れて、俺の腕から自然と力が抜けていく。そして、力が入って強張っていた彼女の肩から緊張が溶けていくのが分かった。


 このときの俺はこの行為について、エルフの種族にとって特別な儀式的、あるいは魔術的な意味があるものだと勘違いしていた訳だけど、単に人と距離を置くことを余儀なくされてきた彼女のフラストレーションの反動であり、あの大人しい彼女があんなにも甘えん坊だということ、そして実は一生懸命に自分を変えようと努力している最中であることを知らなかった。


 そんな彼女、エルフの水瀬さんと出会ったのは一か月前になる――





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