想い

 月の光に曝された貧民街の通りは、まるで住民が消えてしまったかのように静まり返っている。元々物騒ではあっても賑やかとは程遠いこの場所も、夜には悪い意味でまた別の雰囲気を纏っていると言えた。

 エマニュエルは護衛二人を連れながらそれでも身の危険を感じている。

 建物の影や隙間から、今も獣が虎視眈々と獲物を狙うような気配があるが、しっかりと武装した人間たちを相手にする気はないのだろう。エマニュエルたちの前に出て来る者は一人としていなかった。


 やがて三人はとある古びた一軒家の前で足を止める。

 荒れ果てて壁に亀裂があり、幾筋もの蔦が走っていて管理が行き届いてないようにも見えるが、窓などは不自然に綺麗なので取り替えられているらしい。生活に必要な最低限の住環境は備わっているようだ。


 扉をゆっくりと開けて、様子を窺いながら中に入る。

 内装もやはり一見して廃屋と大差はないように思えるが、丁度品などに修繕の跡が散見された。

 最初にここを与えた際は「全てそのままでいい。姿を隠せればそれでいい」と言っていたはずだが、どういう風の吹き回しなのだろうか。


「誰だ!」


 しかし、その思考は甲高い叫び声に中断された。

 声の主はリビングの奥から剣を持って歩み出る。その眼差しは異様なまでに鋭く、まるで世界の全てを敵だと思っているかのようだ。

 碧い髪の子供。身体の複数箇所に痣。

 エマニュエルは目の前の人物が「それ」だと確信しつつ名乗る。


「エマニュエル=デ=オリオールだ」

「領主がこんなところに来るわけない」

「お前がそう思うのも無理はない。だが事実だ」

「何しに来たの?」

「ティオだな? お前を保護しに来た」

「いらない」

「……」


 ティオはこちらを睨みつけたまま油断なく剣を構えている。

 領主は腕組みをして思案した後、護衛の二人に指令を下した。


「取り押さえろ。怪我はさせるなよ」


 護衛たちが無言でティオへと歩み寄る。

 ティオはそれを見て一歩後ずさったものの、歯を食いしばって足に力を込めると、護衛のうちの一人に切りかかった。


「やああ!」


 エマニュエルは顎に手をやりながらその戦いを眺める。

 筋は悪くないがやはり子供、というのが率直な感想だった。才能の片鱗は存分に感じさせるが、体格や経験の差がどうにもならない。一対一ならまだしも、二人の武装した騎士を相手に勝てる要素は持ち合わせていなかった。

 数分とかからない内に取り押さえられ、床に組み伏したティオが、エマニュエルを睨みながら叫んだ。


「僕をどうするつもりだ!」

「さっきも言ったはずだ。保護をしに来たと」

「そんなわけない! どうして領主が……」


 そこでハッと、何かに気付いたように息を止めた。


「お前がカーマインを殺したのか!!!!」

「何故死んだと断言出来る?」


 領主は顔色一つ変えない。この場にいる者全員に対して、カーマインの存在を隠す気配もなかった。


「僕だって馬鹿じゃない。あの人が危ない仕事をしてたってことくらいわかってる」

「ほう」

「時間はばらばらだけど毎日ここに帰って来てたのに、もう何日も……」


 言葉は徐々に嗚咽へと変わり、顔を伏せたかと思えばすすり泣く声が聞こえて来る。

カーマインは随分とこの子供に懐かれていたようだ。

 本当に面倒なものを残してくれたなと、エマニュエルは心の中で毒づいた。


 腹心の部下であり元魔王軍幹部が徹の暗殺に向かってから数日が経過したある日。

 その死を悟った領主は、少し前に「私が帰らなくなったと確信した時に読んでください」と言って預かっていた手紙を開く。

 そこには人間の子供と知り合ったこと、その子供が親に愛されていないこと、自分が死んだ後に面倒を見て欲しいこと、などが書いてあり、最後に今までティオのことを秘密にしていた事実に対する謝罪の言葉が添えられていた。

 ティオのことだけだったのだ。自分に関する内容は何一つ、別れの言葉すらも書かれていなかった。


 最初は手紙を破棄し、全てを忘れ去ろうと考えた。そんなことをする義理はないし、魔物との関係が明るみになるリスクも高まる。

 だが、ティオを野放しにした方が逆に危険だという考えと、これまで尽くしてくれたカーマインへの恩義、そして最近ずっと押し殺していた良心がうずいてしまった結果、貧民街へと向かう決断をしたのだ。


 毎日この家にいる、と書いてあったとは言え、さすがに初回で遭遇するようなことはないだろうと思っていたが、この通りである。


「お前の言う通り、恐らくカーマインは死んでいる」


 回想を終えたエマニュエルは現実に戻り、目の前の話を進めることにした。


「……っ!」

「私も実際に確認したわけではないが間違いないだろう」


 死体が残らない魔物は生存を確認するのが難しい。徹が魔石でも持っていれば話は別だが、普通は処分するし、万が一に持っていたとしてもカーマインの関係者と思われる者たちの前に曝すようなヘマはしないだろう。

 エマニュエルは最初からそちらに関しては諦めていた。


「だが犯人は私ではないし、そもそも殺されたかどうかもわからない。何かの事故で死んだのかもしれない」

「どんな仕事をしてたの?」

「それを教えることは出来ないな」


 もちろんカーマインは殺されているし相手も仕事内容も知っているのだが、流石に暗殺を依頼していたなどと教えてやるわけにはいかない。


「なら信用しない。お前には保護されてやらない」


 異様なまでの殺気と剣技で忘れかけていたが、やはり子供なのだ。

 この町の領主はやれやれと一つため息をついてから口を開いた。


「これはカーマインの願いでもある」

「カーマインの?」


 そこでようやく殺気が収まり、子供らしい顔になる。

 エマニュエルは懐から一枚の手紙を取り出した。剣は取り上げた上で拘束を解き、身体を起こしたティオにそれを渡す。

 読んだ瞬間にティオの瞳からは涙がこぼれ始めた。また一つ、また一つと手紙にシミを作っていく。


「うっ……くっ……」

「これで信用してもらえたか?」


 ティオは腕で涙を拭いながら頷いた。


「お前を孤児院に入れる。そうすればしばらく生活には困らないし、親の虐待からも逃れることが出来るのだが、どうだ?」

「それでいいよ」

「決まりだな。親には俺の方から話をつけておこう。お前の家はどこだ?」

「必要ないよ」

「必要ない?」


 眉をひそめる領主に対し、ティオはあっさりと答える。


「親はいないから」

「……」


 二の句が継げなかった。

 もちろん事実である可能性もなくはない。しかし、だとすればこんな小さな子供がこれまでどのようにしてこの過酷な環境を生き抜いて来たというのか。

 確かに会った時から引っ掛かってはいた。ティオの特徴として全身に痣がある、と手紙には書いてあったが、「全身」と表現するほどではないのだ。だがそれをカーマインのミスだとは思えない。

 それに先程見せた彼の剣技は、戦闘に慣れていてかつ武装した者ならともかく、素人の大人と戦うには充分なものであった。

 最近になって虐待が止んだか、もしくは。


 エマニュエルはそこで考えるのをやめた。

 もし想定しうる最悪の事態をここで暴いてしまえば、この町の領主としてそれを無視することは出来なくなる。


「わかった、ならこれで話は終わりだ。孤児院への手続きなどがあるから、悪いがもう少しここで……」

「ねえ」


 話を遮って、ティオが呼びかける。その眼光には再び力が宿り、背後からは殺気が立ち上っているような錯覚を起こした。


「僕からもお願いがあるんだけど」


 ようやく子供らしくなってきた、と言いたいところだが、どうにもおねだりをするような雰囲気ではない。

 エマニュエルは警戒をしながら尋ねた。


「僕を騎士団に入れて欲しい」

「理由は?」

「いつかカーマインを殺したやつに会った時、仇を討てるように強くなりたい」

「まだそんなことを言っているのか。さっきも言ったが、あいつがしていた仕事の詳細は話せないぞ」

「別にいいよ。自分で探すから」


 どうにもカーマインを誰かに殺されたと思い込みたいらしい。

 だが、それも仕方のないことか。自然災害や事故で死ぬよりも、誰かに殺されていた方が怒りや悲しみのやり場がある。


「それなら、入団試験を受けられる歳になったら自分で受ければいいだろう」

「それじゃ遅い。今すぐがいい」


 エマニュエルは思わず額に手を当てた。

 カーマインよ、本当に面倒なものを残していってくれたな、と思う。少しの間ではあるが共に悪行を働いたという絆は思いの外頑丈で断ち切ることが出来そうにない。

 実現はしないだろうが、やれるだけのことはやってみよう。

 領主は息を大きく一つついてから口を開いた。


「わかった。一応頼んではみるが、あまり期待はするなよ?」

「うん」

「よし、それじゃあ今度こそ話は終わりだ。また何日かしたら迎えに来るから、ちゃんとここで待ってるんだぞ」

「うん」


 軽くリビングを見渡す。

 カーマインに支給した食料がまだ残っているので、そちらは心配なさそうだ。さすがに寝床は用意してやれないが、明日にでも毛布くらいは渡しておこう。


 剣を返してから旧カーマイン宅を後にした。


 来た時よりも深まった宵闇の中を歩きつつ、煌々と輝く星々の浮かぶ空を見上げて、エマニュエルは今日何度目になるのかわからないため息を吐く。


 あれと交渉しなければならないと思うと今から気が重い。

 成立する可能性がほぼゼロな上に質問攻めにあうのが目に見えている。だが、約束した以上出来る限りのことはしなければ。

 オリオールのこれからよりも、魔物への義理をどうやって果たすかに頭を悩ませる日が来るとは想像すらしていなかった。


 領主低へと帰るための道のりは、月明かりに照らされて淡くその姿を現していた。

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